アンコールと青い春 1



※とても長いです(1,2合わせて約25000字)
ジェネレーションギャップのその後ですが、こちらのみでもなんとなくの現パロ風味で読めるかと思います。
※中編ページなどができた場合はそちらに移す可能性があります。



「あ〜……」
 柔らかな陽の差し込む部屋、ふと聞こえた少し困ったような声の主は、少し前に「衣替えする!」と寝室のクローゼットに向き合ったなまえさんだった。隣の部屋にいて、姿は見えないものの声の届く位置にいれば気になってしまうもので。持ち上げていたマグカップを置いて、立ち上がって向かった先のドアから覗き込みながら「どうしたの」と問い掛ければ、その背中がぴくりと揺れた。
「いや、大したことじゃないんだけど」
「?」
「懐かしいもの、出てきたから」
 この部屋にふたりで引っ越してきてから、まだ片付け切っていない段ボールがあるのだと言っていた。衣替えを機に覗いたそこからは──制服、が出てきたらしい。
「……制服」
 おうむ返しする僕をどこか恥ずかしそうに見上げて、また手元に視線を戻して、「進学で家出る時なんとなく持ってきちゃって、そのままだったんだよね」となまえさんは言う。純粋な興味がわいてきて、段ボールの前に座り込むなまえさんの隣にしゃがむと、「え、なに」と身体を硬くするから、すこし笑ってしまった。
「ちょっと見せて」
「制服?」
「うん」
「地味だしそんなかわいくないよ……?」
 僕が、制服のデザイン性なんかを気にすると思っているんだろうか。とりあえず「いいよ」と返しておいて、それから。なまえさんの手で渋々広げられてゆく制服を見ていると、なんだか少し、いけないものを見ているような気になってくる。
 クリーニング屋の袋らしきものから取り出しながら、シャツとブラウスとベストと……あっブレザーだけ実家かも、リボンはあった……なんて独り言をこぼしている。そんな姿に僕は、これを着ていた頃のなまえさんをこっそりと思い浮かべてしまっていた。僕に出会うよりずっと前、僕の知らないなまえさん。制服を着込んで、“高校生”だったなまえさんは、どんな風に日々を過ごしていたんだろう。きっと友達もたくさんいて、ああもしかすると、彼氏もいたりなんかして──いや、何年も前のことに嫉妬したって仕方ない。そうしてぐっと口をつぐんでいた僕の耳に、「もうさすがに着れないなあ」と苦笑するような声が届いた。
「着たの? 最近」
「最近……っていうか、大学のとき学祭で一回着たっきりだよ」
「……僕も見たい」
 ぽろ、とこぼれていった言葉に、なまえさんが目を丸くする。……うん。うん、見たい。とっさに口から出ただけだったけれど、制服を着たなまえさん、見てみたい。高校時代の話も聞きたいなと思うけれど、それは後でいいや。まず、自分の目で見てからで。
「ええ……まってね、写真あったかな」
「写真じゃなくて」
 いったん広げたスカートを畳もうとする手にそっと触れると、ゆるりとその動きが止まった。昼下がりの日差しが透明な影をおとして、戸惑うように揺れるなまえさんの瞳に、僕が映る。
「今、見たい」
「いま……」
「着てみてよ」
 ぱち、ぱち、瞬きで過ぎる数秒と、「むりだよ!」なんてちょっと大きく響く声。ついくすりと笑ってしまいながら、「なんで?」と訊ねてやると、なまえさんの眉間に少し皺が寄る。むりとかダメとか、あいまいなNGに「なんで」って聞き返してやった時、困った顔をするなまえさんが好き。
「だ、だってさすがに厳しいよ」
「僕しか見てないよ」
「無一郎くんに見られるのが恥ずかしいのに……」
 なにそれ、かわいい。けれど口には出さずに、どうやって押し切ろうかなあ、と考える。知ってるんだ、なまえさんは僕のお願いを断れない。年下扱いか愛されているからか、そのどちらもか。今はなんだって良くて、ただ使わない手はない、そうやってちょっとずるい自分が顔を出していた。
「ダメなの?」
「だめ……では、ないけど」
「じゃあ見せてよ」
「んん〜……」
 うん、もう一押しで落ちるな。そう思ったけれど、まあちょっと平等さに欠けるんじゃない、となけなしの良心も芽生えてくる。「じゃあさ」という僕の声に、うなだれていたなまえさんはゆったりと顔を上げた。
「僕も着るから」
「え。……え、制服?」
「うん」
 見てみたいでしょ。そう付け足すと、なまえさんの目の奥がじんわりと輝きはじめる。本当にわかりやすいなこの人。でも、自惚れもいいところだと思うけれど、なまえさんも僕の過去のあれこれに興味があるはずだから。一度も姿を見せることなく過ぎていった三年間、その欠片をなまえさんだってきっと求めている。
「だめだ……」
「ん?」
「……降参。見てみたいです……」
 ふ、と笑いをこぼしてから「じゃあ決まりね」と軽く髪を撫でつけると、なまえさんはわざとらしいため息をついてみせる。そんな姿すらかわいくて、わしゃわしゃ髪をかき混ぜてやると、「やめてよー」なんて眉を下げて笑っていた。

 じゃあ今からね、と持ちかけてやると、驚いた声を上げてから「制服この家にあるの!?」「衣替えしたかったのに」「せめて夜にしようよ……」なんていくつも往生際の悪いことを言うから、簡単に反論してやって、最後はキスで黙らせておいた。「横暴!」と顔を赤くして言うから軽く舌を出してみせて、そのまま踵を返して別室のクローゼットへと向かう。
 別に、制服にも高校時代にも思い入れがあったわけでもなく。捨ててしまおうかな、と何度か思ったこともあったけれど、いや、本当に捨てなくてよかった。存外なまえさんの「見てみたい」に喜んでいる自分がいて、久しく日の目を見ていなかった制服を取り出しながら、すこし口角が上がってしまう。
 上は、シャツ……だけでいいか。なまえさんもブレザーないって言ってたし、暑いし。少しシワがついてしまったそれに袖を通して、久しぶりにネクタイを締めると、ふわりと懐かしさが漂って、それと同時に寂しさが蘇るような妙な心地になる。……だって僕は早く、早く卒業したくて仕方なかった。何もかも退屈だったわけじゃない。楽しいこともあった。気の合う人だってちゃんといた。それでも、これに縛られているあいだは、会えないから。そう思って着ていた制服は重たくて、けれど今はもう、そうじゃないんだ。軽く袖を捲りながら、押し寄せてくる感情に思わずため息をついていた。大丈夫。幸せは、逃げていかない。

「なまえさん? できた?」
 扉をノックしながら訊ねると、「ん〜」なんて唸り声が聞こえてくる。構わず開けてやれば、「まだって言ったよ!」なんてなまえさんが振り返ったけれど、普通に言われてない。
 ……と、いうか。ほとんど完成していて、あとは手に持ったリボンをつけるだけ、に見える。膝下までの黒い靴下、太ももの真ん中くらいまでのちょっと短いスカート、ゆったりしたニットベストに、白くてまぶしいシャツの、一番上のボタンは開いている。……制服、を、なまえさんが、着てる。視覚から濁流のように押し寄せる情報量に、思わず固まってしまった。
 まばたきを繰り返すなまえさんと、程なくして視線がかち合った。薄く頬を染める彼女もたぶん僕のことを見てくれていて、そう、思うと。くらりと頭が揺れて、心拍数が上がっていることをやっと自覚した。気付くと踏み出していて、僕はこの、愛おしさと不可抗力に背中を押される感覚が不思議と嫌いじゃない。「無一郎くん?」と慌てたみたいな声に、「うん」なんて無意味な返事をしながら数歩近づいて、一歩後ずさったなまえさんの手首を掴んで。
「……それ、貸して。僕がやる」
 なまえさんは戸惑うように目を泳がせてから、けれど意図は伝わったのか、恐る恐るといった様子でリボンを差し出してくれた。
「こっち向いて」
 微かな足音がして向き合うかたちになると、なまえさんは俯きがちに視線を逸らしている。……かわいい。首元にそっと触れて、ゆるく噛みしめられた唇を見遣って、襟の下に指を潜り込ませてゆく。明るい部屋の片隅で、リボンから伸びた白い輪っかを首にかけるその行為に、いっさい特別な意味なんかないはずなのに。じわじわ、じっとりとしたひどい背徳感が足元に忍び寄ってくるような心地がした。ゆっくり、ぐるりと一周、ほかでもない僕の手でなまえさんの細い首を囲うと、ちっぽけな留め具が指先で音を立てる。かちり、なんて軽い音に、なまえさんの睫毛が微かに揺れていた。
「あ、ありがとう……」
 呑気にお礼なんかを言うなまえさんは、じっと見つめ続ける僕の視線から逃げるみたいに「やっぱ地味でしょ」と、少し上擦った声で言った。地味、というか。シンプルで上品だと僕は思う。下手にちゃらちゃらしていなくて、なまえさんの雰囲気によく似合ってる。あくまでもいま目の前での話であって、当時のことはわからないけれど。……当時のこと。そうだ、高校生のなまえさんを僕は知らない。できることならぜんぶ、あなたを知っていたいのに。
 血が巡って、余計なことを考えられなくなってゆくこの感覚。身体の底にもやが蟠って、気付くと顎を掬って唇を奪い取っていた。
「ん……っ!?」
 胸を押し返されて一瞬で離れて、つい「なに」と不機嫌な声がこぼれる。「なに、じゃないよ!」と押し返した格好のまま言うなまえさんは、「なんか言ってよ……」と口元をむずむずさせている。……ああうん、たしかに、脳内で完結しすぎていた自覚はある。わざわざ取り繕って言葉にするのが億劫になることはよくあって、深く考えるより先に行動してしまうのは、時折なまえさんに咎められることだった。それじゃあ……と考えようとして、けれどやっぱりすぐに面倒になる。今は尚更。渋滞した思考と、逸った気持ちで切羽詰まっていた。
「……無一郎くん?」
「死ぬほどかわいい。抱きたい」
「へ!?」
「はい、言ったよ。いいでしょ」
「ま、まってまって」
「似合ってる」
「ちょっと、」
「もっと近くで見せて」
 目を白黒させて後ずさるけれど、ここは寝室、後ろはベッド。詰め寄る僕に夢中だったなまえさんは、後ろ向きのままベッドにぶつかってバランスを崩すから、その勢いに任せて押し倒す。カーテンから透ける陽光になまえさんが目を細めて、その一瞬を見逃さずに口付けて、まだ溢れてきそうだった反論を呑み込んでやった。
「……ぜんぶ、」
「っ、」
「全部知りたい。なまえさんのこと」
 重くてごめんね。でも、そんな僕だってなまえさんは許してくれるって、もう知ってしまったから。






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