やさしさに撫子を



*竈門炭治郎バースデー2020





竈門炭治郎という男は、底抜けにやさしい。そのやさしさに惚れた身でもあり、現在進行形で助けられてもいるわけだから、それが悪いと言うつもりはまったくない。それどころか、私はそんなところが大好きで仕方ない。

…でも。
短冊に並ばされた文字列を見ながら、ゆっくり息をつく。これだって、彼らしくて素敵だけれど。もっと自分のことを考えてほしいと、そのやさしさを自分にも向けてあげてほしい、と。恋人のこころの行方を案ずるのは、決しておかしい事じゃないと思うわけです。








「たんじろー!」


蝶屋敷の縁側から呼びかけてやると、善逸と伊之助といういつもの二人に挟まれていた炭治郎は、すぐに振り向いてくれた。にこにこと手を振られてそれに応えていると、隣の金髪が口を尖らせる。


「…炭治郎はいいよなぁ、女の子どころか恋人に誕生日祝ってもらえてさぁ」
「悪いな、善逸…」
「本気で申し訳なさそうにするなよ!」


早く行ってこいよ、なんて二人に小突かれてから、炭治郎は私のほうに小走りで来てくれた。


「どうした?」
「お話中だったとこ悪いんだけど、ちょっと来てほしいの」


小さく手招きすると、炭治郎はその目をまん丸にしながら、草履を丁寧に脱いで縁側に上がる。すん、と鼻を鳴らして、「何か企んでいる匂いがするな」なんてちょっと悪戯っぽく笑うから、「まあね」と私も口角を上げて応えた。
そのまま自室に招くと、私に着いて入ってきた炭治郎は、「え」と小さく声をあげた。


「これ、もう片付けたんじゃ」
「無理言ってね、ちょこっと貰ってきたの」


炭治郎が指差す先にあるのは、短冊のぶら下がった笹。といっても、1週間前みんなで吊るしたものように大きくはなくて、ほんの一部の小さな笹の枝に、たった一枚の短冊がぶら下がっているだけ。


「…あれ、これ、俺が書いた短冊、か?」
「うん、炭治郎さん、正解」
「…何をしようとしているんだ?」


本当にわからないといった様子で、炭治郎が首を傾げる。うん、まあ、無理もない。なんの説明もしていないのだから。
まあまあ、と言いながら炭治郎の背中を押して、笹が置かれた机の前に座らせる。私も隣に座って、筆と短冊が入った箱を差し出すと、ますます彼の頭には疑問符が浮かんでしまう。


「『みんなが幸せでありますように』と、書いてあります」
「そうだな」
「でも、私はもっと炭治郎のお願いごとが聞きたいの」
「…そうは言っても、七夕はもう終わってしまったからなぁ…」


生真面目な炭治郎のことだ、そう言うと思った。だから気休めだけど、笹を用意しておいたのだ。


「笹があってまだ7月だから、七夕みたいなものでしょう」
「…違うと思うぞ」
「……とにかく!」


赤い瞳が、きらりと輝く。「炭治郎のお願いを教えてよね」と先程の箱を押し付けるけど、まだ納得がいかないと言った様子の彼。往生際の悪いやつめ。


「うーん、でも、君にお願いごとをするなんて気が引ける」
「違うよ、私にお願いするんじゃなくて、ただ笹に吊るすだけ。それをね、誕生日祝いも兼ねて、誰かが叶えてくれるかもしれないよ、ってはなし」
「…はは、わかったよ」


仕方ないな、なんて言いながら、筆を手に取る炭治郎。つい「ありがとう!」なんて喜んでしまってから、これじゃあ祝いにきた私のほうが喜んでしまっているじゃないかと、気を引き締める。
短冊を手に取って、ゆっくり筆を滑らせ始める。書き出し、は。なまえ…私の名前?


「…あまり見ないでくれないか、書き辛いぞ」
「あ、んふふ、ごめんね」


ゆっくり動く手から、名残惜しくも視線を逸らす。程なくして届いた「できた」という声に手元を覗き込むと、その文字列にかっと顔が熱くなった。


「そ、それが、お願いごと?」
「ああ。…なまえを、幸せにしたい」
「よ、読み上げなくていいよ」


顔を隠すみたいにしながら首を振ると、「嫌だったか?」なんて訊いてくるけど。わかってるくせにね、匂いなんかに頼らずとも、私が嫌がりなんかしないってこと。ふう、と息を吐き出してから、正座して炭治郎に向き直る。


「そんな筈ないでしょ、とっても嬉しいよ。だけどね、もっとこう、自分が中心のお願い事を聞きたいっていうか」
「俺が中心の?」
「そうそう、お腹いっぱい梅昆布おにぎりを食べたい、とか、私でも叶えられるもの!」
「…ふふ、なまえが叶えるって、言ってしまってるじゃないか」
「あ、本当だ」


口を押さえる私を見て少し笑ってから、ことん、と炭治郎は筆を置く。もう書いてくれないのかな、そう思いながら手元から顔に視線を移すと、温度の上がった瞳が私を捉えた。


「聞いてくれるか?」
「…お、おねがい?」
「ああ」


からん、なんて軽やかな音を立てて身体を寄せてくるから、つい少し身を引いてしまった。それを許さないとでも言うように、置いていた手を取られる。


「…口吸いが、したい」
「し、てるじゃない、いつも…」
「なまえから、してほしい」


ゆっくりゆっくり細められた目は、ほんの少し、怪しげな光を湛えている。みんなの前じゃ見せないような、そんな表情に、体が芯から熱を浴びていくのが解った。でも、きっと私も。今、炭治郎にしか見せないような顔をしている。


「駄目、だろうか」


射抜かれてしまって、もう目は逸らせない。指をゆるゆると絡めとられて、じわり、体温が染み込んでくる。

…わかってるくせに、ね。駄目だなんて、私が言いやしないってこと。


「目、閉じて」


いつも炭治郎が私に言うみたいにすると、少しだけ声が震える。でも直ぐに紅い瞳は覆い隠されて、ぴんと伸びた黒い睫毛が小さな影を落とした。

…きれい。そんな目元も、筋の通った鼻も、いつも柔らかく揺れる耳飾りも、額の痣だって。緩く弧を描いた唇も、あなたのすべてがいっとう好き。


「…生まれてきてくれて、ありがとう」 


触れる寸前、小さく小さくそう呟くと、隠されていた瞳が現れる。紅いそれがゆらりと揺れるのを目に留めてから、そのきれいな唇を奪い取った。




私はね。あなたが願わなくても、あなたがいてくれるだけで、もうとっても幸せなの。ねえ、誰かの、私の幸せを願う、やさしいやさしい炭治郎は、きちんと幸せなの?

ぐい、と頭を引き寄せられて。しっとりと柔らかだった口付けは、どんどん深く甘ったるくなって、ゆっくりと引き込まれていく。

唇が離れたら、きっと訊こうと思っていたけれど。うっすらと開いた視界に映り込んだのは、私と同じに微かに覗かされる、蕩けた優しい赤だった。

幸せだよ、と。そんな筈はないけれど、炭治郎の声が聴こえたような気がしたから。全部を委ねるみたいに、静かに瞼を下ろした。



20200714




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