貴方があたしのことを想ってくれていること、大切にしてくれていること、ちゃんと知っている。
そんな気持ちに触れるとあたしは『ここにいていいんだ、』、そう自分を認めて貰えたようで酷く安心するんだ。
そして安心した傍から、沸々とあたしをゆっくり濁り濁った不安な気持ちが支配してゆく。
まるで冷たい泥水のような。
彼の笑顔に触れたとき、
彼の腕に身を預けているとき、
彼の唇から想いが注がれるとき、
彼の手のひらの温もりに包まれるとき、
二人でいる穏やかな空間、時間、
手を伸ばせば目の前に触れたい、安心する彼はいるのにあたしの泥水のような不安は募っていくだけだった。
募って募って、自分と混ざりながら濁ってゆく。
そして、いつもあたしを見つめる貴方の瞳は柔らかくも真っ直ぐに濁りがない。
彼の瞳、
彼の想い、
彼のあたしへ触れる全てがあまりにも完璧過ぎて、綺麗過ぎて。
それがあたしの不安を助長させ、恐怖を煽る。
…あたしは、そんな完璧に、綺麗に想ってもらえる存在ではないのだと両手で顔を覆いたくなるのだ。
そんな彼にとても想ってもらうことすら申し訳なくて。自分が惨めで泣きたくなる。
「どうしたの、***ちゃん?」
隣に座る巧くんがあたしの様子に気が付いて、顔をそっと覗き込んだ。
ほら、こんな一瞬だって、あたしの変化にすぐ気が付いて受けとめ、すくい上げる両手が用意されている。
紳士と言われる所以がわかる。どこまでも完璧で、木の幹の如く、しなやかで芯が強い。
「ん?」
優しく目が細められて、あたしの胸は激しく揺さ振られた。この濁りのない瞳に映るのは濁ったあたしの姿だ。
その鏡のような反射に涙が零れた。
彼への懺悔の涙か、改めて自分の醜さを思い知ったどうにもならない気持ちの溢れた涙か。
「…巧くん、」
「***ちゃん?」
「…巧くんは…あたしの何処が好きだと想ってくれた、の?」
「え?」
零れた言葉は思いもよらない問いだったのだろう。巧くんは目をぱちくりさせながら言葉に詰まっていた。
「ね、巧くん…。あたしなんかでいいの?」
「どういうこと?」
「だってあたしは巧くんに想われる資格がない。」
「…資格?資格って何?俺は無条件に君を想ってはいけないの?返答次第では本気で怒るよ。」
今まで穏やかだった巧くんの表情が一変して、部屋の空気がピンと張り詰めた。
彼の声は低く、濁りのない怒りを湛えた茶色い瞳はどこまでもあたしを刺す…。
その瞳がいつもあたしには痛かった…。
「あたしは巧くんに相応しくない。」
グイッと強く両手を掴まれた。骨が軋むように痛いくらい強く。
「あたしは…。巧くんみたいに綺麗でいられない。女の子と話しているのを見掛けたら嫉妬する。その女の子に『二度と話し掛けないで!』って怒鳴って、巧くんを鍵のついた部屋に閉じ込めたくなる。メールの返事が来なければ、電話を出るまでしたくなる。泣きたいときは巧くんが困っても本当は離したくなくなる。全部自分の思い通りに動かしたくなる。それが出来なければ絶望的になって、でもそんな姿を巧くんに見られたくなくて笑顔で誤魔化すの。汚いの、あたし。巧くんのために巧くんを想ってあげられないの。全部自分のためなの…。」
だから、とあたしはさらに続けて巧くんの胸を押し返し、言った。
「…もう優しくしないで、痛いだけだから…。」
掴まれた腕がようやく解放されて、あたしはその反動で力なく頭を擡げる。
巧くんに怒りの色は消えていて。代わりにそこには哀しみを帯びた声が静かに零れ落ちた。
「…俺の優しさって何?」
「…あたしを想う、全て…。」
「…俺にそれを優しさと言うのは残酷だよ。」
巧くんはくしゃっと前髪を掻き上げると哀しい瞳で笑った。
「優しさなんかじゃなくて、***ちゃんをどうにか手放したくなくて必死だった滑稽な俺の枷だよ。」
再び両手を掴まれた。今度はとても弱い力が胸を震わせて痛い。見たこともない巧くんの姿にあたしはどうしたらいいのかわからないのと同時に、どこかで想われることが許された気がした。
ゆっくり巧くんがあたしの上に覆い被さり、膝を割る。長い細い指があたしの肌を滑る。
「滑稽な俺の、さらに滑稽な姿見せてあげる。安心して。君だけじゃないから…。」
あたしが括った『優しさ』を彼は枷だと言った。
その枷が今外されて。
あたしの瞳に、
彼の瞳に、
濁った相手を映して、交ざり合ったら…。
それは同じ温度でいられると言うこと…。
さあ、あたしたちは、
濁流に呑まれてどこまで行こう?
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