久しぶりに雅弥くんがイタリアからオフの合間を縫って帰国をした。
私は空港に着いたら泣き出すから、と雅弥くんに空港までのお出迎えを断られてしまった。理由は泣く私を前にすると彼自身が困惑するからだと解っているのだけれど。

まだか、まだかと私は空港へ迎えに出た御堂さんの運転するリムジンを部屋の窓にへばりついて門扉をじっと見つめる。

門扉はまだ開かない。その代わりに星一つ見えない夜空には月が煌々と咲いていた。
今日は満月だったっけ。何だかこのまま部屋の窓から飛び立てば、体が軽くなり雅弥くんの所へ行けるような不思議な気にさえさせられた。
満月には無意識とどこか繋がった神秘的な力があると思う。

私は月に向かって呟いた。

「……早く雅弥くんに……逢いたい……。」

月の光に照らされて頬を滑り落ちた涙は私の胸元に幾つもの染みを作った。
漆黒の広大な闇に咲く月は何も応えてはくれない。ただただ堂々たる姿を私に映すだけだ。
やはり満月は不思議な力を持っている。月を見るだけで涙は止まらなくなってしまった。





雅弥くんに後少しで逢えることは解っているのに、この間近に迫った溢れ出る物はなんだろう。
ただ、胸の中では『逢いたい、逢いたい。』と言葉を繰り返すだけで、このまま逢えないかもしれないとまた不思議な錯覚に駆られる。
満月のせいだ。どこか現実味を帯びない感覚に落とされるのだ。
現実に御堂さんが迎えに出て不在であるというのに。





どのくらい窓ガラスに寄り掛かって勝手に流れてくる涙を放置していただろう。
キラッと暗闇の中にちらつく黒い光を見た。ぴかぴかに磨かれたリムジンのボディーだ。月の光を受けてその存在をくっきりと浮かび上がらせている。

「……帰って……来、た……。」

私の顔は最早くしゃくしゃだったに違いない。安堵の熱い涙が嗚咽と共に溢れだす。冷たい窓ガラスに頭を預けて私はしゃっくりをしながら益々泣くのであった。





漸く玄関にリムジンが横付けされて中から降りてくる雅弥くんをぼやける視界にちゃんと確認した。そこで現実に一気に引き戻された。涙は引き、今度は鼓動が高鳴る。

……雅弥くんに逢える。

しかしどうしたらよいものか。こんな泣き腫らした顔で今出迎えに行っても私の泣き顔に困惑する彼に混乱を与えるだけではないか。
私はあたふたしながら、洗面所の冷たい水で顔を洗う。しかし鏡に映るのは瞼を厚ぼったく腫らした己の姿だった。
ここまで泣き腫らしてファンデーションなどでカバーするには限度がある。

そして先程から加速する鼓動が私を更に慌てふためかせる。
嬉しさと焦りで私は頬を手を覆いながら部屋を傍若無人に歩き回った。
今家族がリビングに集まり始めているだろう。一人暮らしをしている雅季くんだって今日のために西園寺家に帰って来ている。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。
逢いたいけどこんな顔を見せて心配を掛けたくない。





それから10分くらい部屋を右往左往していただろうか。やはりまだ瞼の腫れは簡単には引いてはくれない。
このまま顔を出さないのも変に思われるだろうし、と情けないながらも小さく決心をした時だった。

──コン、コン、コン。
扉がノックされる。御堂さんがわざわざ呼びに来てくれたのだろうか。

「はーい、どう……ぞ?」

私の呼び掛けの途中で扉の向こうから姿を現したのは私を呼びに来た御堂さんではなく、先程西園寺家に帰宅した雅弥くん張本人であった。
相変わらずの日焼け振りにニカッと白い歯を浮かべて彼は立っていた。

「何だよ、彼氏のお帰りだってのに挨拶も無しかよ。」

私は何も答えることが出来ずにただぽかんとしていた。そして部屋に入り、私に近付いた雅弥くんの顔が一気に豹変する。

「……どうしたんだよ、口を開けたまま。つーか、何だこの顔は!」

ゴシゴシと雅弥くんの袖で目元を思いっきり拭かれる。雅弥くんの表情は険しかった。心配と怒りを混ぜたようなそんな目で私を見つめながら、さらに目元を拭われた。

「……痛い、痛いよ、雅弥くん。」

袖と肌の摩擦が私の顔に熱を持たせる。もう瞼の腫れとかじゃなくて私の顔自体ぐしゃぐしゃだった。

「何でこんな泣き腫らした顔してんだよ!だから部屋から出て来なかったのかよ!」

そのまま今度はグイッと頬を大きな両手に包まれる。骨張った熱い久し振りの紛れもない雅弥くんの手だ。

「何で泣いてたんだ?」

顔の角度を固定されて雅弥くんを直視せざるを得ない。色素の薄い茶色い彼の真っ直ぐな瞳が私を捕えて放してくれない。
そうして私は再び自分の目頭に熱いものが込み上げるのを感じた。

「泣くとこかよ。」
「……だって……、」

一粒の涙が零れると堰を切ったかのように私は満月を見上げていた時間のことを泣きながら話した。

「……私だって泣くつもりなくて、でも……急に今の現実を取り上げられた、感覚に……なったら止まらなくて……。だけど、雅弥くんに……この顔見せたら……心配掛けると、思っ……。」

ポツリポツリ話す私を雅弥くんは小さな子をあやすようにそっと抱き締め、背中を擦ってくれた。『バーカ。』って小さな呟きが耳元で聞こえたような気がしたけれど、私はその彼の腕に体を預けて今度こそ本物の雅弥くんを確認した。





「……今日は満月、か。」

私を抱き締めていた雅弥くんが窓を見上げてその月の姿を確認する。そうして何かを考えたかのような後に、私に目線を合わせてニカッと笑った。

「このまま行くぞ。」
「へっ?」
「いいから、いいから。」

私は訳も解らず、笑顔の雅弥くんに手を引かれながら部屋を後にする。廊下を行き過ぎて、階段を掛け降りる。
玄関を出たと思ったら、少し冷たい風に頬を撫でられた。そしてそのまま懐かしい場所へ連れて行かれたのだった。

「自転車置き場……。」
「そっ!満月にそんな力があるなら俺たちだって飛ばして貰おうぜ。」
「……えっ、E.T.みたくなるってこと?」
「なったらいいな。まあならなくても久し振りにチャリでふらっとしようぜ。」

彼はぽんぽんと荷台に私が座るように促す。そして高校時代と同じように横になるように座り、運転席の彼の腰に腕を回す。
あの頃よりも少しだけさらに逞しくなった彼を自分の腕に感じ、受けとめた。

「いいか、行くぞ。」
「うん。」

グンッと雅弥くんの扱ぐペダルに力が込められて私はその力に吸い寄せられるように彼の背に頭を預けた。





風をぐんぐんと切る。
雅弥くんの鼻歌が聞こえる。
雅弥くんの背中に安心する。

「懐かしいな、二人乗り。」

楽しそうな彼の声が風に流れて聞こえた。

「このままどこへ行くの?」
「んー、そうだなあ……。」
「高校とか?」

私の問いに雅弥くんはさらに声を高らげて暗闇に響くように答えた。

「月のみぞ知る、って感じかな。このままどこへ連れていってくれっかな。」

私たちの上には星一つも見えない漆黒の暗闇に煌々しく咲く月の花。
静かに優しく私たちを見下ろしている。





本当に不思議な力があるのかもしれない。
そうしたら私たちは──。





空飛ぶ自転車に二人乗りして月まで逃避行







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