パコン、パコン!
鈍い音が二つ、雲一つない晴れ渡った空の下、甲板に響いた。
目の前には鬼の形相をしたナギが腕を組んで見下ろしている。

「いったあ……。」
「ナギさん、酷いです。」

涙目で揃って頭を押さえるのはさっきまで一緒に甲板でシーツを干していたトワくんと私だった。
ナギの手にはフライパン。
今まさにそのフライパンで私たちはナギに頭を叩かれたのだった。

「柄の部分にしてやっただけでも有り難く思え。」
「だからって容赦なさすぎです。」

トワくんが歯を食い縛りながら、頭頂部を擦り立ち上がった。私もそれにつられるようにジンジンする頭を両手で庇いながら上半身だけ起こす。

なんで叩かれなければならなかったのか。私たちはただお日様がぽかぽか当たる甲板で寝転んでいただけなのに。

「なんで叩かれなきゃならないの、ナギ?」

私の抗議の声にかぶさるようにナギの低い怒声が静かに言った。

「お前ら今何してた?」
「何って、お昼寝だよね?トワくん?」
「はい。すっごく気持ち良かったから、つい。」

ダメだ。私の抗議の声もトワくんのニコニコ顔もナギには通用しない。さっきから1ミリとも表情を崩さない。

「仕事はどうした?」
「シーツは二人で干し終わりましたよ。甲板掃除はこれからですけど。」
「寝てる暇があれば、ちゃっちゃか動け。働かざる者には晩飯食わせないからな。ったく、***に仕事を頼もうと目を離したらすぐこれだ。こんなところで眠る神経が信じらんねえ。」
「ナギも一回甲板に寝転がってごらんよ。気持ちいいよ。」
「……働かざる者は?」
「……食うべからず。」
「わかってんなら働け。」





フライパンを片腕に持ち、すたすたと船内に戻ってゆくナギの背中を私は追い掛けながら、これから甲板掃除を始めようと動き出したトワくんと目と目が合い、ペロッと舌を出して笑った。

カンカンカンカン……。
甲板から船内に降りてゆくナギの足音が若干怒っている。
フライパンは肩に担がれて、無言の圧力を感じた。

そこまで怒ることをしたのだろうか。
でもナギは船内労働には容赦ないからなあ。

なんて頭で考えていると、間もなくナギの仕事場である厨房に着いた。
ナギは何も言わずにフライパンを担いだまま、顎でくいっと中に入るように合図をする。

ああ、怒っている。

私はおずおずと肩を竦ませて、『お邪魔します。』と厨房に足を踏み入れたのだった。
いつもならナギの持ち場だから、嬉しい気持ちでこの場に飛び込むのだけれど、今日は堂々と入るには忍びなく。

背中にナギの怒りの眼差しを感じながら、中に入ると中央のテーブルには積み上げられたじゃが芋の山。
1…2…3……、15…?いやまだまだある。

「……もしかして、頼みたい仕事ってじゃが芋の皮剥き?」
「そうだ。今夜はコロッケにしようと思ってな。」
「こ、こんなに?」
「シリウスの野郎共の胃袋を舐めるなよ。芋の皮は身まで剥きやがったら承知しねえからな。」

ナギはそれだけ言うと、くるりと背中を完全に私に向けて火の掛かっていた鍋に向き直った。

いつもより言葉が刺々しいのは気のせい?
……ううん、きっと気のせいではない。背中が怒っている。

「ねえ、ナギ……。」
「口動かす暇があったら手を動かせ。」

ナギはこちらに一目もせず、低い声でそれだけ言った。
私はそれ以上は何も言えなくて。目の前に積まれたじゃが芋に手を伸ばす。
ごつごつとした土の付いたじゃが芋はどこか遥か遠い懐かしい畑の匂いがした。





じゃが芋を剥き続けてどのくらい経っただろうか。
ナギが無言の背中を向け続けてどのくらい経っただろうか。

さすがに包丁を持つ手が疲れて来て、カタンと一度その包丁をまな板の上に置いた。
と、それと同時にナギも私の方へとくるりと振り向いた。
その表情には怒りは消えていたが、何かを訊きたいと言う顔をしている。

もしかして……。

「ちゃ、ちゃんと剥いてるよ!今はちょうど包丁を置いただけって言うか……。」
「見りゃわかる。それよりお前……。」
「えっ?」

作業について注意されるのかと思い、慌てて手にした包丁を握り締めた途端に、思いがけぬ言葉が返ってきて私はキョトンとする。

ナギは頭に巻いていたバンダナを外すと、私に投げる。そしてポツリと一言呟いて。

「……トワも年下と言えど男なんだからな。」

そう言って厨房から出ていってしまった。

「え、ナギ?」

私の呼び掛けにも振り向きもせずに、そのまま甲板へと続く階段へと消えて行った。
私は訳もわからず狼狽えるだけであった。





『トワも年下と言えど男なんだからな。』





頭の中に今一度ナギの言葉が繰り返される。
私の手にはナギが私へ投げたナギのバンダナ。ただの布切れだというのに、その真っ黒なバンダナはどこか熱がこもっている気がした。
自分の仕事の持ち場、況してや仕事に必要なバンダナまで投げ出し、ナギがここを離れる理由……。
ナギの背中が怒っていたワケ……。

『トワも年下と言えど男なんだからな。』

いつも口数も少なく無愛想で。だけど一瞬でも零した本音。

私は最後のじゃが芋を剥き終えると、そのナギのトレードマークでもあるバンダナをぎゅっと握り締めて、厨房を飛び出した。

働かざる者、食うべからず。

慌てて皮を剥いたから、少し身も削げてしまった芋もあったが、今は皮の薄さよりも厨房を離れたナギだ。
後でナギに怒られたって構うものか、私には今のナギを大事にしたい。





「どこへ行ったんだろう?」

ナギの行きそうなところを走り回っては見るものの、その姿は見当たらない。
自室にはいなかった。会議室にも、勿論船長室にも。
何か食材を取りに倉庫に向かったかも知れないと思ったが、そこで出会ったのは甲板掃除を終え、船長の指示で酒樽を取りに来たトワくんだった。
トワくんに訊いても、その首は横に振られてしまった。





「……ナギ。」

これじゃまるで隠れんぼの鬼役から抜け出せない子どものようだ。
段々心細くなって、探しても探しても相手は見付からなくて、自分だけ取り残されたような。





……でも。
最初に取り残されたのは。
……ナギの方だ。

私とトワくんが仕事をサボって昼寝をしていたことだけを怒っていたのではない。
私とトワくんの二人で昼寝をしていたから。こちらにそんなつもりはなくても、ナギには取り残された気持ちと不器用な嫉妬が入り混じった感情があの背中には現れていたんだ。





ナギ、
ナギ、
ナギ。





カンカンカンッ!
甲板に出るとビュッと風に髪が一気に攫われた。顔にまとわりつく髪を振り払って、私は眩しい太陽の下に見慣れた靴を見付けた。
このバンダナの持ち主だ。

私は気付かれないようにその足元に静かに近付く。
太陽の光が眩しいのか完全に腕で目を覆って、口を固く引き結んでいる。

『こんなところで眠る神経が信じらんねえ。』

なんて言っていた癖に。私に気持ちをぶつけてしまう前に、それを一人になってこんなところへ来てしまう不器用さ。





「……ごめんね、ナギ。無神経だった……。」

私は退かされることのない腕に遮られた顔元にしゃがみ込み、小さく謝ると。それまで微動だにしなかったナギの腕がいきなり私の両手を引き寄せ、気が付けば私の唇にはナギの唇……。

「……ホントにな。」

太陽の光を眩しそうに片目を細めたナギの手に私の頭は引き寄せられた。その中にすっぽり収まってしまいそうな大きな大きな手……。

ナギの胸元に倒れ込む形で体をその胸に預けた。耳からは彼の呼吸と心音と。そして温度が伝わって。





陽の香りがする……。
とても安心する……。







陽の下隠れんぼ

(貴方とお日様の香り、見つけた。)







『ego's 100000hits thanxxx.』

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