とうに深夜二時を回った黒狐に帰って来れば、灯りが点いていないはずの廊下にぼんやりと扉の隙間から零れる光を見た。
俺のすぐ隣の部屋。いつもは野郎共が寝泊まりする二段ベッドしかない質素な部屋だ。

今はアイツがそこで寝起きをしていて、所謂俺らは一つ屋根の下っつー?
そんなことはどうでもいいが、まだアイツがある部屋の灯りが点いたままなのだろうか。
どうせまた電気を消し忘れて大鼾でもかいて寝てるんじゃないか、と想像してふん、と鼻で笑った。





でも扉を開いて俺は直ぐに後悔した。アイツは……。***は大鼾なんかかいてはいなかったり、ましてや寝てはいなかった。雑誌をパラパラ捲りながら、体育座りをしたまま、『あっ、』と俺の顔を見上げる。

そして軽く欠伸をすると、にっこりと笑った。その顔は素っぴんで既に眠気が限界なのに。

「流輝さん、お帰りなさい。」
「……あ、あ。」

間の抜けた返事をして、俺は毒気を抜かれ。と、同時に自分がとても賤しくも汚い生き物のような感覚が身体中を駆け巡った。

しかも何故***がこの時間に寝ずにいたことさえ、その純粋な笑顔から嫌でも掬ってしまいそうになる。





「なんでこんな時間まで起きてんだ、お前?」
「えっ、あ、あの眠くならないなあって雑誌を……。」

慌てる姿が。
そんな充血した目を擦る姿が。
そんなことを簡単に否定する。

馬鹿か……。俺を待っていたとでも言うのか……。

お前が待ちに待ったものに出会った瞬間のように嬉しそうに笑うから。
俺が否定したい事実を肯定させられてしまう。





「流輝さん?」

そんな眠たい癖に笑顔を作ろうとするな。
そんな俺がしてきた事をその笑顔に汚される。

やめろ、やめてくれ。





そんな時、***が俺の唇に残った穢れを見付けてくれてしまった。

「……あれ?流輝さん、口元に何か付いて、」
「……ああ。」

これでもうそんな笑顔を、俺が否定したいお前の気持ちを肯定しなくて済むだろうか。

俺はそれをグイッと手の甲で拭って、***の目の前に突き付けた。

「グロス。さっきまでホテルに一緒にいた女の。」
「……っ!」

弾かれたかのように***は肩を大きく揺らして、その大きな大きな……純粋過ぎるくらいの瞳で俺を捉えた。

ああ、これでコイツの目に映るのは穢れた俺だ。
言葉では聞いていたとしても、実際に目の前に突き付けられれば、嫌でも現実となるだろう。





「……っ!」

ネクタイに指を掛けた時だった。今度は俺が体を弾く番だった。***はこの事実を突き付けられてもなお、俺に微笑みを返していた。

ただその瞳からは今にも涙が零れ落ちそうな震えた笑顔で……。

そんな目で見るな。
俺の否定したいお前の気持ちをさらに肯定させるなよ……。

ぐっと、右手に力が入った。そうしてゆっくり***を壁際まで追いやり、退路を塞ぐ。
これでよく解るだろう、俺がいかにお前の中で穢れているか、が。

「何?お前も同じコト、されたいの?」
「!」
「俺は構わないぜ?」

顔を斜めにして上から余裕有りげに***を見下ろしてやる。見開かれた彼女の瞳は脆く、しかし頑なに俺のことを睨み付けていた。

そう、そうやって俺を斬ってくれ……。





「最低ですっ……!」

***は俺の塞いだ退路から擦り抜けると、部屋を出ていった。あの足音じゃ階下へ滑るように逃げて行ったな。
はあ、と自分でも聞こえるか、聞こえないかくらいの溜息を吐く。




それはとてつもなく乾いた、虚しい呼吸だった。
だが、どこかでホッとしている自分もいたんだ。





くそっ、お前が女に見えたとか。
お前に触れるのは簡単。
だけど、触れてしまえばそれまで。ただの『女』に成り下がって、その他大勢の『女』の中にお前を見失ってしまいそうで。
だからわざと遠ざける。お前の気持ちを否定したくなる。

だけど女を抱く度にお前が一番大事なのだと嫌になるくらい自覚して。







本当は、

お前の温度を欲する

(…どーかしてるな、俺。)







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