朝から船の外はしとしとと弱いシャワーのような雨が降っている。極彩色の花々の咲き誇る南国に近づくと発生するスコールとはまた違う、ヤマトで言う梅雨を思わせるような日々が続いていた。
私は少しだけ故郷に想いを馳せていた。





「今日も雨、か……。」

窓のないナギの部屋で呟いた独り言は私に背を向けながら、異国の料理レシピに読み耽るナギにも届いていた。

「なんでわかるんだ?窓がないのに雨だなんて。」

私はその言葉に何となく宙に降り注ぐ雫を受けとめるように掌で小さな器を作り、言う。
小さな小さな雨を掬うようなイメージ。

「……空気の匂いと肌へのまとわりつく感じが雨の感覚だから。」

そして私はヤマトの季節の一つである『梅雨』についてナギに説明をした。
人によっては厄介な蒸し暑くて鬱陶しい季節だけれども、私は窓ガラスに伝う雨筋、蒸した青臭いむっとした重い草木の香り、一定のリズムで刻む雨音、肌が少しだけ呼吸のしづらい空気の密度などが好きだったことを付け加えて。





「単なる雨季だろ。干物が作れなくてウンザリだ。」

ナギには天候の趣きよりも興味は依然として羊皮紙に書かれたレシピだった。確かにこの何日間か続く雨のおかげで魚料理も食べていない。
でも私はお構い無く梅雨の話を切々と続ける。

小さい頃、弟を引き込み、水溜まりに飛び込んでびしょ濡れになり怒られたこと。
梅雨の季節限定で出されていた淡いグリーン色の近所の喫茶店のゼリーのこと。
突然の雨に生憎傘を持っていなかった私に傘を貸してくれた初恋の年上の男性のこと。

初恋の人について話した瞬間に微かにぴくり、ナギの耳が動いたのは気のせいだろうか。
本人は何もなかったかのように気のない『へえ、』と相槌をするだけだったけれど。
何だか冷静を装っているのか、無意識なのか。わからないけれど『私』に反応してくれることが嬉しくて私は声を殺してくつくつ笑う。





──でも雨が降る度に一番懐かしくなるのは……。

「アジサイが見たいな……。」
「アジサイ?何だそりゃ、食材か?」

料理人魂と呼ぶべき立派な精神を持つナギだけれど、聞き慣れないものを直ぐに食べ物と直結させるのは止めていただきたい。
アジサイの料理なんて言うのも鮮やかで綺麗だ、と一瞬思ったものの、どこか緑色の味が喉に広がるのを覚えた。

「違うよ。アジサイは梅雨時に象徴される花なの。」
「何だ、花か。」
「花でも雨の中に咲くアジサイは憂いがあって綺麗だよ。花は青白色から薄紅、濃紫、藍色と、色とりどりで。葉に露を湛えて、静かに雨を浴びるの。」
「天ぷらにして食えるか?」
「もう、何でも食べ物にしちゃわないでよ。風情を味わって。」
「俺は風情より味覚のがいい。」

ぷうっと風船のように膨らませた私の空気でぱんぱんの頬をナギはクッと笑うと、親指と人差し指で凹ませ、空気を抜く。
ぷしゅっと抜ける空気とともに私は故郷に想いを馳せたことを後悔し、ナギに抱き付いた。

「……どうした?」
「……何でも……ない。」
「……そうか。」

ナギはそれ以上私に何も訊かなかった。ただその代わりにしっかりと私をその力強い腕の中に優しく抱く。
きっとナギは何もかも知っている。だから優しく私を抱くのだ。

ヤマトにいた頃は四季折々の変化の中にありながらも、晴天の霹靂と言うようなとんだ変化と言うものはなかった。それが私の生活だったからだ。

しかし海賊船に乗り込んでからは毎日が目まぐるしく変化してゆく。穏やかな日にシーツを干せた日があったかと思えば、次の日はシリウスを追う海賊船に狙われる。

毎日が1週間が七変化だ。

そうして私は『あ、』とナギの腕の中で声を漏らす。『ん?』と私に問い掛けるようにナギはゆっくり私に視線を落とした。





アジサイの花言葉は『移り気』だ。花は青白色から薄紅、濃紫、藍色と土壌や開花日数によって色を変えるからだ。正に七変化。

「……アジサイの花言葉がね、『移り気』なの。色んな色に変化をするから。だから何だかこの航海と似てるな、って。毎日七変化だもんね。」
「……俺にはお前の言う七変化が日常だからわかんねーけど。でもアジサイはお前の好きな花なんだな?」
「……うん、好き。」

少しだけ間が空けてナギは私の顔をさらに自分の胸に押し付けた。少し呼吸が苦しくなるくらいに。

「……日常に花言葉を当てはめんのはいいけど、お前にまで当てはめんなよ。」
「へっ?」

ナギの意図が解らずつい喉を潜る間抜けな声。
『言わせるな』と云わんばかりのナギの腕の力の入れように私は苦しくてバタバタと藻掻く。藻掻けば藻掻くほど、私の身体に食い込むナギの腕が痛く、そして熱かった……。





「……どうしよっかな。」
「……バカやろー。」

くつくつと私は苦しい腕の中で嬉々と笑うのであった。







(貴方への想いの中だけで、ね。)







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