例えば、
彼女が俺と同い年だったら、
彼女が西園寺の令嬢でなかったら、
彼女がただの女性だったら、
俺は、もっと余裕が持てたのだろうか。
俺の想い人は志乃と言う。俺が執事として仕える西園寺家の令嬢だ。
先日俺は彼女に思いの丈を打ち明けられ、彼女もまた俺の想いを受け入れてくれた。
そして俺と志乃の関係は、世間様で言う『彼』と『彼女』と言うものに変わった。もちろん、『執事』と『令嬢』と言う表向きの看板をはずすことは、今は決してできないけれども。
好きな相手に告白されて。
自分の想いも受け入れてもらって。
今が一番幸せな筈なのに。
俺は苦しくて仕方なかった。
志乃は西園寺の令嬢としてだけでなく、ひとりの女性として魅力的だ。それは惚れた欲目ではなく、とにかくいろんな場面で男から声をかけられる。
そしてまた、男慣れていない初な受け答えが純に見えるようで、「僕らが居なきゃ志乃は学校でやっていけないよ絶対」とため息混じりに仰られる雅季様と雅弥様には感謝してもし足りない。ちなみに社交界など自分がついて回れる場所では、本音を建て前で綺麗に包み隠し、相手には丁重にお引き取り願っている。
そう、俺は志乃より六歳も年上なのだ。
一回りとは言わなくても半回りは違う年の差、社会人と学生と言う見えなくも厚い壁が在る以上、四六時中一緒にいるわけにいかない。
そして世間的にはあくまで執事と令嬢、一緒に居れる時間も恋人同士のそれとは程遠いもので。
わかっていて尚、その想いを返したと言うのに。
苦しくていっぱいいっぱいになる俺はつい、無意味なifを重ねてしまうのだ。
『もし……』
『……たら』
『……れば』
重ねても何の意味もないことだと解っているし知ってもいる。
それでも俺は仮定し仮定を否定することが止められない。
手に入れてしまえばちょっとは余裕が持てるかと思っていたけれど。
手に入れた方が、他の誰かにとられてしまう恐怖がいや増すなんて、思ってもみなかった。
「……最近志乃さんが元気がないようですが、要君、何か知りませんか?」
「さあ……私は存じませんが」
部屋に夜食のサンドウィッチとコーヒーを運んだとき、思い出したようにそう言われたのは修一様だった。
志乃は俺の前ではちらともそんな素振りは見せない。
俺の知らない志乃を修一様が知っていると言うだけで、俺はまた余裕がなくなる。俺は志乃の全てを理解っていたいのに。
だから俺はまたifを重ねる。
俺が執事で、彼女が令嬢でなかったら。
ifに対する答えはいつも同じ。
『そうしたら、俺たちは出会うことなんて無かったのだけれど。』
修一様は一口コーヒーを啜った。そして大きな息を吐く。
「……じゃあ質問を変えよう。
俺に何か報告することがあるんじゃないか?」
ドキリとした。
修一は一体どこまで知っている?
「……何のことだ」
口調も自然、親友に対するそれになった。
俺の返答に修一は片眉を跳ねたげたが、それに対しては何も言わなかった。代わりに言ったのは別のことである。
「それでも、お前の前では志乃さんはいい顔で笑っているからな。
なるべく一緒にいてやってくれ」
話は終わりだとばかりに、修一はパソコンに向き直る。そのままこちらを振り向きもしない修一に、俺は静かに黙礼して部屋を出た。
修一がどこまで知っているかはわからない。
だけど何か知っているのかも知れないし、知らずとも気づきつつあるのかも知れない。
俺はキッチンに戻ると、志乃の好きなホットミルクを用意した。
ただ部屋を訪なうだけでも理由が要る。もし俺が兄弟と同じ立ち位置にいたら、そんな必要もなかっただろうに。
ほんの少し蜂蜜を足らすと、ふんわり甘い香りが立ち上る。それは甘く柔らかく。まるで志乃のような香りに、俺の表情は思わず緩んだ。
今はただ、志乃に会いたかった。