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 ある日のアンダンテ

兵団に親書を届けるよう商会長から仰せつかったものの、まさか調査兵団がこんなに広大な敷地を有しているとは予想外だ。

片脇に書類を抱え直して、長い溜息をついた。
足元から芝生だけの何もない平原が続き、遥か向こうに調査兵団らしき建物が見える。
市街地と違い外れにある分土地にも余裕があるのだろう。
馬車を降りる場所を完全に間違えたようだ。

「もーなんでこんなただっ広いのよ…」

独りごちたところで距離は縮まらない。
諦めて再び歩き始めた時、背後から馬の闊歩する音が響いた。
それも一頭や二頭ではない。
驚き立ち止まれば、あっと言う間に白馬が真横に駆けてくる。

「あ、エルヴィン団長!」

思わず兵士の名を呼べば、馬はひと鳴きと共に私の前で停止した。
手綱を持つ男は空と同じ真っ青な瞳を見開いている。

「貴女は…?」

そういえばこちらはクライアントから彼の事を知らされていても、本人とは初対面だったのを思い出す。

「申し遅れました。私、この区の商会長秘書のなまえです。親書と言伝を預かってきました」

私の言葉に団長は素早くジャケットから取り出した懐中時計を一瞥した。
早めに来たから、まだ約束の時間には少しゆとりがある筈だ。

「!申し訳ない、演習が押してね。直ぐに応接室に案内するよ」

遅刻しているわけではないのに、一兵団を束ねる人物が一介の秘書ごときに謝るなんて。
憲兵団も見習って欲しいものだ。
悪い噂は山程聞くが、実際会ってみるととても誠実な人となりに感じる。

「お願いします」

歩き出そうとした私を団長はじっと見つめ、やがて手を差し出す。
意味を測りかね首を傾げていると、

「…ついでだから乗っていくか、その方が早い」

「ぎゃ!」

物凄い力で片腕を掴まれ、あっと言う間に馬上に引き上げられてしまった。

「あ、あの!!」

「動くぞ」

断る暇もなく馬は歩み出す。
思ったより高い視界に恐ろしくなり下を向けば私の脇腹辺りで手綱を持つ手は大きくごつごつとしていて、いかにも兵士らしい。

意識すると途端に気恥ずかしく団長の腕の中で縮こまった。

彼の部下は特に気に留めていないようだが、よくあることなのだろうか。

馬具の擦れる音がいやに耳につく。
流石にこの状況で沈黙は気まずく、小さく振り向いて話し掛けた。
逆光でも清涼感のある瞳は眩しい。

「そ、それにしても、随分と広いですね。いつまで歩いても辿り着かないかと思いました」

「あぁ…演習場の方向から来ているからね。次から反対側に回ってくれたら正門があるよ」

その回答に体の力が一気に抜ける。
さっきまでの私の苦労は一体何だったのか。

「知らなかった…」

「はは、裏門の門番に今度君が来たら正門を案内するよう言っておくよ」

項垂れる私が可笑しいのか団長は楽しそうだ。
自分が急に子どもになったように思えて、じんわり体が火照った。

それにしても簡単に乗りこなしているように見えて馬上は意外と不安定だ。慣れないながらもバランスを取ろうと苦心していれば、無意識に引け腰になった体がふいに馬の闊歩で大きくぐらつく。

「わっ!」

反射で手綱を掴めば、更に暴れる馬に落ちそうになった体が力強く抱きとめられた。

「おっと!手綱に触ると危ないから、力を抜いて座ってくれるかな」

「す、すみません…」

腰を支える手にどぎまぎしながら、力の込められるままそっと団長に体重を預ける。

風に紛れて男物の香水が微かに香りに距離の近さを改めて実感し、小鳥みたいにせわしなく心臓は囀った。

団長とはいえ初対面の男性と密着している状況を客観的に考えるとますます落ち着かない。

「ふ、そんなに怖がらなくても」

年上の余裕をもった含み笑いに、慌てて首を振った。

「い、いえ!こ、怖がっている訳では…!」

「冗談だよ」

悪魔と呼ばれるにはあまりにも穏やかな声。太い眉があいまって、振り向いて見たその表情は頬を撫でる柔らかな風より優しげだ。

人懐こい笑みに言葉を継げず、曖昧に話を濁し、近付いてきた兵団の建物を眺める事に集中した。





厩舎までのおそらく数分であろう距離は数時間にも感じた。

団長に手を借り芝生に足を着け、ほっと一息つく。

「おっエルヴィン!あれ?どしたのその子」

大人しい白馬を触らせて貰っていると、彼の部下であろう眼鏡の兵士が駆け寄ってきた。

「いいだろ?途中で可愛い子を見つけたから拾ってきたんだ」

「…!!」

けろりと何を言っているんだこの人は。

見上げれば少年めいた明るい眼差しと目が合う。
てっきり凛々しい貫禄を持った人だと思い込んでいたが、無邪気な笑みはその印象を払拭した。

なぁんだ、全然堅物じゃない。
壁外調査の度、先頭に立つ厳めしい面影との差に心中で微笑んでいると、手にしていた重たい書類鞄がひょいと消えた。

手綱を部下に預け歩き出す団長の片脇に鞄を見つけて慌てて追いかければ、伸ばした手から荷物を遠ざけられる。

「持つよ。遅刻しそうになったお詫びだ」

そう言い切られてしまうと断ることも出来ず、もどかしい気持ちで後を追う。

「だ、団長!」

部下の間を縫って支部へ向かう背中を呼び止めた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

こちらを振り返る表情は、団長でも悪魔でもなく、ただの人好きのする人間だった。








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