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 すばらしい逃げ道

「酷い有様ね、エルヴィン」

冷たい地下牢で長い脚を投げ出す旧友になまえは眉を顰めた。

「やぁ…久し振りに見る顔だ…会いたかったよ、なまえ」

自分を見上げる青い目はあの頃より幾分擦れてはいるが、ぎらぎらと濡れ光る強さは変わっていない。

「生憎私はこんな場所で会いたくなかったわね」

底冷えする床に膝をつき、かつての仲間と対峙する。
膝を突き合わせ、まだ明るかった未来について夜中まで語ったのはいつのことか。
今ではあの時代は万金にも値する貴重なものに思え、また砂の城の如く脆い幻にも見えた。

「今日は昔話でもしに来たのか?」

そんな彼女の心中を悟ったのか、エルヴィンはじとりと疲れた眼差しをなまえに送る。

いくら調査兵が頑強な肉体を維持していると言えど、中央憲兵の尋問という名の拷問では無理もない。

流石にそれが数日も続けば堪えたのだろう、いつも嫌みたらしい程きちりと整えられていた髪はぼさぼさで、同じく元来端正な容貌も目を逸らしたくなる程腫れ上がっている。

誰よりも正確に立体機動装置を操る腕はしばらく見ぬ間に片方だけになり、有るべき指の覗かぬシャツの袖口は彼の歩む道の過酷さを痛々しく主張していた。

隈が縁取る眼窩にそっと触れる。

肉体の疲弊がより炯炯とした瞳孔の生命力と獣味を惹き立て、見据えられた彼女の心はざわついた。

雑念を振り切る為、断言する。

「話すことなんか何もないわ。ただ渡すものがあっただけよ」

胸ポケットから出したのはただの白いハンカチだ。

「なまえ」

規定外の物を持ち込めば、例え同じ憲兵であってもなまえ自身も処罰を受ける。
それを危惧したのだろう、名を呼ぶ声には叱責の色。

なまえは彼の忠告を無視して拘束具の僅かな隙間を縫って手首に布を巻きつけた。
既に硬く冷たい金属の締め付けと度重なる暴行のせいで肌が鬱血してしまっている。

「中央憲兵に許可なら取った。これでちょっとはマシでしょ」

せめて痛みが紛れるよう酒も差し入れしたいと上司であるナイルに掛け合ったが、結局中央の検閲を通ったのは布きれ一枚だったのだ。
だから違反じゃないと彼女が説明すれば、微かにエルヴィンの口角が上がる。

「変わらないな…君は」

「こんな状況で何笑ってんのよ」

昔からお堅い見た目に似合わず大胆な事ばかりする質なのは知っているが、今の彼は首の皮一枚。
明日処刑場で吊るされてもおかしくはないのだ。

こいつは自分の命を何だと思っているのだろう。
そう感じることがあったのは一度や二度ではない。

唖然とするなまえにエルヴィンは懐かしそうに続ける。

「あの頃を思い出すよ」

共に夢を語らいそして現在別々の道を行く皮肉ではなく、訓練兵時代密かに同期の少女達に持て囃された快晴色の硝子玉を細め、心底懐古しているのだ。

すべてを受け容れんとする穏やかな顔が恐ろしくもあり切なくもあり、蓋をしたはずの子供らしい熱い感情が目尻に向けこみ上げて来るのを堪えられなかった。

「うるさい…片腕のくせに格好つけて…あんたなんかあの頃から大嫌いよ…」

「片腕でも君を抱くことくらいは出来るさ」

肩を震わせるなまえに話しかける口調は絵本を読み上げる親のように優しい。

「っ…その口も相変わらずね」

都合が悪くなると笑えない冗談で誤魔化すのは彼の変わらぬ悪い癖だ。なまえは堪らずエルヴィンの首元にしがみついた。

中央憲兵に聞こえないよう小さく呟く。

「エルヴィン、こんなところで終わるなんて許さないわよ。さっさと出てきたら…一度くらい抱かれてあげる。だから…」

かさついた唇に落としたのは掠める様な口づけだ。
今更小娘ぶったキスに彼女は自嘲し、後ろ髪を引かれぬ為立ち上がる。

「お願い…死なないで」

切望を口の中で噛み潰し、知己に背を向けた。
これを最期にするつもりはないという決意として。



遠ざかる靴音を聞きながらエルヴィンは静かに目を閉じた。
彼女が去った後の心は不思議と落ち着いている。

再び静寂を取り戻した房で独りごちた。

「やはり変わらないよ君は…俺に甘すぎだ」








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