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 ゴールデンスランバー

塔の天辺に銃口がきらめいたのが見えた時、反射的に駆け出していた。

直後左肩に鈍い痛みが走り、視界が霞む。
そのままゆっくりと体は沈んでいった。






夢を見ていた。

私を逞しい腕が抱きかかえ、切迫詰まった表情で名を呼ばれる夢を。
ああ、この人もこんな顔をするんだ。

血塗れの世界で、不思議と安心感と幸福に包まれていた。

瞼を透き通る光が眩しくて、掴もうと手を伸ばした瞬間、眼前が真っ白に弾けた。

「なまえ!良かった!」

生身の声が急速に意識が覚醒させてゆく。なまえは疼く肩を抱き寄せた。

「ハンジ…」

見慣れた同僚の顔に、壁外調査から帰還の際の出来事が鮮明に蘇ってきた。
多数の死者により余った馬の牽引をしている時、近くの塔から銃を構える影が見え、その弾道上には彼がいた。考えるより先に身体が動き、そこから先の記憶は曖昧だ。

巻かれた真新しい包帯で現実だとわかる。

「君一日寝てたんだよ!!どうしてこうなってるかわかる?痛い所は?喉渇いてない?!」

モブリットは怪我人に詰め寄り矢継ぎ早に質問を繰り出すハンジを慌てて引き剥がした。

「分隊長近すぎです!それと質問は一つずつにされた方が…」

彼がまだ上司曰くのお小言を言い終わる前にノック無く扉が開く。

「エルヴィン!なまえが目を覚ましたんだよ!!」

扉を閉めた人物は、ベッドから起き上がった部下を見ても表情を変えず素っ気なく言い放つ。

「見ればわかる」

コツコツと淀みない靴音は冷たく威圧的で、まだ半分寝ぼけていたなまえは一気に目が冴えていくようだった。

彼女の前に立ちはだかったエルヴィンは椅子に座るでもなく、労いの言葉を掛けるでもなく、ただ無言で見下ろす。

「あの…エルヴィン…」

エルヴィンは不安気に名を呼ぶ彼女の襟首を掴み上げ、右手を振りかぶった。
乾いた音が病室に響く。

「君の任務は何だ、誰が私の護衛をしろと言った」

普段は極めて穏やかな声音は静かだが激しい怒気を孕み、自由を讃える青は叱責の色に染まっている。

「…すみません」

小さな謝罪など聞こえぬふりで、叱咤を続ける。

「自分の持ち場を放棄し、あまつさえ壁内で怪我をするなど無能もいいところだ」

肩の痛みより頬の痛みより、その言葉がなまえの胸を貫いた。
確かに彼の言う通りで、指摘に反論の余地は無かった。
考える前に身体が動いたと言えば美談だが、裏を返せば命令より私情を優先したという兵士にあるまじき行動だ。

「なまえ、何か弁明はあるか」

「…いいえ」

上司は悔し気に唇を噛むなまえに眉を顰め、再度振りかぶる。

「ちょ、ちょっとエルヴィン!やり過ぎだよ止めなって!!第一そんな言い方することないだろ?!」

上司の放つ空気に圧倒されていたハンジは我に返り二人の間に割って入った。

エルヴィンはじろりと部下を一瞥し、説得に襟元を掴む手を緩めたかに見えたが、指先が離れる間際一気に襟を引き寄せ、中途半端だった腕を容赦なく振り下ろした。








なまえが再び目を覚ますと、窓から黄金色の光が満ちていた。
数時間は眠っていたらしい。
鎮痛剤の効果か、肩の痛みは幾分やわらいでいる。

しんとした部屋で、彼女の中には夕日のごとく丸く大きな虚しさの穴が生まれた。

男と女の関係を大切にすることは出来ない。
それは束の間の気休めであり、理想だからだ。
思えば兵士の仕事を全うすることでその淋しさを埋めてきた気がする。

けれど、今回はそれすら叶わなかった。

エルヴィンは呆然とする部下たちを尻目に、なまえを振り返ることもなく病室を後にしたのだった。

彼女は怪我の疲労もあいまって、ハンジ達を帰し、泥のように眠りに落ちていた。

人間として何が正しかったのか。
答えは何処にも、胸のうちにすら見つからなくて、また疼き始めた鈍痛を布団を握り堪える。

ふと、布ではないかさりとした感覚が指先に当たった。
夕陽の傘下の街並みを眺めていたなまえは低く良く通る声に耳を疑う。

「起きたのか」

「エル、団長…どうして……」

ベッドの上には数枚の紙が散らばっている。
椅子に腰掛け、本を下敷きにし不安定な場所で書類仕事をこなすエルヴィンは起き上がる部下の微かに血が滲む包帯に眉根を寄せた。

「無茶をし過ぎだ」

咎める言葉に朝の棘はない。

「手術した医者は、弾があと少しずれていれば心臓を貫通したと」

書類にサインをしながら、冷静を装う顔には怒りとは別の激しい感情が滲む。
なまえは驚愕に目を見開いた。

「なんて顔、してるんですか…」

理性的な面影はなりを潜め、それどころか呻きを堪えるように唇を引き結び、整った容貌を歪める様は泣き出しそうにも見える。

「俺より先に死なないでくれ…頼むよ…」

苦しげに吐き出される声にただの男としての切望が溢れていた。
なまえが見たこともない表情と聞いたこともない声音全てが、人間として、彼女自身として大切だと、言っていた。

その一言だけで、空の器になみなみとあたたかな水は注がれる。

「団長は案外我儘なんですね」

わざと仕事中の距離をとる言い方に、エルヴィンは訝しげに瞳を細めた。

「私だって貴方が死ぬところなんか見たくない。失う苦しみを知っている貴方が、私にその痛みを味わえと言う」

「…さっきの仕返しか?」

涼しげに見せてバツの悪そうな顔になまえの口元が綻ぶ。

「さぁ?そう思うならそうじゃないんですか?」

夕陽の色はどこまでも静やかに傷口を労わり、瘡蓋を作る。最早孤独も淋しさも感じはしない。

「どうしたら許してくれるのかな」

「ご自分で考えたらいかが?」

そっぽを向けば、少しかさついた大きな手のひらが頬を包む。
唇に触れる久し振りの柔らかさに、なまえは泣きそうになった。

「…ずるいひと」

「ずるい男は嫌いかね」

答えの代わりに節くれだつ指に手を重ね、続きをねだった。








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