Believer
今日も当たり前のように人が死んだ。
昨日、憧れの先輩の事を頬を染めながら話してくれた同室の友も。
そして彼女の憧れた先輩も。
調査当日私を励ましてくれた同期たちも。みんな、みんな。
動物が生き餌を捕食するごとく、いとも容易く肉塊と化した。
次は誰の番か。
巨大な弱肉強食の渦にぐわぐわ目眩がする。
廊下を歩いていても、足が地につかず、自分が此処に居ない感覚がした。
夢より目が冴え、現より霞がかっている。
最後の気力を振り絞り、報告書を握りしめた。
私の所属班は、私以外全滅した。
故に、団長室にこれを届けることが出来るのは新兵の自分だけだ。
普段なら恐れ多く緊張で震えるであろう状況も、今はその気力すら残っていない。
やる気なくドアをノックすると、短い応答があり、そっとノブをひねった。
「失礼します。第三班の壁外調査の報告書を提出に参りました」
「ああ、こちらに」
壁外から帰還し、慌ただしく指示をして回り、誰よりも忙しかったはずの男は異様な程平静を保って其処にいた。
私もこの人のように冷静に俯瞰できる強さがあれば、班員を救えたかもしれない。
節々に疲労が蓄積した肉体に鞭を打ち、一歩ずつ机に近づく。
団長は報告書の束を受け取ると、ぱらりと目を通した。
「…確かに」
本来なら、ここで敬礼をして去れば任務は終了だ。
それなのに私は何故か動けなかった。
紙束を机上に軽く打ち付けて揃えると、青い双眸が私に向き直る。
果てなく広がる空の色に、吸い込まれそうだ。
壁外とは違う、労わり慰める瞳が私を見ていた。
「ご苦労だったな、なまえ」
優しい低音を聞いた瞬間、堪えていたものが瓦解した。
「っ…はい……」
張り詰めた糸が切れたように、奥の方から意思に反してぼろぼろと涙が溢れてくる。
ああ、もう此処は壁の中なんだ。
巨人はいない。
私は生きてる。
帰ってきたんだ。
壁の外に置いてきぼりにしてしまった仲間たちを思う悲しみ以上に、感情を支配する安堵を抑えきれなかった。
「なまえ」
いつの間にか、席を立った団長が私と対峙する。
「団長…私は、何も出来ませんでした。仲間を助けることも、仲間の為に泣くことすらも。今だって、助かった安心感でいっぱいなんです。私は調査兵団には向いていないのかもしれません…」
自分でも呆れるほど弱気な言葉が口から出ていた。
「何で、私なんかが生きているのでしょうか、私よりも生き残るべき人は沢山いたのに…」
よりによって団長の前でこんな事を吐くなんて、私はどうかしている。
「そんなことはない」
不意に目の前に伸びた指に、思わず身が竦む。
今し方太陽の下で刃を掲げ導いた手が、机越しに私の涙を拭った。
悪魔と呼ばれている男の手は、思った以上に温かかった。
「君は今日己の弱さを思い知ったことだろう。真っ先に死ぬのは強さを過信した人間だ。それが例え誰の犠牲の上に得た結果だとしても、生きていることを迷ったり、恥じたりする必要はない」
強い決意と責任を秘めた目が、私を捕らえて放さない。
どれだけ修羅場をくぐり抜けたら、団長のような揺らがない意思を背負えるのか、想像もつかない。
「なまえ、よく帰ってきてくれた」
「っ、はい」
きっとこの人はこうやって、今迄も多くの部下を鼓舞し慰めてきた。
私もその中の一人に過ぎない。
激励も団長職の一貫だろう。
それでもいい。
堪えようとすればするほど流れる涙も、いつかは花を潤す水にしようと、エルヴィン・スミスの前でなら思える。
彼は、人類の希望だ。
だって団長は、私が誰にも見られず死んだとしても、忘れないでいてくれると確信出来るから。
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