book | ナノ
 あんぜんちたい

シャワーの水音を聞きながら、布団の中でシーツに紛れていたそれを引っ張り出す。

私の上半身を覆って余りある大きなシャツ。

素肌の上に羽織ると柔らかな生地が体を包み込んで、まるで後ろから抱き締められているみたいだ。

香水と汗と、土の匂いは午後の予行訓練で付いたものだろうか。

切ないような、嬉しいような奇妙な充足感に襲われて、己の肩を強く抱いた。

安全地帯。

そんな言葉が脳内に浮かぶ。

この匂いが存在している場所は、何人たりとも侵せぬ城塞だ。
香りは揺り籠となり私をかき抱き保護する。

シャツ一枚がもたらす絶対的な安心感は何万枚の羽毛布団があっても再現出来ないだろう。

「なまえ、こっちへおいで」

きしりとベッドの反対側が沈んだ。

「エルヴィン」

背後に腰掛けたエルヴィンが私を呼ぶ。

窓から漏れる月の光を背にし、引き締まった上体が浮き彫りになる。
髪に付いた水滴がきらきらしていた。

「…もうちょっと」

余った袖を引き寄せ抱き締める。

もう少しこの余韻に浸っていたかった。

「…本物が隣に居るのにシャツに浮気とは随分じゃないか」

後ろから脇の下を潜る手が腰を捕らえ、脚の間に閉じ込められる。

肩からずり落ちたシャツはあっという間にシーツの一部になった。

「エルヴィンこそ、いい大人がシャツに嫉妬なんて笑っちゃうわ」

「言ってくれるね」

下腹部を囲う腕に力が入る。

シャツに染み付いた匂いよりも生々しくて強い香りがした。
お風呂上がりの石鹸と滴の香りもある。
それらは紛れもなく生身の人間が放つ生の匂いだ。
ならばシャツは生の残り香か。

腕の拘束を掻い潜ってシーツの中から布切れを引っ張り上げ、もう一度顔を埋めた。

淋しくて、泣きそうなくらいに満たされている。
エルヴィンだけど、エルヴィンじゃない匂い。
布に移った記録。

「もしエルヴィンが死んだら、形見
にこのシャツが欲しいわ」

一瞬だけ手の力が緩んだ。
変な女だと、思っているだろう。
しかし直ぐにまた抱きすくめられる。

「…ああ、いいよ。クローゼットの服は全部あげよう。だから今は、私を見てくれるかな」

振り返り見る細めた双眸には青い炎が揺らぐ。
例えこの灯火が消えてもシャツは遺る。

そうしたら私は移り香たちに囲まれて、この布の切れ端から鼓動を聞こうとしよう。

重なる口唇から侵入する熱を逃がしたくなくて、この人がつくる安全圏に肩を寄せた。

今日一晩で、新しい匂いが染み付くことを期待して。













. prev|next
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -