紳士 1
午後、なまえは区長との会談として憲兵団支部を訪れていた。
もちろんただの随行員であり、自身は何の権限も持たない。
普段ならば、ハンジ分隊長かリヴァイ兵長が随伴するのが妥当だが、分隊長は研究が忙しいとかで、兵長は新兵の訓練に付き合っており、珍しく二人とも予定が合わなかった。
そこにたまたま通りががったそれなりに調査兵団に長く所属し、要領をわきまえているなまえが選ばれたというわけだ。
なまえの前を歩く大きな背中は、言うまでもなく団長その人である。
つかつかと迷いの無い足取りで通路を進むエルヴィンに、なまえは少し小走りで追いつく。
外付けの廊下は中庭に面しており、庭では昼休みなのか憲兵団の女性たちが集まり楽しげに会話していた。
その光景を見るともなしに眺めながら歩いていたが、ふと女性の一人が此方に気付く。
小声で話される内容もなまえには嫌でも耳に入ってきた。
「あ、エルヴィン団長だ!」
「え?本当だ!珍しい」
「…エルヴィン団長ってさあ、上官方は目の敵にしてるけどさ…ぶっちゃけ格好良いよね」
「わかる!紳士って感じ!?」
「あんな彼氏いたらなー」
「ぎゃははは!あんたには無理!!」
頭の悪い会話に耳を塞ぎたくなった。
ちらりと団長を見上げれば、微動だにせず前を向いている。
なまえは、心中で小さな溜息をつく。
団長はもてる。
基本的には物腰が柔らかいし、憲兵団の上司の様に無意味に怒鳴ったり、必要以上に仕事を押し付けたりしない。
加えてこの外見だ。
余り感情を表に出す人でないから無愛想に思われるし、数々の悪い噂から畏怖や敬遠の対象とする人が多いが、その顔はよく見ればかなり整っている。
日の光に透ける金髪と空色の瞳は、はっとする程綺麗だし、長身で引き締まった体躯は昔禁書で読んだ古代彫刻みたいだ。
調査兵団団長という奇特な職でなければ女が放っておかないだろう。
実のところ、なまえも憲兵団の頭の悪い女子達と大して変わらないことを自覚していた。
彼に上官への敬意以上のものを抱いてもう何年になるだろうか。
今日だって本当は久し振りに団長と一緒の仕事になって、内心飛び上がる程喜んでいる。
ただ、近くなればなるほど、中庭の彼女達のように素直になれない。
自分みたいな取り立てて褒める所もない平凡な一兵士、名前を覚えて貰っているだけでも奇跡なのだ。
一度そう思ってしまうと、怖気付いて何も出来ないでここまで来てしまった。
なまえは庭で茂る青々とした芝生ですら憎々しくなった。
「わっ!」
突然柔らかい壁にぶつかり、慌てて退いたところで、それが人の背中だと認識した瞬間、血の気が引いた。
いつの間にか団長は歩調を緩めていたらしい。
「大丈夫か」
「し、失礼しました!」
失態をひたすらに恐縮すれば、頭上から穏やかな声。
「いや…それより、すまなかったななまえ、君も仕事があるのにこんな事に付き合わせてしまって」
「と、とんでもないです!」
”紳士って感じ!?”
女子達のはしゃぐ声が反芻される。
「さあ行こうか」
「はいっ」
軽く微笑んで再び歩き出した背中を早足で追いかけた。
「では、失礼致します」
報告を終え帰り支度を始めるエルヴィンに、支援者は白い封筒を差し出した。
「そうだ、君にこれを渡し忘れていた。来週を楽しみにしているよ」
「……どうも」
やけに歯切れの悪い口調になまえは首を傾げた。
扉が閉まった後でその封筒を眺めれば、意を察した上司が苦笑する。
「参ったな」
「あの、それは…?」
「パーティーのお誘いだ。またハンジを説得して連れていかなければ。骨が折れるな」
調査兵団は常に資金難に喘いでいる。
それを解決する方法の一つが、支援者の出資だ。
貴族や議員等が集まるパーティーに出席し、コネクションを確保し彼等の支援を仰ぐ。
社交も団長や幹部にとっては重要な仕事の一つであることは無論なまえも知っていた。
胸元の内ポケットに封筒を収め歩き出した背中に、ぽつりと呟く。
「…私では駄目ですか?」
「え?」
振り返ったエルヴィンの驚いた顔に、口走った台詞を初めて自覚した。
顔から火が出るとはまさにこのことだ。
「す、すいませんっ!何でもないです!」
羞恥に目を瞑る部下を前にエルヴィンは暫し顎に手を当て黙考し、
「…いや、本当に君が随伴してくれるというなら助かるんだが…頼めるか?」
「え…?」
なまえにとっては冗談のような言葉だが、上司の顔はいつも通り至って真面目である。
この時彼女の中にあったのは、期待や邪心でもなく、ただただ純粋な驚きと喜びで、その先の事など考えもしなかった。
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