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 正夢

引き千切られた体。
血みどろの大地。
絶叫と呻き声。

私の目の前に転がっている肉体。

それは、



無駄足だろうと思って団長室に足を運んで、心底ほっとした。

ドアの隙間からうっすらと明かりが漏れているのを確認して、ノックする。

名乗るとやや間があって、入室を許可する声。

「どうした、なまえ」

団長はジャケットもベルトも着けておらず、普段見慣れない寛いだ格好に不覚にもどきりとした。

瞳には若干不審の色が窺えたが、
こんな時間に訪ねたのだから当たり前だ。

どうしたと、そう問われてもまさか悪夢を見ましたなどと言える訳がない。

「あの…今日の巡回当番なんです。まだお仕事されているようでしたので…何かお手伝い出来ることありませんか」

咄嗟にしては我ながらいい言い訳じゃないだろうか。

「…では、紅茶を淹れてもらえるか」

「!はい」

帰れと言われなくて良かった。

紅茶という細やかな免罪符に安心して部屋に入る。

団長は特に私を気にする風もなく書類を書く手を動かし続けていて、それが寧ろ許容とか歓迎であるようで、少し嬉しい。

静まり返った兵舎は、この世界に私と団長しか居ない錯覚を起こさせる。

書類を捲る音や、ペン先で机をコツコツと叩く音、シャツの衣擦れの音。

紅茶を淹れながら聞く、団長が出す音全てが彼が生きていると実感させて、体を安心が支配していく。

この人が、私の中でこんなにも大きな存在の人だったとは。

悪夢に気付かされるなんて何と皮肉なのだろう。

「どうぞ」

暗い中難儀して淹れた紅茶を、執務机の端に置く。

団長は此方を一瞥し、ありがとうと言ったきりその目は書類に戻る。

私はどうしたらいいのかわからず立ち尽くす。
団長に命令された業務は終了したのだから、本来ならこれ以上邪魔をせずさっさと立ち去るべきだろう。

本当はまだ帰りたくないが、留まる正当な理由が無い。

仕方なく下がろうと足を引いた瞬間、団長の薄暗闇でも綺麗な碧が、私を捉えた。

「ところで、」

ペンを走らせる手を止め、意識を全てこちらに向けられたことに身構える。

「此処に来た本当の理由は何だ?」

私を探る目にびくりと自分でも笑えるほど肩が震えた。

「な、んの事ですか…」

引きつった声では誤魔化しにもならない。

「巡回ならさっき来た」

「……!」

何も言えずただ汗ばんだ拳を握り締める。どうしよう、どうしよう。

「なまえ、怒りはしない」

言ってごらん、その声音が思った以上に優しくて、少し泣きそうになった。

私は存外単純らしい。

「………笑わないで頂けますか」

「わかった」

そんな単調な返事でも信用できるのは団長だからだ。

「…夢を、見ました」

真っ暗な中に一人取り残された、生々しい感覚が蘇ってくる。

「壁外調査で皆死んで…私の目の前に団長が倒れてて、」

「ああ」

「血が止まらなくて、呼んでも返事をしてくれなくて、それで…目が覚めたら正夢じゃないかと怖くなったんです」

「なんだ、そういうことだったのか」

さっきまでの追及する眼光から一変して、きょとりとした瞳が、納得したと語った。

笑いもしなければ怒ってもないが、元々大きな目をさらに丸くした団長はどこか子供っぽい。

怪訝な眼差しを向ける私に気づいたようで、

「いや、あまり青白い顔をしているものだから余程深刻な相談でもあるのではないかと思ってね」

私の淹れた紅茶を一口飲むと、ゆったりと椅子に掛け直す。

「まさか兵団を辞めたいとでも言われたらと… 早合点で良かったよ」

「そんなこと…」

辞める訳がない。
もうとくっにこの人の側を離れられない所まで来ている。
私だけでなく、団長の部下はみんなそうだ。

上司の死ぬ夢を見たと泣きつく部下など怒鳴りつけられても仕方ないのに、さも容易に理解して、受け容れて、貴方は何者になるつもりだろう。

紅茶を飲み干した団長は、小さく息をつく。

「大丈夫だ安心しなさい…とは言えない。私も、もちろん君も、何処でどんな風に死ぬかわからない。君の夢が正夢になるかもしれない」

「……はい」

残酷なことを明日の天気みたいに言われて、胸が絞まる。

「だが、正夢にならないよう出来る限りのことはしよう…約束するよ」

「っ…はい…!」

下瞼に込み上げてくる熱を、歯を食いしばって耐える。

そうだ。
団長はそういう人だ。

無責任に適当な事を言ったりしない。いつでも動じず冷静に救いをくれる。

「なまえ、紅茶のお代わりを貰えるかな。それから君の分も。気の済むまで此処に居るといい」

「いいんですか…?」

夜明けはまだ遠く、窓の外は星たちが底のない闇にもがいている。

再びペンを手にした目の前の人は、私の問いに一度瞬いた。

「もちろん。それに…丁度私も話し相手が欲しかったところだ」









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