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 A lifelong wish

ノックも無く血相を変えて団長室に駆け込んできたなまえに、エルヴィンは何事かと執務の手を止めた。

上司の姿を認めたなまえは半泣きで団長に駆け寄る。

「団長お〜!!」

「なまえ、何があったか知らないが、取り敢えず落ち着きなさい」

「で、ですが一刻を争う緊急事態なんです!」

「というと?」

なまえはエルヴィンに詰め寄った。

「団長、一生のお願いがあります!」




時は数分前に遡る。

ハンジの部下であるなまえは、いつものように、研究室に篭る上司の元を訪れた。

「なまえ!丁度良い所に!!」

狂喜したハンジに肩を揺すぶられ、なまえは悪い予感しかしなくなった。

「見てくれなまえ!!ついさっき完成したんだ!!」

ハンジは青の様な緑の様な形容し難い色の液体が入った小瓶をなまえに見せつける。

「これはね、人間の筋肉を細胞を活性化させることによって馬のように…」

ご高説が始まったのはいいが、こんな色した液体がまともな薬であるわけがない。いやそもそも問題はそこではない。

なまえはじりじりと後ずさる。
しかしハンジに目ざとく見つかってしまった。

「そこでだ!!優秀な部下である君に、是非この薬を試してもらいたい!」

「やっぱりいい!!絶対嫌です!!」

「なまえ!!どうして!!」

悲壮な顔で叫ぶハンジになまえは負けじと反論した。

「そんなに被験体欲しいなら自分がやりゃいいじゃないですか!!」

「もし私に何かあったらデータの記録は誰がするんだい?!」

「知りませんよ!ていうか何かあるかもしれないような薬を部下で試さないでください!!」

徹夜明けの興奮状態の分隊長程たちの悪いものはない。
なまえは脱兎のごとく研究室を飛び出した。

「待ってくれなまえ!!君にしか頼めないんだ!!」

ハンジは鬼の形相で、なまえを追いかける。巨人に追われる方がましかもしれないとなまえは思った。

何処をどう走っただろうか。
自分がいま何階にいるかも分からない。
後ろに誰も居ないのを確認して、歩調を緩める。

「私のなまえ!!何処に行ったんだい!!」

「ぎゃ!!」

遠くから分隊長の声が聞こえる。
まだ諦めてくれないようだ。
なまえは咄嗟に目の前の扉を開け滑り込んだ。

其処にいたのはいつもと変わらぬ穏やかな顔、もとい無表情の団長で、なまえは安心感に泣きだしそうになった。

たまたま逃げ込んだのが団長室とは不幸中の幸いだ。

なまえははぐれた親を見付けた子どものような気持ちで団長に駆け寄り、今に至る。

以上の事の経緯を掻い摘んで説明する間、エルヴィンは聞き入っていたが、なまえが一区切りついたのを見て口を開く。

「そうか…災難だったな。それで、部下が困っているなら助けるのはやぶさかではないが、一生のお願いとはなんだ?」

「私を此処に匿ってください!!このままじゃ馬かなんかにされてしまいます!!」

「馬…?」

エルヴィンが眉を顰めるのと、扉の向こうからハンジの声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「なまえ!どこにいるのかな?!痛いことしないから出ておいで!!」

「っひ!!」

「なまえ、こちらに」

エルヴィンはなまえの手を取り自分の方へ引き寄せた。

直後に団長室の扉が勢い良く開く。

「エルヴィン!なまえを見なかったか!?」

「さあ、見ていないな」

「おっかしーな、確かにこっちで声がしたんだけど…」

ハンジはエルヴィンしか居ない室内を見渡して首を傾げる。

「気のせいじゃないのか」

「そうかなあ?せっかく楽しいこと…重要な研究をしようと思ったのになあ」

ハンジとエルヴィンのやり取りに耳を澄ませながら、なまえは息を潜めていた。

エルヴィンに押し込まれたのは、彼の執務机の下だ。

なまえの目線からではエルヴィンの足しか見えない。

大きなブーツはぴかぴかに磨かれていた。
普通団長クラスともなれば、身の回りの世話は多少なりとも部下に任せるものだが、彼は一切それをしない。

靴磨き一つでさえ、自分でさっさとこなしてしまう。

部下には柔軟に対応する癖に、自分の事は絶対人に任せない。

机の上から響く低音は心地良く、四方が塞がれている所為で、まるで小さな壁の中で守られているみたいだ。

ぼんやり団長のつま先を眺めていると、扉の閉まる大きな音がして、はっと我に返った。

「行ったぞ、出れるか?」

なまえは目の前に伸びてきた手を、一瞬戸惑ってから握った。

「…助かりました。ありがとうございます」

「どう致しまして。しかしハンジも困り者だな。後でよく言っておくよ」

「はは…」

直属の上司の奇行には乾いた笑いしか出ない。

「すいませんでした、仕事中にご迷惑お掛けして…」

「構わないさ。君が机の下にいても書類は出来る」

慰めているだけかもしれないが、取り敢えずエルヴィンの邪魔になっていないらしい事にほっとして、なまえは扉口に向かった。

「では、失礼しました」

「…戻るなら止めはしないが、あの様子では暫く君を探しているだろうから、リヴァイ辺りに止められるまで此処に居た方が良いと思うが」

意外な提案になまえは戸惑う。

「ですが…団長のご迷惑に…」

「さっきも言ったように、私は迷惑ではないよ。それに大事な部下が馬になるのは私も見たくないしな」

書類にペンを走らせながら、目だけをなまえに向けて、優しく話し掛ける。

エルヴィンの後ろの窓から差し込む光が、その輪郭を溶かし、なまえは目を細めた。

「では、せめてお手伝いさせてください」





「そう言えば、良かったのか?」

「何がです?」

頼まれた本を棚から探しているなまえに、エルヴィンは思い出したように尋ねた。

「一生のお願いをこんなことに使ってしまって」

「あの時は必死で…でも生命の危機には間違いないので良かったんじゃないですかね」

なまえははにかみながら答える。

「はは、確かにその通りだ」

笑みを浮かべるエルヴィンは珍しく饒舌だ。
なまえは嬉しくなって、少し調子に乗って聞いてみた。

「団長は一生のお願いはいつ使うんですか?」

「そうだな…」

ペンを走らす手は止めず、

「では今使おうか。なまえ、一生のお願いだ、美味しい紅茶を淹れてくれるか」

「えっ?!」

なまえは持っていた本を危うく落としそうになった。

「駄目かい」

「いえ、団長がそんな冗談仰るなんて…」

「たまにはいいだろう」

「…すぐ淹れてきますね!」

なまえは本をエルヴィンに預けると、部屋の端にあるティーセットが乗った机まで小走りに駆けた。

まさか、団長が一生のお願いに自分を指名するなんて、冗談とはいえ思いもよらない。

突然の事に喜んでいいのかすらわからない自分がいた。

なまえはお湯を沸かしながら、その水が泡立つのを見るとはなしに眺める。

エルヴィン団長を初めて目にした者なら、その威厳や大胆すぎる発想に、ただ恐れたり、畏怖したり、または嫌悪を抱く者も居るだろう。

でも長く付き合えば分かる。
表情は乏しいし、大勢と騒ぐこともなくて取っ付き難いが、本当はとても居心地のいい人なのだ。

多少の軽口を叩いてもすんなり話を合わせてくれるし、どんな階級の部下の発言も必ず傾聴する。

街にも兵団上層部にも、彼を疎む人種は居るが、こんな上司を持てなかった彼等を可哀想とすら思う。

どうせ人はいつか死ぬのだから、一生のお願いを今使い果たした所で惜しくはない。

団長の雰囲気が作り出すこの空間で世界で、息絶えることができたらどんなに幸せだろう。

カップに注ぐ紅茶は、至福の色がした。







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