星の瞳
※訓練兵時代
地下の懲罰房の奥に明るい金髪を認めてなまえは溜息をつきたいのを堪え声を掛ける。
「エルヴィン・スミス。またここにいたの?」
「…教官」
独房の隅に座る少年は真っ青な若々しい目で彼女を見上げた。
「その呼び方はやめて。何度も言ってるけど私は正式な教官が決まるまで臨時で派遣された助手だから。普段はただの調査兵よ。ああ、そういえば貴方も調査兵団志望だったわね」
なまえは立体機動の腕を買われ、一時的に不足した教官の代理として呼ばれた言わば技術顧問のような役割だ。年齢も訓練兵とさほど離れていないし、先生呼ばわりされるのはどうも慣れない。
冷たい石畳に膝をつき、問題の張本人と目線を合わせる。
「上手くやんなさいよ優等生君。そういうの得意そうなのになんで毎回こうなるのかしら…」
訓練兵最終学年のエルヴィン・スミス。一年目から座学も実技も常にトップクラス、若干協調性が足りない所はあるが、それを上回る才覚で仲間を的確に指揮し、模擬任務も容易くこなす実力から信頼は厚い。
将来兵団の幹部を担うであろうことは明白だった。
しかし彼の非凡な作戦立案、時には友人を囮にすることもある演習は上官からすれば有望な人材だが、まだあどけない少年達にとって疎ましい孤高の存在で、しばしば仲間内で軋轢を生んでしまう。
放っておけばいいものを、売られた喧嘩を買ってしまうのはやはり彼もまた子どもだということなのか。
「その鍵は?」
十代とは思えない視線で目敏く追及する少年を窘める。
「余計な心配するんじゃないの。ちゃんと許可取ってきたから。あ、出たら教官方には反省してる素振り見せといてね、私の名誉の為に」
上官を説得し預かってきた鍵で鉄格子を解錠するのも何度目のことか。
懲罰房に入る者は犯罪者ではないので基本的には手錠も足枷も付けられていない。
視線で出るよう促すが、少年はじとりと湿った眼差しを彼女に向け、微動だにしない。
「エルヴィン?」
なまえは痺れを切らし名を呼んだ。
「貴女はどうしていつも僕に構うのですか」
悪いことをしたのは彼だと言うのに鋭い眼光に息が詰まる。
彼に大人の誤魔化しは通用しないだろう。
「ほっとけないのよ…捨て身なことばかりして…」
調査兵はともかく、壁の中の殆どの人間は巨人を知らない。
無理もない。
百年という長い月日は人類を堕落させるには十分な期間だ。
事実訓練兵団には有能な訓練兵ほど内地を選ぶジレンマを甘んじて受け入れている部分もある。
だが、彼は違う。
いつもまるで何かに駆り立てられているように行動には強い目的意識が感じられ、少年らしい真っ直ぐな瞳は壁の外のさらに向こうを見ている。
腐った人間で溢れた壁の中、彼だけは一筋の光を芯にしていた。
だからこそ、心配なのだ。
光が強ければ影も濃い、彼を貶めんとする連中に揺らがぬようにと願っている。
「ほら、出なさい」
差し出した手は強引に掠め取られ、なまえはバランスを崩しエルヴィンの胸元に倒れ込んだ。
文字通り息つく暇もなく、その唇は奪われた。
「っ、ちょ…!」
口内を探る舌は舌先をからめ、歯列をなぞり、暫し蹂躙を楽しんでいたが、やがて胸板を押し返す腕を一瞥し離れる。
対峙した瞳に幼さは掻き消え、真っ直ぐに射抜く輝きがそこにあった。
この目には弱い。
全てを悟るかのような眼差しについ視線を逸らす。
なまえはいくら秀才と言え、相手は少年であるのに抵抗出来なかった自分を歯痒く思った。
小慣れたキスは十代にしてはやたら大人びている。
「どこでそんなやり方覚えたのよ」
「こんな時まで手加減するんですか。相手が巨人じゃないから?」
エルヴィンはなまえの質問には答えず上官を尋問口調で問い詰めた。
その剣幕に彼女は思わず怯む。
「俺は、調査兵団に入ります」
何を今更、と睨めば少年は決意をあらわにした語調で続けた。
「兵団で出世して…貴女を部下にする」
「な…!」
開いた口が塞がらないとはまさに今の状況で、大口叩く訓練兵に唖然として言葉を失うなまえにエルヴィンは尚も追い打ちをかける。
「そうしたら子ども扱いされませんから」
だから、それまで生き延びて下さい。
小さな呟きは懲罰房の硬い石壁に浸透する。
湿気た空気中、彼の声だけが明瞭だった。
「…優秀だからって調子乗り過ぎじゃないかしら」
「俺は本気ですよ」
なまえは真っ直ぐに射抜く青を覗き込んだ。
この強引さがいつか役立つ日も来るだろう。
「その真剣さを壁外調査で発揮してくれるのを楽しみにしてるわ」
わざとらしく柔らかな金髪を撫で乱せば、整った顔が僅かに不満気に歪む。
「また子ども扱いですか」
「だって子どもだもの」
まだ壁の外を知らない光は曇りなく美しい。
「なんならさっきの続きをしましょうか?」
彫りの深い目鼻立ちが近付いて思わず怯んだが、年上の威厳を保つ為冷静を装い肩を押し返す。
「…貴方の部下になったら考えておく」
立ち上がり埃を払い、再度訓練兵の前に手を伸ばした。
「さ、演習に戻りなさい」
握り返す力強い掌に、青い炎がこれから先も立ち消える事のなきように願った。
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