すいせい 小説 | ナノ




call blue
アオ ト ヨブ


 欠伸をしながら空に顔を向けた時、視界に何らかの違和感を感じた。次の瞬間には朝の白い太陽と重なった空間が歪んだ。
 ただの一瞬のことで、瞬きした直後、目の前には彼の半分ほどの背丈の白ウサギがこちらを見つめ、長い耳を一度振ってからにこりと笑った。
 ぼんやり目をしばたかせた彼は不意に我に返ると、目を覚ますようにと首を左右に振った。一瞬で乱れた蒼い髪の下から覗いた片目が眠たげに揺らいでいる。

 ややあって、数回瞬きした彼は、雪のように白い毛並みのうさぎを指差して叫んだ。


「わかった!」
「え?」
「これ最後は夢オチでしょ?」
「な、何が?」
「あっ、でも俺アリスじゃなくてラージって名前だけどいいのかな。しかも十六だし男だけど」
「……ああ、不思議の国のアリスのこと? 残念だけど、僕は時計うさぎじゃないよ」
「えー、そうなんだ……でか深い縦穴に転げ落ちるのかと思って身構えてたのに」


 彼――ラージは均整のとれた顔に、いかにも残念そうな、かつ、つまらなさそうな表情を作ったが、瞳のその蒼の奥には先程の眠気に変わって好奇心がきらきらと輝き映っている。


「じゃあさ、君は何?」 彼が尋ねると、白いうさぎはふさふさの尻尾を一度ぴくりと動かし、誇らしげに胸を張ってみせた。


「僕は贈り物配達うさぎのラパン。君に贈り物を届けに来たんだ!」


 ラパンという白いうさぎは被っていたシルクハットを少し持ち上げ、中から青いリボンで結ばれ、銀の紙に包装された小さな箱を取り出した。青いリボンがついたその小さな箱を、彼は恭しくラージへと差し出した。


「差出人カイト様より貴方への贈り物です」


 ラージはそれを不思議そうに受け取ると、小さな箱を開けた。その中にはブレスレットがあった。きらきらと陽光を反射してまるで宝石のような気品をもつ雪の結晶がついている。彼はブレスレットを取り出すと目を丸くした。


「わあああなんか高そう!」
「……。あ、あのね、そのブレスレットの結晶は差出人の世界のもので、どんな高温にも溶けない不思議な雪の結晶なんだって」
「わーお! 俺、結構似合うかも?」


 小綺麗な左手首にブレスレットをはめて、にこにこ顔で無邪気な声を上げるラージに、ラパンは真面目に聞いてよ、と頬を膨らませた。


「これ俺が貰ってもいいの?」
「もちろん。君宛ての贈り物だからね」
「わーいありがとう! 大事にするよ」


 子供のようなリアクションのラージを見て、変わった人だと思いながらラパンは苦笑した。が、思い出したようにシルクハットからペンと一枚の紙を取り出し、再びラージに差し出した。


「受け取り確認のサインを」
「りょーかい」
「あとね、君にお願いがあるんだ。今、忙しい?」
「うーん。……ま、問題ないかな。お願いって何?」
「僕にこの世界の案内をして欲しいんだ」


 瞬きを数回した後、ラージは無言で首を傾げた。髪で隠れていない蒼い右目には疑問の色が滲んでいる。ラパンはそんな彼に近寄り、手をとった。


「綺麗な景色、美味しい食べ物、面白い人、この世界で君がそう思うもの、僕に見せて!」
「ああ、なるほど! いいよ!」


 ラージは人懐っこい笑みを浮かべてラパンの手を握り返しぶんぶんと振った。ラパンはびっくりして悲鳴を上げたが、手を離されしばらくすると声を上げて笑った。


「じゃ、まずは綺麗な景色と俺の知り合いを見に行こうか。ぱぱっとね!」
「え?」


 突然、ぱぱっとと言われ、ラパンはすぐにはその意味を理解することが出来なかったが、彼の小脇に抱えられた時にそれがどういうものか体感した。同時に、彼がどういう人なのかが脳裏にびびっときた。

 ラージはとんっと軽く、雑草の生えた大地を蹴るといきなり走りだした。何の力も入っていない軽快な動きと、なんてことのない表情をしているが、通りすぎる森の木を目で追えない程速い。吹き付ける風も痛いくらいだ。ラパンは細めていた目のまま彼を見上げた。


「君、何者…?」
「ウェトネア族っていう、狼の血を引き継いだ一族の一人だよ。みんな力が強くて、足も速いんだ。ここは小さな島国なんだけど、住んでるのはみんなウェトだけさ」


 走りながら、ラージは驚嘆しているラパンに微笑んだ。そしてすぐに前を向くと徐々にスピードを落として立ち止まった。
 ラパンが辺りを見回すと、少し遠くに砂地が見えていた。ラージはラパンを下ろし、ゆっくりとした歩調で砂地に近付いていく。


「コーラルーー!」


 彼が一度叫ぶと、砂地の近くにいた様子の少女が顔を上げて片手を振った。ラパンも彼を追って砂地に近付くと、同じように綺麗な、長い蒼髪を右にまとめて編んだ少女がラージと話をしていた。


「ラージ、いつもより遅かったけど何してたの? 朝食の木の実は採れた?」
「え、あー……うん、そこそこ」
「そっちの子は誰? 見ない顔だけど、お友達?」
「あのね、この子はラパン。配達をしながら世界を旅してるんだって」
「あら、そうなの。小さいのに偉いね」


 少女が驚いたように言った。彼女の目にはラパンはうさぎではなく、まだ幼い普通の男の子にしか見えていないが、そうとも知らないラージはうさぎが自分たちと同じ身長だったら怖いなと一人苦笑した。


「ラパン、この子は俺の幼なじみのコーラル。さっき言った通り、ここのみんなは俺と同じ、蒼い髪で蒼い目なんだ」
「コーラルも走ると風になるの?」


 ラパンが尋ねるとコーラルは上品にくすりと笑った。


「ええ。私たちウェトは傭兵の一族なの。島の外の人に雇ってもらって、いろんなお仕事をするのよ」
「へえ! 例えばどんな仕事?」
「最近は海岸に打ち上げられたイルカを助けて欲しいって頼まれたわ」
「ええっ、イルカ!?」


 彼女の言葉に予想外だと言わんばかり目を見開き、夢中で話を聞いていたラパンだが、不意にラージに肩を叩かれ、驚いて跳び上がった。


「あ、驚かしてごめんね。あれ見て。君に見せて上げたかった景色」


 ラージは砂地の奥を指して言った。ラパンが目を向けるが、そこは何の変哲もない砂地で、その周囲は土手のように円形に盛り上がっているだけだ。大して美しい景色ではない。


「ただの砂しかないよ?」
「よーく見てて。きらきらが広がってくるから」


 ラージに言われて、ラパンは再び砂地に目を凝らした。すると、砂地のある一点に違和感を覚えて、その場所を凝視していると朝陽に照らされて煌めいているものが砂地に広がってきた。水だ。


「見えた?」
「うん、水が湧いてきた!」
「ここからがもーっと綺麗だからね」


 見る見るうちに、水はどんどん砂地から湧きたってくる。その場所を中心に円を画いて水は広がり、水位を増していった。一通り砂地が水に浸かると、今度は中心から水の広がった順に合わせて、焦げ茶色の砂が青白い色に変わり始める。短時間の間で砂地は先程とは一転、南海の浅瀬を縮小したような、小さな箱庭に生まれ変わった。

 目の前で起こっている摩訶不思議な現象に、ラパンは口をあんぐりと開けたまま固まった。そんな彼の傍にコーラルがしゃがみ、綺麗でしょうと微笑む。


「ここは、朝になると水が湧いてくる泉なの。夕方には水が引いてしまうけど、水のある間は魚だって泳いでいるのよ」
「これは海水なの?」
「いいえ、真水の涌き水よ。砂の白くなるのは、あの砂が水を吸い込むと色が変わるからなの。この島にはこういう不思議な場所がたくさんあるのよ」
「世界は広いね……僕、いろんなものを見てきたけど、改めてそう思った」


 感銘をうける彼の目の前で水はどんどん湧いた。やがて土手いっぱいに水が溜まり、一カ所削れて低くなっていた壁から水が流れ、大地に小さな川を作った。川は彼らの視界から消えるほど遠くに伸びている。行く先は海に繋がるのだろう。

 しばらくして、ラージが両腕を青空に掲げて伸びをした。同時にコーラルが、はっと何かに気付いて手を口に当てた。


「いけない、朝ご飯の材料集めてたことを忘れてたわ」


 彼女はすぐさま立ち上がり、二人へ作業に戻ることを伝え、ぱたぱたと走り去っていった。彼女を見送ったラージは、隣にいたラパンに苦笑してみせる。


「この島の住民はみんな自給自足なんだ」
「ラージも食べ物集めてたの?」
「うん。俺は今日、森で木の実集め。食べる?」








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