こころの準備ができるまでまって





 恭弥が好きだ、と告げたのはリング戦が終わり、未来でのリングを巡る更なる戦いが終わったあとだった。至極真剣に告げたディーノを、けれど雲雀は得体の知れないものを見るような、胡散臭そうな目で見た。両手で揃えていた書類を机の端に置いて立ち上がる。
「──で?」
 実際の時間としてはごく僅かな重苦しい沈黙のあと、雲雀は細首を斜めにした。
「へ?」
「だから、なに?」
 愛用の得物を弄びながら、雲雀は詰まらなそうに云う。
「戦ってくれないの。だったら見回りに行くよ」
 時間の無駄と云わんばかりに、雲雀はディーノの脇をすり抜けようとした。ディーノは慌てて細い腕を掴む。振り払われる前に、痩身を抱き竦めた。
「好きだ」
 力を緩め、驚いて呆然とした体の雲雀の黒瞳を覗き込む。切れ長の目がぱちりと瞬いた。
「だから──」
 ディーノはそこで一旦言葉を止め、息を吸い込んだ。ぴっと姿勢を正し、口調を改める。
「俺と付き合って下さい」
 雲雀はディーノを見つめ、たっぷりと間を取ったあと、ゆっくりと吐息をついた。
「寝言は寝て云いなよ」
「──寝言じゃねぇよ。本気だ」
 ディーノは細い肩を両手で掴んだ。雲雀の眉間に皺が寄る。
「そういう科白は女に云うものでしょ」
「──好きな人に云うもんだ」
 雲雀はゆるりとかぶりを振った。ディーノは眉尻を下げ、そっと雲雀の手を取る。
「俺は恭弥が好きだ。好きだから会いたいし触りたいし、もっと触れあいたい」
 目の前でふわふわしている金髪を見ながら、雲雀はもっと硬そうな暗褐色の髪と無精髭を思い出した。慌てて、またかぶりを振る。
「恭弥?」
 ディーノは怪訝そうに雲雀を窺う。ぎこちなく細首が動いた。雲雀は言葉通り真摯な眼差しに居心地の悪さを覚える。
「ごめんな。急に。でも、云わないで後悔したくなかった」
 ディーノは雲雀の手を離した。性別だけでなく、互いの立場を考えれば軽々しく告げられる想いではなかった。けれど後悔するなら、告げずにするよりも、告げてしたほうがいいと思った。
「お試しで構わないから、つき合ってみねぇ?」
 ディーノが今度は軽い口調で問いかけてみると、雲雀は三度(みたび)首を左右に動かした。
「好きだと、会いたいの?」
「──ああ」
「戦いたいわけじゃないのに会いたいと思うのは、好きだから?」
「──嫌いな奴とは顔会わせたくないだろ」
 独り言めいた呟きに言葉を返すと、雲雀は困ったような表情になった。ディーノは雲雀に好きな人がいたことに驚いた。自分が気づかせてしまったことと、相手が自分ではないことが悔しい。けれどそれを悟られないように淡く笑んだ。
「好きな子がいるなら、諦めるよ」
 本当は奪ってしまいたいほど愛しいけれど、何よりも自由気儘な雲雀が好きだ。
「好き、なのかどうか、解らない。でも、僕が会いたいと思うのは、貴方じゃない」
 戸惑いを含んだまま、切れ長の双眸が伏せられる。ディーノはくしゃくしゃと黒髪を掻き撫でた。
「残念。俺は恭弥に会いたいから会いに来るけどな」
「貴方とはつき合えないよ」
「気が変わることもあるかもしれないだろ」
「戦ってくれるなら毎日来てもいいよ」
「ひでぇ」

 顔を合わせれば愛用の得物で殴りかかってくるような凶暴な子どもをいつから可愛いと思うようになていたのか、シャマル自身はっきりとは思い出せない。もしかしたら、桜の咲き誇る夜にすでに惹かれていたのかも知れない。顔だけならば文句なしに好みだった。
 赤い顔で得物を振るう雲雀の手首を掴み、シャマルは溜め息をついた。
「お前ね、発熱してるときは温順しくしてなさいよ」
「なんのこと」
「体温、上がってるだろ。熱いぞ」
 振り払おうとした雲雀を引き寄せ、シャマルは痩身を抱き込んだ。トンファーが雲雀の手を離れて落ちた。
「離せ」
 雲雀がもがく。無理に腕を捻ろうとしたのでシャマルが力を緩めると、するりと拘束から抜け出してトンファーを拾い上げた。
 銀色の凶器が振り下ろされるのと、シャマルの放ったモスキートが雲雀に到達するのはほぼ同時だった。もちろん仕込まれているのは不治の病ではなく、ただの睡眠薬だ。かくんと雲雀が脱力した。シャマルは頽れた体を抱き留める。
「ったく。手間かけさせやがって」
 ぼやきながらも、シャマルの雲雀を見つめる眼差しは柔らかい。ひとまず保健室のベッドに寝かせ、手早く雑用を片づけた。雲雀を支えながらドアに施錠していると、特徴のある生徒が近寄ってきた。風紀委員会の副委員長というよりは、雲雀個人の部下といったほうがしっくりくる男だ。
「こちらでしたか」
 草壁はやはりと云いたそうな顔に安堵を滲ませて云った。
「ここまで上がる前に連れて来いよ」
「試みてはみましたが」
 朝から発熱していることに気づいてはいたが、動ける間は動くのが雲雀だ。だから拗らせるのだが、進言しても聞き入れてはもらえないし、力ずくなど以ての外だ。
 シャマルはやれやれと嘆息し、丁度いいので草壁に手伝わせて雲雀を車に運んだ。草壁は運転席に乗り込むシャマルに、宜しくお願いしますと頭を下げた。シャマルはひらりと手を振って車を発進させた。
 男はもちろん女だって招じ入れたことのない寝室のベッドに雲雀を下ろし、シャマルは苦しげな寝息に眉を曇らせた。悪化したのは自業自得なのだし、風邪だから寝ていれば治ると解ってはいるが労しい。
「もっと前においでよ。そのための保健室なんだから」
 他の男だったらもっと重篤でも追い返すだろうことは棚上げして、そっと黒髪を梳く。トンファーを構えていても、怪我の治療のためでも、雲雀が来てくれるのは嬉しい。けれど、それを口にしたことはなかった。見守っていられるだけでいいと思う気持ちと、手に入れたいと思う欲望とが鬩ぎあって、結局は当たり障りのない応対しか出来なかった。これまで、それこそ星の数ほど相手にしてきた女たちとは、勝手が違いすぎた。平等になど愛せない、唯一の特別な存在だ。
 繰り返し頭を撫でていると、雲雀が身動いだ。シャマルは手を止め、様子を窺う。もぞもぞと細い手が上掛けから出てきた。布団に戻そうとしたら、きゅっと掴まれた。驚いて、鼓動が跳ねた。
「ヒバリ…?」
 恐る恐る呼びかけるが、応(いら)えはない。シャマルは動悸を鎮められぬまま、さっきよりも穏やかになった寝息を聞いた。

 見知らぬ部屋のベッドの上で目覚めた雲雀は、そうと気づくや、ばっと跳ね起きた。途端に頭がずきずきと痛んだが、すぐにナイトテーブルに置かれたトンファーを掴んだ。首の後ろに貼られていた冷却シートを剥がして臨戦態勢を整えつつ、記憶を手繰る。
 校内の見回り中に、シャマルと出会した。ディーノの告白を断った日から、保健室へは行かないようにしていたのだったが、近くを通りかかったところで遭遇してしまった。考えるよりも先に、殴りかかっていた。そのあとの記憶がない。
 足音も気配もなく、徒人であれば聞き逃しかねないほどの静かさでドアが開いた。雲雀は瞬間的にトンファーを握る手に力を込めた。が、入ってきた想像通りの人物を認めると力を抜いた。
「起きちゃった? 俺の部屋だよ」
 一瞬だけ感じた殺気に内心で苦笑しつつ、シャマルはゆっくりとベッドに歩み寄る。
「まだ本調子じゃないだろ。物騒なものは離して寝てな」
 長い前髪を掻きやって額に触れると、邪険に払われた。雲雀は眉をハの字に下げるシャマルを睨めつけ、けれどすぐに項垂れるように俯いた。
「ヒバリ?」
 大きな手の平がそっと頭に乗せられる。雲雀は痛む頭を左右に振った。
 10年後だという世界でシャマルと会うことはなかった。並中の保健室にも、当然のようにシャマルの姿はなかった。会いたかったのだと自覚したのは、戻ってきてからだった。そしてその感情の意味はディーノに教えられた。知りたくなかった、と思った。そんな感情は不要なものだ。けれど、気づかずとも認めたくなくとも存在することに変わりはなく、消し去ることも出来なかった。
 雲雀は一度瞑目し、息を吸い込んだ。
「帰る」
 短く云ってベッドを下りようとしたが、シャマルに阻まれた。上体をヘッドボードに押しつけられる。
「駄目」
「放して。男は嫌いだし、診ないんでしょ」
「今までだってずっと診てただろー」
「部屋に連れ込むほど仕事熱心だとは知らなかったよ」
 正面からシャマルを見据え、肩を押し返そうとしたがびくともしない。
「そんなの、ヒバリだからに決まってるだろ」
 口にしてしまってから、シャマルは失言に気づいた。雲雀の眉間に縦皺が刻まれる。
「意味が解らない」
 韶顔は不機嫌そのもので、狼狽えていたシャマルの気持ちは一気に沈んだ。手を離し、ベッドの端に腰掛ける。拘束が解けても雲雀は出て行こうとはしなかった。シャマルはお伺いを立てるように雲雀の手に触れた。振り払われなかったので、そのまま持ち上げる。肚を決めて口を開いた。
「ヒバリが大切だってことだよ」
 ゆっくりと告げると、花車な肩が揺れた。
「ヒバリが好きなんだ」
 切れ長の目が瞠られ、朱唇が薄く開いた。けれど、言葉は出てこない。
「ごめんね。驚かせて。ヒバリが好きだから、大事にしたい。それだけだよ」
 シャマルは細い手を下ろした。腰を上げようとすると、その手がシャマルの袖を掴んだ。
「やだ」
 雲雀はぎゅっと袖を引っ張る。頭のなかが混乱していた。考えれば考えるほど熱が上がって思考が纏まらない。
 シャマルは浮かせかけた腰を再び下ろし、小さな頭を撫でた。雲雀が手を伸ばすと、シャマルはベッドに乗り上げるようにして雲雀に身体を寄せた。熱い呼気が皮膚を掠める。横にしたほうがいいだろうと思ったが、肩に回された手を外させるのは躊躇われた。背をさすり、黙って雲雀の言葉を待つ。
「それだけ…じゃ、やだ」
 やがて零れた囁きほどの声に、今度はシャマルが目を瞠った。雲雀はシャマルにしがみつき、肩に面を伏せる。好きだ、というシャマルの声が脳裡に谺する。
「せんせー。せんせーが、すき、だから…」
 離れないで、とは声にならなかった。皆まで云い終えぬうちに、雲雀は優しい手に誘われるように眠りに落ちていた。くたりと上体を預けてきた雲雀を抱いたまま、シャマルはベッドに横になった。
「参ったね…」
 上気した雲雀の頬と同じくらいには、自分の頬も赤くなっているだろうと解る。嫌われていると思ったことはなかったが、強い相手という以上に好かれているとも思っていなかった。口を滑らせたときには、もう来てくれないかもしれないと覚悟までしたのだが、思わぬ結果になった。熱が下がったら、もう一度ちゃんと告白しようと決めてシャマルも目を閉じた。







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[mokuji]



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