「座って待っててください。出来たら持っていきますから」
「ああ」
今日は土曜日。
半日だけの仕事を終えて家に戻ると、妻である月子がにこにこしながら迎えてくれた。
普段より帰りが早いからお茶にしよう、と言うのである。
そんなわけでリビングで待っていると、月子は普段あまり使わないものを持ってきた。
いつも出てくる湯飲みではなく、まだ新しいティーカップ。
「紅茶でも淹れたのか?」
「そうです。日本茶はダメでも、紅茶ならおいしく淹れられるかもって思って」
テーブルに一つずつカップを置き、俺と向かい合うようにして座る。
無理して飲まなくてもいいですからね、という遠慮がちな声が聞こえたが、それに返事をする前に紅茶を口に含んだ。
反応を気にしているのか、じっとこちらを見つめているのが分かる。
「……」
「どう、ですか……?」
「……マズい」
「ええっ!?」
お決まりの台詞を呟いてやると、月子はショックを受けながらも自分のカップを手に取った。
半信半疑といった感じで口をつける。しかし、二三口飲むと渋い表情でカップを戻した。
「……確かにおいしくないです」
「まあ、そうヘコむな。俺の『マズい』は褒め言葉だって言ってるだろ」
「でも私、琥太郎さんに素直に『おいしい』って言ってもらいたいんです!」
「おーそうかそうか、それは頑張れよ」
「もう、また私のこと子供扱いしてませんか!?」
「してる」
わざと素っ気なく言って、もう一度カップを口に運ぶ。
やっぱりマズい。
けれども、そのマズさが逆においしく感じられる。月子が俺のためだけに出してくれるその味が。
多分正直にそう言えば、月子は恥ずかしがりながらも喜んでくれるだろう。子供扱いをしていないことも、言えばきっと安心してくれる。
そうと分かっていながら行動に移せないのは、自分に追いつこうと一生懸命になっている姿が愛おしいから。
「日本茶も紅茶もダメなら、えーっと……」
「茶から離れて、菓子でも作ったらいいんじゃないか?」
「琥太郎さん、私が料理苦手なの知って――あ、」
反論が止まった瞬間、よく考えずに助け船を出してしまったことを後悔した。
「料理」という単語から月子は良いことを思いついたのだろうが、それは同時に、俺にとっての良くないことでもある。
「お前、今幼なじみの所に行って教えてもらおうとか思っただろ」
「え、どうして――」
「それくらい分かる。けど、それだけのために行かせるわけにはいかないな」
「そんな、折角いいこと思いついたと思ったのに……」
むう、とふくれていじけてしまった。
本人は怒っているつもりでも、俺にとっては可愛い仕草の一つにしか見えない。いや、俺だけでなく、おそらく他の男にもそう見えるだろう。
そのことを自覚していない無防備な妻を、幼なじみとはいえ男と二人きりにさせられるものか。
「なあ、俺に教えてもらおうとは思わないのか?」
「何をですか?」
「料理」
目をぱちくりさせる月子。
少しの間部屋に沈黙が流れる。
やがて、やっと頭の整理がついたのか、口元に手をあててうろたえ始める。
「本当はそうできたらいいなって思うんですけど、でも……そんなことお願いしたら迷惑ですし……」
「なんだ? そんなこと考えてたのか」
「そんなこと、って……!」
「あー分かった分かった。少し落ち着け」
手を伸ばして月子の頭にポンとのせる。
それと同時に、両の頬が赤く染まる。
「俺がお前から何かお願いされて、迷惑だなんて言ったことがあったか?」
「……ないです」
「そうだろ? だから、お前に出来なくて俺に出来ることがあったら俺を頼ればいい。
――二人で一緒のことをする時間が増えるなら、なおさらな」
「は……はい!」
「よし、いい子だ。じゃ、早速やるとするか」
カップに残っていた紅茶を最後の一滴まで飲み干す。
折角だから、この紅茶に合う甘い甘い焼き菓子でも作ってみるか。
そして、もう一度月子に紅茶を淹れてもらおう。
「琥太郎さん、何を作るんですか?」
「簡単な菓子でも作ろうかと思ってる。今度お前が一人で作ったやつを、さっきのお茶と一緒に出して欲しいからな」
「ふふ、じゃあ琥太郎さんのために頑張って覚えますね」
「ああ、期待してるぞ」
今日はずっと二人で過ごそう。
そして、月子の淹れてくれた紅茶を飲み、二人で作った菓子を食べて、幸せに満ちた時を過ごそう。
甘い香りに包まれたこの部屋で。