行くよー、という沙希の掛け声の後に、緩やかな放物線を描いてこちらへ飛んでくるボール。そのボールの落下点へと腕を伸ばせば、狙い通りボールは腕に当たって前方へ跳ね返る。
…筈だったのに、跳ね返ったボールは沙希の元へ戻るどころか、彼女の大分横を通り過ぎて体育館の出入り口の方へと飛んでいく。更にタイミングが良いのか悪いのか、その出入り口に人影が現れたものだから焦った。

「危ない!」

思わず上げた声に反応したのか、ボールに反応したのか、出入り口に現れたその人は危なげなど微塵も感じさせない、やけに落ち着いた動作でボールを止めた。

「ごめん、ありがとう!」

駆け寄れば、おー、と言いながらボールを止めてくれたその人、同じクラスの菅原が軽くボールを投げ渡してくれた。

「練習?」

ボールをキャッチして、そう、と頷く。数週間後に控えた今年の球技大会の種目でバレーを選んだ旨を付け足せば、菅原がなるほど、と納得したように頷いた。その隣で人の悪い顔を浮かべたのは、菅原と一緒にここへ来たらしい澤村だ。

「それにしては、あれじゃあ今年の球技大会が思いやられるな。」
「だから練習してたんですー。」

澤村が指すあれ、とは先ほどの私のホームラン同然のアンダーパスのことだろう。自分にセンスがないことも、現状じゃ先を思いやられる状況なのも自覚している上で口を尖らせれば、菅原が不思議そうに目を丸くした。

「意外だなあ、名字って運動神経良いイメージだったけど。」

球技以外はね、と横から補足してくれたのは沙希だ。

「どういうワケだか、この子運動神経良い割に球技だけはホントダメでねー。球技大会の前だけは毎年こうやって体育の前とかに練習してるの。」

ニヤニヤ顔でご丁寧に説明してくれた沙希の表情にむっとしないでもないけれど、生憎彼女の言葉は事実であり、私には返す言葉を持ち合わせていないから余計に悔しい。こうなったら、からかうなり何なり好きにするがいい、と内心で開き直っていると、菅原は私の思ってもみなかった言葉を口にした。

「良かったら教えようか?」
「へ?」
「ほら、俺バレー部だし。同じクラスの人間としては、やっぱ勝って欲しいし。名字が上達したら結構な戦力になるべ?」

菅原の言う通り戦力になれるかどうかは別として、バレーの上手い人に教えて貰えるという、私としては大変ありがたい申し出を断るという選択肢は私には無かった。



無かった、と思っていた。僅か数分前までは。
だけど、今となっては断れば良かった、という後悔ばかりがひしひしと募る。マンツーマンで教えてくれるという菅原の提案にありがたく乗っかってみたものの(ちなみに沙希は澤村と練習している)、この状況はどうなんだろう。私が返すボールを拾う、あるいはパスを返すために菅原が前後左右、と走り回っている。一方の私は、菅原からの的確なパスのおかげでほぼほぼ移動していない。中学時代からずっと陸上部の私は受けたことはないけれど、多分あれだ、さながらノックのようだ。バレー部の練習に果たしてノック、という練習があるのか分からないけど、今私の前方で走り回る菅原の姿はノックを受けている野球部に何となく重なるから困る。
そんなことを考えている間にも、またしても私の返したボールは菅原へと放物線を描くことはなく、明後日の方向へと飛んでいく。

「ああああー!ごめん、菅原ー!」

大丈夫、と言った菅原がボールを追いかける背中をただただ見守ることしか出来ずに、私はその場でおろおろする。

「違う、違うんだよ、菅原、決して私は君をそんな風に走らせたい訳ではなくてだね、むしろ逆でちゃんと真っ直ぐ返したくて、」

あわあわと捲くし立てる私のもとへと、ボールを拾った菅原が駆け寄って来て、大丈夫大丈夫、分かってるって、と笑いかける。

「ちゃんと分かってるから、落ち着け。な?」
「はい…。」

しおしおと頷けば、菅原もよし、と頷いてまた笑う。こうやって笑って許してくれる辺り、人が良いというか、人気がある所以なのだろう。

「はい、じゃあ、両腕伸ばしてー。」

突然の菅原の指示に、言われるがまま従って両腕を伸ばす。一体何だろう、と不思議に思う間に、ボールを脇に抱えた菅原の手が、伸ばした私の腕に触れた。

「両手組んで。ボールを受ける場所はこの辺な。腕だけで取ろうとするんじゃなくて、足もちゃんと使うこと。」
「う、うん、」
「で、オーバーの時の手は、こう。」

私に触れていた菅原の手が離れたことにほっとしたような、何となく残念なような、複雑な感情のまま、菅原に倣って手を構えてみる。が、どこか違うようで、またしても菅原の手が触れて修正される。それだけでどぎまぎする私なんてまるで気付く様子もなく、指導だけをしてまた離れた菅原の手。

「菅原ってさ、」
「ん?」
「誰にでもこうなの?」

しまった、と思った時にはもう既に遅くて、私の唇は勝手に言葉を紡ぐ。

「女子に簡単に触ったりとか。」

ちらりと菅原を見上げれば、焦ったように菅原が目を逸らした。その顔が少し赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。

「あっ、ごめん!よく後輩に教えたりするからつい癖で、別にそういうつもりじゃなかったっていうか、いや、全くそうじゃなかったって訳でもないんだけど、」

何故だか急にしどろもどろになって弁明をし始めた菅原が何だか可笑しくなって、思わず吹き出す。

「ごめん、あまりにも菅原が自然に触ってくるから、もしかして慣れてるのかもとかちょっと思って嫌な聞き方しちゃった。」

くすくす零れる笑いはそのままで謝罪すれば、菅原はバツが悪そうに眉を寄せた。

「笑うなよ。」
「ふは、ごめんごめん。」
「ほら、練習するぞ。」

ぽん、と叩かれた背中。その手が離れる瞬間に聞こえた声に、私が動揺を隠せなかったことを菅原は気付いているだろうか。

名字だからだよ。

なんて、そんな台詞吐いてくれちゃって一体どうするつもりなの。



reason
(期待させるようこと言わないでよ)