すっかり通い慣れてしまったスガさんの一人暮らしの部屋。その部屋のソファーに腰掛けて寛いでいると、はい、と差し出された湯気の立つマグカップを受け取る。火傷をしないよう注意しながらゆっくりとカップの中の紅茶を嚥下して、やっとほっと息を吐く。

「ホントに良かったなあ。」

私と同じように息を吐いたスガさんが「良かった」と指すのは、つい先ほど報告した私の大学合格の知らせのことだ。はい、と頷いて、本当に良かったとしみじみ思う。すべり止めの私立には合格してはいたものの、本命だった公立の前期試験に落ちた時には本当にどうなることかと思った。無事に後期試験に合格したから良かったものの、下手をすると浪人することになったかもしれない、と思うと今でも肝が冷える。

「センター失敗したって泣きついてきた時は、本当に心配したからなー。」
「…スミマセンデシタ…。」

あの日の自分を思い出して、途端に苦い気持ちになる。センター試験の自己採点結果の酷さに動転して泣きながらスガさんに電話したあの日は、私にとっては絶望同然だった。皆がそれぞれ大学生になる中で、自分一人だけが同じ場所に立てないかもしれない不安。親に心配を、負担をかけることになるかもしれない申し訳なさ。現実味のなかった「浪人」という言葉が急に現実味を帯びたあの瞬間は、確かに恐怖だった。
更に前期試験が不合格だった時、隣にスガさんがいてくれなければ、親へ負担をかけたくなくて私立へ行くつもりのなかった私は本当に浪人していたかもしれない。

「ま、経過がどうであれ、受かったんだから良かったよ。」

そう言って微笑んでくれたスガさんの優しい顔に、心から安堵を覚える。あなたがいてくれなければ、私は今笑えていなかったかもしれません。そう言おうとして、あまりに正直にそう伝えるのは何だか気恥ずかしい気がしてしまって、結局言葉にできたのは「ありがとうございます」の一言だけ。おめでとう、と言ってくしゃりと髪を撫でてくれた大きな手が心地よくて、目を細めて受け入れる。

「じゃあ、これ。俺からの合格祝い、っていうとあれだから、合格祝いはまたちゃんとしたものプレゼントするけど。」

スガさんの手が離れてしまったことに名残惜しさを感じている間に、カタン、と物音がしてそちらを見ると、テーブルの上に置かれた一つの鍵に目を丸くする。

「鍵…?」

手にとってまじまじと眺めてみても、やっぱりどう見たって手の中のそれは鍵でしかなくて、でも一体何の鍵なのか分からずに首を傾げる。

「ここの合鍵。名前が持ってて。」
「えっ!?」

驚いてスガさんを見上げる。にこにこと笑うスガさんがす、と掌を差し出す。

「いらないなら返してくれていいけど。」
「いるッ!いりますッ!!」

慌てて貰った鍵を握り締める。ぎゅう、と掌の中で握り締めていると、満足そうに微笑んだスガさんが差し出していたその手でまた髪を撫でてくれた。へへへ、と思わず零れた笑み。ゆっくりと手を開いてみると、確かに手の中には鍵があって、また笑みが零れる。いつだったか合鍵を欲しいと言った時には「今はダメ」と言ってくれなかったのに。

「いつでも来たい時に来てくれていいからな。」
「はい。」

いつでも来られる。そのことがたまらなく嬉しい。会いたい時に会いに行けて、いない時はスガさんがこの部屋に帰ってくるのを待っていられる。想像しただけで嬉しくて、笑みが零れてしまう私は子どもなんだろうか。たった一つしか違わないのに、高校生の私と大学生のスガさんは随分違うように見えてもどかしく思った時もあるけれど。同じ大学生になれば、一緒にいられる時間が増えたら、これからはそんな風に思わずにすむのかな。

「あー、ホントに受かってくれて良かったー。」

いつになく感慨深くそう言い放ったスガさんの顔が近付いてきたと思ったら、ずっと持ったままだったマグカップを奪われてしまった。次の瞬間にはスガさんの吐息が首筋にかかって、思い切り抱き締められる。突然のことについていけずに、目を白黒させる私をよそにスガさんは私の体をぎゅうぎゅうと抱き締める。首筋にかかるスガさんの吐息がくすぐったくて、思わず身を捩る。

「スガさん?」
「正直な話、名前が卒業して無事に受験終わるまでは手出さないって決めてたからさ。俺のことは抜きにしてちゃんと受験に集中して欲しかったし。」

だから合鍵も渡せなかった、というスガさんの言葉に、「今はダメ」の意味がようやく分かった。私を思ってのことだったことが、また嬉しい。と同時に、私のせいで色々我慢させてしまっていたらしいことが申し訳なくも思える。

「え、と、何かスミマセン。ありがとうございます・・・?」

言葉にしてから、これが正しい言葉だったのか迷ってしまって疑問形になってしまった。名前が謝ることなんてないよ、と呟いたスガさんの体がゆっくりと離れて、ゆっくりと顔が近付く。ふわり、と落とされた口付けに、こうしてキスをするのは随分久しぶりだったことを思い出す。

「合格おめでとう。」

至近距離で見つめる微笑に、嬉しさがこみ上げる。「おめでとう」の言葉も、合鍵も、スガさんの温もりも、キスも、待っていたものが、欲しかったものが今私の手の中にある。この日のためにずっと頑張ってきたのかも、なんて言ったらスガさんはどんな顔するのかな。



桜咲く
(これ以上のお祝いなんてないです、)