くたくたに疲れ果てた体を引きずりながら、玄関のドアを開ける。ただいま、と言いながらパンプスを乱雑に脱ぎ捨てて、バッグを床に置くなりリビングのソファーへとうつ伏せに倒れ込む。

「つっかれたー。」

目を閉じて盛大に息を吐き出す。毎日朝から夜遅くまでの残業が体にかける負荷は大きい。仕事が好きでやりがいがあることと、ストレスが無い事は別問題だ。連日のハードワークはどうしたって心身共に負担がかかる。

「おかえり、名前。」

聞きなれた安らぎさえ感じる声に顔を上げると、お風呂上がりらしく、上半身裸で首からタオルを下げた孝支がソファーの側にしゃがみこんでいた。ただいま、と答えるとくしゃりと髪を撫でられる。その手の感触が心地よくて目を細めてそれを受け入れる。暫くして離れた手に寂しさを感じながら、また顔を伏せた。ギシリ、とソファーが音を立てて軋んだと思った瞬間、腰辺りに感じる重みと温もり。

「え、ちょ、何!?」

慌てて上体を引き上げて背後を振り向くと、にこにこ笑みを浮かべながら私の上に跨っている孝支がいた。彼の意図が掴めず、何なの、と尋ねる。

「いーから、いーから。」

ぐいぐいと肩を押されて、うつ伏せの姿勢へと戻される。訳が分からないまま逆らうことも出来ず顔を伏せると、孝支の大きな手がカットソー越しに背中を這う。その感触に、思わずびくりと肩が揺れる。私の反応などお構いなしに滑る孝支の手が肩に触れて、力が込められる。絶妙な力加減で解されていく筋肉がたまらなく気持ち良い。

「あー気持ちいいー。」
「大分凝ってるなあ。」
「そりゃ毎日デスクワークですから。」
「毎日遅くまでお疲れ様。良く頑張ったな。」
「孝支もお疲れー。」

肩を解していた手が少しずつ背中へと移動して、上半身全体の凝り固まった筋肉が解される。手の温かさと相まった気持ち良さに目を閉じる。うっかりするとこのまま寝てしまいそうな程、心地良い。まだお風呂にも入っていないし、夕飯だって食べていないのに。

ぐううううう。

突如響いた間抜けな音に、マッサージをしてくれていた孝支の手が止まった。そうしてふは、と吹き出す気配がする。私はといえば、穴があったら入りたいくらいの恥ずかしさに襲われて目を閉じた。

ああ、もう、どうしてこんなタイミングでお腹が鳴るの。確かに定時の17時半にお菓子をつまんで以来、何も食べていないけれど。お腹はすいていたけれど、もう少しこの気持ち良さに浸っていたかったのに、どうしてこうなるの。ままならない自分の体が憎い。

「先に飯にしようか。」

準備するよ、と言って孝支が離れていく。ぽん、と私の背中を叩いてからキッチンへ向かうその背中を、横目で見つめる。いい匂いをさせて運ばれてきた今日の夕飯らしいカレーに、ゆっくりと体を起こす。孝支が作ってくれた美味しそうなそれを見て、自分が思っていた以上にお腹を空かせていた事に気付いた。

「どうぞ。」
「…いただきます。」

促されて、両手を合わせる。スプーンを取ろうとして、横から奪われる。

「え?」
「はい、あーん。」
「え?」
「ほら、早くしろって。」

急かされて渋々口を開くと、孝支の形の良い唇がふうふう、と冷ましてから口の中へと運ばれる。咀嚼しながら孝支を見ると、彼は二口目をスプーンにすくって先程同様冷ましている。

「まさか食べ終わるまでそうするつもり?」
「そのつもり。」

にっこり微笑んだ孝支は、次のカレーを私の口元へと差し出していて、どうやら本気らしい。仕方なくそれを受け入れる。

「風呂入る時は背中も流してやるからなー。」
「いや、それはさすがにちょっと、」
「遠慮すんなって。髪も乾かしてやるぞー。」
「どうしたの、今日?」
「お疲れの名前を今日はとことん甘やかそうと思ってなー。」

楽しそうに孝支が笑う。どういうつもりだか良く分からないけれど、今日は彼が言う通りとことん甘やかすつもりのようだ。いささか極端のような気もするけれど、その気持ちは素直に嬉しい。出来うる限りで有り難く受け取ろう。

いやでも、やっぱり、ご飯全部食べさせたり、背中流すのはやりすぎなんじゃないかなぁ。





spoiled
(その甘さに癒される、)