何だか頭がふわふわする。
それは多分初めて菅原君の家に訪れた緊張のせいでもあるし、飲めないお酒を調子に乗って飲んだりしたせいでもあるんだろう。というか、後者の理由が圧倒的大部分を占めると思う。
指定された集合場所で菅原くんと澤村君と合流したその足で、近くのスーパーへと買い出しに行って。何処でやるのかな、なんて思いながら着いた先はまさかの一人暮らしをしているという菅原君のお家で、おろおろする間もなくお邪魔させてもらうことになって。何もしないでただ待っているだけなんて出来なくてお手伝いを申し出たら、包丁捌きを菅原君に褒められて舞い上がったりして。その時点で多分私は正常な判断は出来なくなっていて、いつもは断るお酒も一本だけ、と安易に口をつけた缶チューハイはとても美味しかった。三人でつつくお鍋も美味しくて、たくさん笑ってお喋りして、お酒だって結局何本空けたんだろう。緊張はお酒の力も相まって解れたけれど、その一方で飲めないお酒をどんどん飲んだ気がする。
お酒自体、まだそれほど飲んだことはないけれど、あんなに飲んだのは今日が初めてだ。どれだけ飲んだかも覚えていないなんて。しかも飲んだのはチューハイだけじゃない気がする。澤村君だったか菅原君が持ち出したのかももう覚えていないけれど、ワインも少しだけ飲んだような。それがまた随分と飲みやすかったことは覚えている。
「お、起きた?」
くらくらふわふわする視界いっぱいに映る菅原君の顔。大丈夫かー?、と心配そうに私の顔を覗きこんでそっと前髪を撫でてくれるその手が、顔がとても優しくて、へにゃりと頬が緩む。
ああ、きっとこれは夢なんだろう。だって菅原君がこんな近い距離で私を見下ろす筈がないもの。少し手を伸ばせば、その頬に触れられそうな程近い場所に菅原君の綺麗な顔がある。どうせ夢なのだからと、試しにゆるゆると右手を伸ばせばやっぱり触れられた頬。男の人なのに綺麗な肌はやっぱりさすがだ。…何がさすがなのかよくわからないけれど、何と言うかイメージ通りというかそんな感じ。
「名字さん?」
ハの字に眉を下げた菅原君が、困惑したように私を呼ぶ。そんな表情だって素敵だから困った人だ。でもどうせなら笑っていて欲しいなあ。私を見て微笑んでくれればいいのに。だって私は菅原君のあの素敵な笑顔に恋したんだもの。真剣な表情だって好きだけど、やっぱり笑顔が一番好きなの。
ああ、そういえばこれは夢なんだっけ。
だったら言ってもいいかなあ。夢なら言えるかなあ。
「すき。」
「え?」
「すがわらくんがずっとすきだったの。」
菅原君の頬に触れていたままだった手を離す。
「いまもだいすきなの。」
良かった、言えた。現実でもこんな風にちゃんと言えたらいいのに。そうしたら良くも悪くも長い片思いに終止符を打てるのに。ああ、でもやっと近付けた気がするのに失恋なんて嫌だなあ。菅原君が私の気持ちに応えてくれたらいいのに。好きだよって言ってくれたらいいのに。そんなことはやっぱり有り得ないのかな。
「…あー、もう、」
呟いた菅原君の顔がくしゃりと歪む。大きな手のひらで顔を覆って菅原君が項垂れる。
「そんな顔でそんなこと言われたら我慢できなくなるだろ…。」
名字さんのせいだからな。
ぽつりと呟いた菅原君が覆っていた手を外して、私をじっと見つめる。その顔がゆっくりと近付く。
唇に柔らかい物がそっと触れた。
あまりの驚きに目を閉じることさえ出来なくて、呆然と目を見開く。そうして唇に触れていた物がゆっくりと離れてから、キスをされたのだと気付く。
キス?
キス!?
その言葉に自分自身で驚く。勢いよく体を起こそうとして、ごつん、と額を何かにぶつける。痛みに額を押さえながらゆっくりと体を起こせば、菅原君も同じように額を押さえていて、どうやら菅原君とぶつけたらしい。きょろきょろと周囲を見渡せば、先程まで菅原君と澤村君と三人でお酒を飲みながら鍋をしていた菅原君の部屋で、一緒にいたはずの澤村君の姿は見当たらない。
「え?」
一体何がどうなっているのか理解が出来ずに、頭にハテナを浮かべるしかできない私を、強烈な目眩が襲う。頭がくらくらする。
「大丈夫?名字さん。」
心配そうな顔で私の顔を覗きこむ菅原君を恐る恐る見上げる。
どうしよう。何だか物凄く嫌な予感がするのは気のせいなのかな。どうか気のせいであって欲しいような、いやそうであって欲しくないような。
「あ、の、もしかして、全部夢じゃなか、った?」
「…ええと、うん、そうかな。」
愕然とする、というのは多分こういう心境を言うのだと初めて知った。
どうしよう。夢じゃなかった。全部夢だと思ってたのに。全部現実だったの?告白も、キスも?全部?
「ごめん、でも俺もずっと名字さんのこと好きで、もしかして寝惚けてるのかなって分かってたんだけど、」
いつになく菅原君が目の前で狼狽えている。だけど、あまりの衝撃に菅原君の言葉はちっとも耳に入ってなどこなくて、むしろどういう訳だか不快感ばかりが募る。
「…きもちわるい、」
うっ、と喉に込み上げる何かを悟って、やっとその不快感が飲みすぎによるものだと気付く。
「えっ!?大丈夫か?トイレこっちだから、」
菅原君に支えられながら、ふらつく足でよろよろとお手洗いへと歩く。
どうりでずっと、くらくらふわふわしていた訳だ。今更気が付いた所で既に何もかもが後の祭りなんだけれども。
とりあえず、色々とゴメンなさい。
この酔いがさめたらどうか仕切り直しをさせて頂けないでしょうか。
三歩目、ゼロ距離
(夢であって欲しかったような、そうじゃないような、)
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