「はい、どうぞ。」

ドアを開けて玄関の電気を点けてから、孝支を部屋へ招き入れる。

「そこら辺適当に座ってて。」

それほど広くはないワンルームの部屋をきょろきょろと見渡す孝支を促して、自分はキッチンに立って手を洗う。料理は孝支を迎えに行く前に全部済ませておいたから、あとは温め直してテーブルに出すだけだ。

「あ、俺も手伝うよ。」
「いいから。座ってな。」

しっし、と孝支を追い払う。テーブルを拭いて、食器を出して、とてきぱきと準備を進めていく。孝支はというと、手伝いを断られて手持ち無沙汰になってしまったのか、テーブルの側に座ったものの、珍しくそわそわしている。

「どうしたの?」
「や、俺、女の人の部屋入るのって初めてで、」

緊張しているらしい。馬鹿正直に言わなくてもいいのに、と内心で笑う。

「心配しなくても、取って食ったりしないよ。」

バーカ、と笑いながら、とん、と孝支の額を人差し指で突いてやる。不意に、ぱし、とその手首を掴まれた。そわそわしていた筈の孝支が、真剣な目で私を見ている。思わず掴まれた手を引こうとするも、しっかりと掴まれてしまって逃れられない。

「孝支?」
「俺は対象外?」
「え?」
「名前さんにとって俺は恋愛対象外?」

真っ直ぐ射るように見つめられて、視線をそらすことさえ出来ない。逃げようとして、咄嗟にもう一人の私が逃げるなと告げる。ここで逃げるのは孝支に対して失礼だと。彼は等身大の彼で真っ直ぐ私にぶつかってきているのに、大人ぶって逃げるのは卑怯だと。

「分からない。」

だから、正直に言った。これが、今の私に言える誠心誠意の答えだ。

「孝支のことはずっと弟みたいに思ってて、そんな風に見たことなかったから分からない。」
「じゃあ、俺にもまだチャンスがあるってことだよね。」
「え?」
「俺のことちゃんと男として見て。俺のこと考えて、意識してよ。」

孝支がニッ、と笑う。不覚にも一瞬心臓が跳ねた。

何、その顔。いつの間にそんな顔するようになったの。まるで男みたいな顔。ついこの間まで、あんなに小さかったのに、幼かったのに。いつの間にそんな、

「ごめん。準備の邪魔して。」

俺のためにやってくれてるのにね。そう言って掴まれていた手を解放される。離されたことに、まだ幾分かあどけなさの残る高校生らしい表情にほっとした。
いや、と首を振って途中だった夕食の支度を再開する。

心臓がまだどぎまぎしている。さっきのは私の見間違いだったのだと思おうとしても、手首に残る熱がそうじゃないと主張する。孝支は確かに私を真っ直ぐに見据えて、自分を男として意識して欲しいと言った。恋愛対象として見て欲しいと。

"名前さんは俺の初恋の人だから" 。
ふと以前言われた言葉が脳裏を過ぎった。初恋の人"だった"とは、多分孝支は言っていない。過去形では言わなかった気がする。私の記憶違いでなければ、だけど。だとしたら、彼の想いはまだ続いているということだろうか。現在進行形で彼の初恋が続いているとしたら。

考えて、まさかね、と打ち消す。
だってそんなの、孝支が私のこと本気で好きみたいじゃないか。十も歳の離れた私のことを好きだなんて、そんなの。そんなの、きっと憧れと勘違いしてるだけに違いない。思春期の頃によくある、年上への憧れ。それを恋と思い込んでいるだけ。

でも、本当に?聡い彼がそんな思い込みをするだろうか。子どもの頃は仮にそうだったとしても、今もそんな勘違いをしているだろうか。十年間もずっと?

ぐるぐると思考が巡る。

孝支の思惑通り、私の頭の中が孝支のことでいっぱいになっていることに、私はまだ自覚していない。