練習が終わって、体育館の掃除を終えると帰り支度をするために外に出る。何だかやけに喉の渇きを覚えて、部室に向かう前に近くの自販機へ寄り道をした。ペットボトルのスポーツドリンクを一本買って、行儀が悪いと分かっていつつも、歩きながら蓋を開けてドリンクを喉へと流し込む。一気に三分の一程飲み干して、右手に持っていたキャップを閉めようとした時。

「ぅわっ!?」

足元に転がっていた石に蹴躓いて、体がぐらりとバランスを崩した。と同時に左手に持っていたペットボトルが手から離れて宙に浮く。蓋が開いたままの、まだ半分以上も残っているそれを落とすまいと咄嗟に左手を伸ばす。体に染み付いたフライングレシーブの動作そのままにペットボトルをギリギリでキャッチした次の瞬間には、盛大に地面に滑り込んだ。

「いってー。」

折角掴んだペットボトルを落とさないように体を起こして、とりあえず蓋を閉めてから、全身に着いた土埃をぱっぱっと払う。上下長袖のジャージを着ていたおかげで手足の怪我は回避出来たようだけど、ペットボトルとそのキャップで塞がっていた両手では顔を避けることは出来なかった。顎を擦りむいたようでヒリヒリと痛い。恐る恐る右手で触れると、その手に着いた血に思わず顔を顰めた。
痛みを堪えて近くの水道へ行き、とりあえず傷口を洗う。部室に救急箱があるはずだけど、何となく自分で傷口を見るのは怖い。見たら余計に痛くなりそうな気がして怖い。

部室に戻ってジャージを脱ぐ。全身の汗を拭いて、傷に触れないように慎重に着ていたTシャツを着替えて、もう一度ジャージを着て外に出る。
既に帰り支度を済ませて待ってくれていたスガさん達を見つけて慌てて駆け寄る。偶然にも家が近所だったスガさんに送ってもらうのがいつの間にか習慣になっていた。

「スミマセン、お待たせしました。」
「あぁ。って、お前どうした、その顎。」
「え、」

目敏く気付いた大地さんに指摘されて言葉を濁す。スガさんと旭さんが、大地さんにならって私の顔をのぞき込んでくる。

「うわ、痛そー。大丈夫か?」
「何したらそうなるの?」
「えと、あのですね、」

スガさんに問われて、事の顛末を渋々話すと三人は揃いも揃って呆れ顔をした。

そりゃそうですよね。誰がどう聞いたって、バカなヤツだと思いますよね。私が逆の立場だったら同じように呆れる自信ありますもん。いやでも、あの時は咄嗟だったし、ペットボトルの中身を無駄にするまいとただそれだけのことに必死だったんです。

ぐるぐると自分の中で言い訳が駆け巡らせていると、

「で、何で手当てしてないの?」

部室に救急箱あるだろ?とまたしてもスガさんからの問いかけ。素直に、傷口を見るのが怖かったと告げれば、スガさんが盛大な溜め息をついた。

「大地、部室の鍵貸してくれない?名字の手当てしてから帰るから、先帰ってていいよ。」
「え?」
「分かった。じゃあ後頼んだ。」

大地さんが投げ渡した鍵をキャッチしたその仕草も格好いいなぁ、と惚けている内に大地さんと旭さんは踵を返していて、私はスガさんに右腕を引かれた。

「ほら、部室行くぞ。」
「あ、ハイ、」
「あ、傷口洗った?」
「洗いました。」
「じゃあ良し。」

スガさんに腕を引かれるまま男子バレー部の部室に通されて、言われた場所に腰をおろした。畳の上で何となく正座をする。普段あまり入ることのない男子の部室が何だか物珍しくて、きょろきょろ辺りを見回してしまう。その視界の端に救急箱を探すスガさんの姿が映る。
ふと壁に貼られたアイドルのポスターが目に止まった。よくよく見れば、バレー部の好みが書かれているようで、面白い。

「す、すすすスガさん!」

今、知りたくなかった情報を知ってしまった気がする。一瞬見間違いだと思った。だけど視界に映る文字が見間違いなんかじゃないと主張する。

「ん?どうした?」
「スガさん年上好きって、本当ですかっ!?」

あのポスター!、と指させば、あーあれなー、と何とも曖昧なスガさんの返事。

「じゃ、じゃあ、私は一生スガさんにモテないってことですか!?」

救急箱を見つけて、私の正面に向かい合って座ったスガさんの両腕に思わず掴みかかる。

「さー、どうだろうなー?」

でもとりあえず。

そう言ってスガさんの左手の指が、私のおとがいに触れた。スガさんの両腕を掴んだままの私の体勢のせいで、思いのほか至近距離にあるスガさんの顔に気づいて心臓が跳ねる。

「今はジュース一本のために綺麗な顔に怪我作っちゃうバカな後輩がかわいいなぁって思うよ。」
「へっ!?」

そっとおとがいを持ち上げられて、その仕草がまるでキスをされるみたいだ、と考えて、そんなことを考えた自分の頭が恥ずかしくなる。
キスなんて、そんなことあるわけ無い、っていうかスガさん今かわいいって、

「いっ!?」
「そのまま、もうちょい我慢な。」

急に顎に訪れた強烈な痛みに思わず涙が滲む。痛みから逃れようと顔を後ろに反らそうとするも、スガさんの左手に抑えられて叶わなかった。歯を食いしばって痛みに耐える視界のすみで、傷口を消毒するスガさんの右手が映る。少しでも痛くないようにと気遣ってくれているような優しい手つき。じっと傷口を見つめる真剣な眼差し。その手に触れられたら、その目でまっすぐ見つめられたらきっとたまらなく幸せなんだろうなあ、と痛みで麻痺し始めた脳が考える。
そんな時はいつか訪れるだろうか。いつか、訪れたらいいのに。

「ハイ、終わり。よく頑張ったな。」

くしゃりと髪を撫でてくれる手も笑顔も優しい。その全部を独り占め出来たらいいのになんて、多分今の私の思考回路はどこかショートしているんだろう。


壊れた回路
(壊したのはだれ?)