「お待たせ。食べようか。」

どれくらい俯いて泣いていたのか。スガさんの優しい声にゆるゆると顔を上げると、目の前のテーブルにはたくさんの料理が並んでいた。全部スガさんが一人で作ったのだろうか。

「名前ちゃん。」

名前を呼ばれて振り向くと、スガさんは私のすぐ側に腰を降ろしていた。スガさんの大きな両手がゆっくりと伸ばされて、涙でぐしゃぐしゃになった私の両頬を包んだ。そっと親指で涙を拭ってくれる。
これは受け売りなんだけどね、そう言ってスガさんが口を開く。

「走ったりとか跳んだりとか、筋肉に負荷がかかると筋繊維が切れるんだって。それを飯を食って修復する。そうやって筋肉がつく。」

そうやって少しずつ強くなっていくんだよ。

優しいその声に言葉に、また視界が滲む。大好きなスガさんの顔が滲んでゆらゆら揺れる。ぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。そっと肩を抱き寄せてくれたスガさんのシャツを握り締めて、その胸にしがみつく。頭を撫でてくれる手が優しくて、スガさんの腕が、胸が温かくて涙が溢れた。



散々泣いて、スガさんが作ってくれた美味しいご飯を食べ終わる頃には、私もようやく落ち着きを取り戻していた。後片付けを申し出たけれど、断られてしまった。スガさんがお皿を洗ってくれている間、手持ち無沙汰になってしまい、何となく部屋をぐるりと見渡す。
物が少なくて、片付いていてシンプルな部屋。スガさんらしいなあとぼんやり思う。ふと小さな本棚に置かれていた写真立てが目に付いて手に取ってみる。
今と変わらない烏野の男バレのユニフォームを着た男の子達。その中にスガさんを見つけて微笑む。今より幼いというか、若いというか、だけどカッコイイのは変わらない。他にも見知った顔を何人か見つけて皆若いなあとまた一人笑う。

「なーに笑ってるの?」

いつの間にか洗い物を終えたらしいスガさんに後ろから抱きしめられた。

「皆若いなあって。」
「そりゃ六年も前だからなー。」
「ってことは、三年生?」
「そ。最初で最後の春高の時の写真。」

そうか。スガさんは春高に行ったのか。いいなあ。すごいなあ。私も同じ場所に行きたかったなあ。私は叶えられなかった。やっぱり悔しい。だけどどんなに悔やんだ所で、結果は二度とひっくり返ることはないのだ。
きっと私は来年のIHが終わったら引退するのだろう。三年も春高に出られるとは言っても、多分その選択肢は選ばない。他の三年と同じように引退して、受験に専念するのだ。まだ小さい双子がいるのだから、浪人なんてする余裕は家にはない。高校出たら働くことも考えたことはあったけれど、両親に大学へ行くよう説得されてしまった。だからせめて少しでも負担の少ない国公立に行きたいという気持ちは、ずっと片隅に抱えたままだ。

「また落ち込んでる?」

黙りこんでしまった私を心配するように、スガさんに顔を覗きこまれる。いえ、と小さく首を振って写真立てをローテーブルの上に置いた。

「…ただ、次が、来年のIHが最後なんだなあって。」

来年の今頃には良くも悪くも全て終わって結果が出ていて、私はもうあの場所でバレーをしていない。そんな未来を思うと寂しいのは事実だ。

「…残された時間は無限じゃない。有限だから、だからこそ、俺は名前ちゃんが後悔しないように過ごして欲しいって思うよ。」

残された時間はあと一年弱。たった一年しか、ない。あと一年で私は、私達はどれくらい強くなれるだろう。

「頑張れ。」

ぎゅう、と後ろからスガさんが抱きしめてくれる。
スガさんに頑張れって言われると、苦しくてもまだ頑張れそうな気がするのはどうしてだろう。

「今日のスガさんは何だかいつにも増して優しいですね。」

抱きしめてくれる腕の力強さが、背中に感じる温かさが嬉しくて、ふふ、と笑みが溢れる。

「今日はとことん名前ちゃんを甘やかそうかな、と思ってね。」

耳元でそっと囁かれて、顔が一気に熱くなる。そんな優しい声で優しい台詞を言われたら、思い切り甘えたくなってしまうじゃないですか。内心で悪態をついて、抱きしめてくれているスガさんの腕の中で身じろぎして体を反転させる。
ぎゅ、とスガさんの首に腕を回して思い切り抱きつくと、抱きしめ返してくれた。スガさんの首筋に顔を埋める。体中をスガさんの匂いで満たすように、深く呼吸をする。貧相な胸越しに伝わるスガさんの心臓の音が心地良い。この腕が、温もりが側にあるのなら、私はまだ頑張れる気がする。

ゆっくりとスガさんに体を離されて、不思議に思っていると額に口付けが落とされた。瞼、鼻、頬、と唇が降りてきて、最後に唇を塞がれる。角度を変えながら、やさしく何度も触れる。

明日の練習は休みの予定だけど、朝になったら体育館へ行こう。一人でも練習をしよう。私にはまだ足りないものばかりだ。また練習ばかりで、スガさんに会えないと嘆いたりする弱い自分にも直面するかもしれない。それでも、もうあんな後悔は、苦い思いなんてしたくないんだ。

一筋の涙が頬を伝って落ちる。
もう、涙は流さない。