夏休み、といえども保育園は変わらず毎日あるし、私も朝から晩まで部活ばかりの日々で、夏休みが始まったといっても、それまでと大して変わったことはなかった。練習が終わってからダッシュで双子のお迎えに保育園へ走り、土曜日の夜だけは、私の練習が終わったあとで夕飯を食べながら少しだけ、スガさんに会う。帰り際に車の中でキスをして抱きしめあって。…一度だけ、スガさんの家に行きたいと言った時にはきっぱり断られてしまったけれど。
そうして離れて、また夜を超えて練習に明け暮れる。

恋愛でいくら浮かれていたって、練習の手を抜いたことはなかった。それは私だけじゃなくて、バレー部の全員同じこと。苦しくてもそれでも逃げずに、全員で必死に練習を積み重ねてきた。勝ちたくて、次も試合がしたくて、必死にボールを繋いだ。だけど、繋ぎきれなかった。

試合終了の笛の音が何度も脳裏に蘇る。春高こそは、と闘ってきたのに、願いは叶わなかった。悔しい。家に帰ってもなお、涙は止まらない。あと一歩足が出ていたら。腕を伸ばしていたら。とめどない後悔に押しつぶされそうになる。何度経験したって、どんな試合をしたって、負けた悔しさには慣れない。だけど、慣れたくもない。もしいつか慣れてしまう時が来るのなら、その時はきっと私がバレーをやめる時だ。

不意にケータイの着信音が一人きりの部屋に響く。誰とも話したくなくて、耳を塞いでやり過ごす。しばらくして音が鳴り止んだ。一息吐いたのも束の間で、またすぐに鳴り始めたケータイの画面を仕方なく見やると、そこに表示される「菅原孝支」の文字。右腕で乱暴に涙を拭って、通話ボタンを押した。

「…はい。」
「あ、名前ちゃん?今から少し出てこれないかな?」
「…。」

涙声には触れずに、いつもと同じトーンでスガさんが、夕飯一緒にどうかな、と話す。その優しい声にまた涙がこぼれ落ちる。

「実はもう、名前ちゃんの家の近くまで来てるから、来てくれると俺が嬉しいんだけど。」

明らかに気を使ってくれていると分かる優しい言い回し。どうしよう、と迷う。スガさんには会いたい。だけど、こんなに涙でぐしゃぐしゃの顔を見られたくない。…試合のことに触れられるのが、怖い。応援に来てくれていたことは知っていたから、結果も何もかもスガさんは知っている訳だけれど、だからこそ、会うのが怖い。

「…それとも、俺には会いたくない?」

躊躇いがちに聞こえた声に無言で首を振る。そうしたってスガさんに見える訳じゃないのに。
今から行きます、と伝えて電話を切った。涙を拭って部屋着から適当なTシャツとジーンズに着替える。リビングで双子と遊んでいた母に、スガさんとご飯食べてくると伝えて家を出た(スガさんとのことは伝えてある。でかした、とか何とかはしゃいでいたのを今でも覚えている)。私に気がついたスガさんが車から降りてきて、いつもと同じように助手席のドアを開けてくれる。

「ごめんね、急に呼び出しちゃって。家の人に何か言われたりしなかった?」

ふるふると無言で首を左右に振ると、そっか、とスガさんが呟く。俯いたままシートベルトをすると、それが合図のように、ゆっくりと車は走り出した。



お互いに無言のまま走る車が僅か数分後にたどり着いた場所は見知らぬアパートだった。駐車場に止めてエンジンを切ったスガさんを黙った見つめると、にっこりとスガさんが笑う。

「俺の家。」
「え?」

車を降りたスガさんにつられるようにして、事態を飲み込めないまま、私も車を降りて前を歩くスガさんの後ろをついていく。三階建ての綺麗なアパートの階段を上がる。201と書かれたドアの前に立ち、スガさんが慣れた手つきで鍵を開ける。

「どうぞ。」

ドアを開けて、中に入るよう促される。スガさんの顔を見つめると、入って、とそっと背中を押された。おずおずと中に足を踏み入れる。

「…お邪魔します…。」
「はい。どうぞ。いらっしゃい。」

適当に履いてきたサンダルを脱いで玄関に上がる。後ろでガチャリ、と鍵のかかる音が聞こえた。一度は自分から来たいと言ったのに、いざとなるとどうしたらいいのか分からなくて、立ち尽くしているとスガさんに手を引かれる。こっち、と導かれるまま真っ直ぐフローリングの床の上をぺたぺたと裸足で歩く。
ワンルームのフローリングに敷かれたカーペットの上に、小さなローテーブル。その脇に置かれたシングルベッド。テレビに小さな本棚。初めてのスガさんの部屋をきょろきょろと見渡す。幼なじみの祐也や智の部屋には何度も出入りしているけれど、一人暮らしの男の人の部屋に入るのは初めてで、何だか少し緊張する。

「この辺に座って少し待ってて。適当にテレビとか見てていいからね。」

スガさんの手が離れる。言われるがまま、ベッドを背もたれにするようにカーペットの上に腰を降ろした。けれども、スガさんは座らずに踵を返してしまった。どこへ行くのだろうとスガさんの姿を目で追いかける。玄関のすぐそばにあったキッチンに立って手を洗ったあと、冷蔵庫を覗いている。何か作るのだろうか。

「あの、何か手伝いましょうか。」

何もせずに座って待っているだけでは申し訳なくて、スガさんの側へ歩み寄ると、いいからいいから、と笑って断られてしまった。

「今日は名前ちゃんはお客様だから、ゆっくりしてて。」

くるりと体を反転させられて、背中をぐいぐい押されて座っていた場所へと押し戻されてしまった。仕方なしに元いた場所へ腰を下ろす。どうしたらいいのか分からなくて、何となく天井を仰ぐ。
また、脳裏に蘇ったホイッスルの音。滲む視界。ゆらゆらと揺れる。留まりきれなくなった涙が頬を伝い落ちる。膝を抱えて俯く。唇を噛み締めて声を殺す。

悔しい。悔しい悔しい悔しい。苦しい。強い人だけがコートに残る。ただそれだけのシンプルな理が今は身にしみて痛い。