「名字、それどうした?」
こんな時期に虫刺されか?、と田中が自分の首筋を指して言った。二人で畳み終えたネットを田中に預けて、自分の首筋に指で触れてみる。
「いや?別に痒くないし、刺された覚えも無いんだけど。知らないうちに刺されたのかな。」
「かもな。この時期でも蚊っているんだなー…、って、あ。」
ネットを抱えた田中の顔が何故かみるみるうちに赤くなっていく。
「どうしたの?顔真っ赤にして。」
顔を覗きこむと、いや、あの、としどろもどろになりながら目をそらされた。明らかに不審な様子に、何、と問い詰めると、田中はさらに視線を泳がす。
「ねえ、何なのさ?」
「いや、だから、それ、」
「これが何。」
田中にしては珍しく小さな声でぼそりと言われた言葉に、私は思わずその場に固まった。
もしかしてキスマークなんじゃねえの。
そう言われて、今日はやけに皆の視線が鬱陶しかったことを思い出す。にやにやと人のことを見ておきながら、何かと問えば、別に、とにやにや顔のままはぐらかされた。キスマークを付けられてもおかしくない行為はしたけれど。温かな腕を、艶やかなスガさんを思い出して頬が緩みそうになるのを、すんでの所で堪らえる。でも付けられたその場面は覚えてな、
「あ。」
思い出した。私がスガさんの胸に触れて、その後。そういえば、あの時、一瞬ちくりと首筋に痛みを感じた。あの時か。…全然気付かなかった。
「ああああー。」
思わず頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。そうか。だから皆訳知り顔でにやにやと笑っていたのか。笑われたことよりも、田中に指摘されるまで気付かなかった自分が恥ずかしい。
「潔子さんに絆創膏もらってくるか?」
田中なりに気を使ってくれているらしい。
「…いいよ、今更。それに貼ったって悪目立ちするだけだし。」
そ、そうか、と田中が呟く。練習も終わったし、あとはもう帰るだけだ。今更貼ったところで、誰の視線から逃れられるというのか。
「な、何か悪ィ、名字。」
「悪いって思うならさー、ちょっとスガさん呼んできてよ。今すぐ。ここに。」
「お、おう!任しとけ!」
バタバタと走り去っていく田中の足音を聞きながら、その場に項垂れる。
本当に恥ずかしい。こんな所に付けたスガさんもスガさんだ。首筋じゃあ、隠そうにも隠しようがない。どうせ付けるなら、見えない胸元とかにしてくれれば良かったのに、どうしてよりによって首筋なんだろう。
「名字大丈夫かー?」
田中が呼んできてくれたのだろう、スガさんが目の前にしゃがみこむ気配がした。項垂れていた顔を上げて、スガさんを睨む。ば、と両腕を伸ばしてスガさんの肩を掴むと、勢いよくその場に押し倒した。
「いでっ!」
ゴン、と鈍い音を立ててスガさんの頭が床にぶつかる。そんなことにはお構いなく、スガさんの上に馬乗りになる。
「何でこんな場所にキスマークなんて付けたんですか!?」
「あ、やっと気付いた?」
私は文句を言っているのに、スガさんは気にもとめていないようで、にこりと笑う。
「いいじゃん、俺のって印みたいで。」
「だったらもっと他の場所にして下さいよ!」
「他の場所ならいいの?」
にこにこ笑ったままスガさんの右腕が伸びた。後頭部を掴まれて引き寄せられる。瞬時に危機を察知して、ぐぐ、と床についた両腕を突っ張る。腕の筋力と背筋をフルに使って引き寄せられるのを阻止する。これ以上増やされてたまるものか。
「ふーん?そういうことするんだ?」
じゃあ、と呟いたスガさんの左手が伸ばされる。
「あ、ちょ、ズルイ、」
両手で力任せに上体ごと引き寄せられたと同時に、既に痕がある方とは反対側の首筋に吸いつかれた。ちゅ、とリップ音を立ててスガさんの唇が離れる。ニヤニヤと意地悪く笑うスガさんと目が合う。
「ーッ、」
思い切り頭を振りかぶって、スガさんの額へと振り下ろした。ゴツ、と鈍い音を立てる。
「いっ!?」
頭突きを食らって額を抑えたスガさんの上から素早くおりてダッシュで逃げる。
「スガさんのケダモノーっ!!」
「名字、叫ぶ元気が残ってるなら、こっち手伝ってくれ。」
呆れ顔の大地さんに手招きされて、ポールを片付けていた大地さんの元へ駆け寄る。
「大地さん!スガさんケダモノです!狼です!近付いたら噛まれます!」
「お前限定だから安心しろって。」
「安心なんて出来ません!噛まれるんですよ!」
必死に訴えても、大地さんは取り合ってくれない。涼しい顔で、むしろ迷惑そうな顔でポールの反対側を持つよう指示される。せーので大地さんとタイミングを合わせて、ポールを持ち上げて運ぶ。
「男なんて皆そんなもんだろ。」
「大地さんもケダモノ…っ!?」
ずるりと手の中からポールが滑り落ちる。ダン、と音を立ててポールの片側が床へと落ちた。
「名字ッ!!」
大地さんの怒鳴り声が体育館に響く。
体育館のあちこちで笑い声が聞こえる。
烏野高校男子排球部は今日も平和です。
多分男は皆狼です
(知らなかった訳ではないでしょう?)
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