あんなに楽しくてドキドキしていたのが嘘みたいに冷たく沈みきってしまった気持ち。あれからどんな顔でどんな話をして、何を飲んだのかもよく覚えていない。ただスガせんせいの「そんなのじゃない」、その一言が深く突き刺さって抜けない。何を浮かれていたんだろう。何を勘違いしていたのだろう。愚かな自分を呪いたくなる。スガせんせいとの関係は、ただの保育士とお世話になっている弟の姉でしかないのに。たまたま、その保育士さんが自分の先輩に当たる人で、同じようにバレーをしていた、それだけなのに。

「ごめんなぁ、遅くまで付き合わせちゃって。」

とっぷり暮れた夜道をスガせんせいと並んで歩く。最初に言っていた通り、スガせんせいは家まで送ると言ってくれた。おまけにご馳走までしてくれた。

「さすがに疲れちゃったよね?歩くの辛かったらタクシーでも拾おうか。」

ほんのり赤く染まった顔でスガせんせいが聞いてくれる。大丈夫です、と首を振ると、そう?と聞き返すスガせんせいの顔はまだ心配そうに歪んでいる。

「でも途中から元気なかったよね。」

それは、と口を開きかけて閉じる。何を言うつもりだというのか。自分が勝手に浮かれて期待して、落ち込んだというのに。

「高校生はこどもですか?」

気が付いたら言葉に出していた。え?と呟いたスガせんせいが私の方を見る気配がしたけれど、私は俯いたまま顔を上げられない。真っ黒なアスファルトと交互に動く自分の足元が映る。

「高校生は、対象外ですか?」

聞いて、どうするのだろう。それではっきり対象外ですと言われたら、すっぱり諦められるのだろうか。この気持ちなどなかったことにして、けりをつけられるのだろうか。ふわふわした感情もドキドキも楽しかった時間も、ただの過去にできるのだろうか。

「俺は、」

静かに口を開いたスガせんせいの声を、思わず耳を塞いで聞くのをやめてしまいたくなった。それを察知したのか、スガせんせいが私の右手首を掴んで立ち止まった。恐る恐る、俯いていた顔を上げると、真剣な目で見つめられた。

「対象外だなんて、そんな風に思ったことはないよ。」
「…え?」

急に立ち止まった私達を避けるように、歩道を歩く人達がすれ違ったり、追い越したりしていく。スガせんせいに掴まれている右手首が、そこだけ熱をもったように熱い。真っ直ぐで真剣なスガせんせいの目から逃れられない。

「田中や西谷の手前、ああ言ったけど、本当は俺だって名前ちゃんの連絡先知りたいと思ってるし、バレーだけじゃなくて、可能なら普通に出かけたりしたいとか思ってるよ。」

言葉が、出てこない。思ってもみなかった言葉に何と返せばいいのか分からない。だって、スガせんせいがそんな風に考えていてくれたなんて、想像もしていなかった。浮かれていたのは、はしゃいでいたのは私だけじゃなかったの?そんなこと言われたら、どうしたって期待してしまうのに。
期待、してもいいの?

「ごめん、急にこんなこと言われても困るよね。」

申し訳なさそうに眉を下げて、スガせんせいの手が離れた。行こうか、と歩き出したスガせんせいを慌てて追いかける。私にそうしたように、スガせんせいのその大きな左手を掴もうか逡巡して、結局着ていたジャージの裾を掴んだ。

「あの、」

言いかけて、驚いて振り向いたスガせんせいに何と伝えようか迷って口をぱくぱくと動かす。思わず掴んでしまったけれど、どうしよう。何て言えばいいかな。私も同じです、ってそう言えば伝わるだろうか。

「私も、スガせんせいの連絡先、知りたいです。また、バレーしたいです。いっぱい教わりたいです。お出かけだって、してみたいです。」

私と一緒じゃ男同士に間違われてしまうかもしれないですけど、そう付け加えると黙って聞いていたスガせんせいがふは、と吹き出した。

「そんなことないよ、大丈夫。俺にとってはちゃんと女の子だから。」

ちゃんと女の子。その響きが何だかくすぐったくて、落ち着かなくて、照れてしまう。しばし二人で笑いあってから、スガせんせいが携帯を取り出す。

「忘れない内に連絡先交換しちゃおうか。」

はい、と頷いてお互いの連絡先を交換する。「菅原孝支」と登録されたアドレス帳の画面に表示される番号とアドレス。本当に教えて貰えたんだ、と妙に実感して嬉しくなる。今私顔にやけてないかな。頬が緩みまくってたらどうしよう。

「じゃあ、帰ろうか。」

促されて、今度はスガせんせいの後ろではなくて、その隣を並んで歩く。手を繋いでいる訳ではなくて、ただ隣を歩くだけ。それだけで、今の私には十分すぎるくらい幸せなんだ。