女バレの練習が終わって男子のいる第二体育館へと足を運ぶ。すっかり習慣となってしまって、考えるよりも先に動く足が恨めしい。いつもは嬉しくて仕方ないこの短い道のりが、重く憂鬱に感じるようになってしまったのは、田中達と水遊びをしてスガさんに怒られたあの日からだ。あの時言われたスガさんの言葉が頭から離れなくて、どうしたらいいのかすっかり分からなくなってしまった。牧に相談したら、彼には「気にするな」と一蹴されて終わってしまった。「気にした所でどうにか出来るものでも、すぐに変われる訳でもないだろう」と。確かに彼の言う通りだと思うのに、バカな私の頭は考えることを止めようとしない。あれこれ考えている時点で間違いだと、頭では分かっている。私の気持ちの問題で、ただその時が来るのを待つしかない、と。だけど、焦って、何とかしたくて、でもどうにも出来なくて、また焦る。その繰り返しを何度もループする。

「お疲れ様でーす。」

体育館の入口からひょっこり顔を出すと、近くにいたやっちゃんが、お疲れ様です!と相変わらず少し緊張した面持ちで挨拶してくれた。もう何度も顔を合わせているというのに、未だ慣れない感じも相まって可愛くてぎゅうと抱き締める。

「はうっ!」
「やっちゃんは今日も可愛いねぇ。」
「い、いいいいえ、私なんてそんな、」
「やっちゃん可愛いー。連れて帰りたいー。」
「えぇっ!?」
「このまま帰って、おねーさんとデートし、」

しよっか、と言いかけた瞬間に、頭に思い切り何かをぶつけられた。てんてん、と転がるバレーボールが視界に映る。

「きゃああああ、名字さん、だい、大丈夫ですかぁあああ!?」

涙を浮かべてあわあわとしているやっちゃんの頭を軽く撫でてから、痛む頭を押さえて振り返る。

「いったああああ!!ちょっと何すんの!!」
「うるせぇ!さっさと練習始めるぞ!」

ボールをぶつけた張本人、田中に引きずられてコートの中へと入っていく。羨ましいからって人に当たらないでほしいものだ。ぺいっとコートの中に転がされる。その乱暴な扱いにバランスを崩して膝をついた。

「名字大丈夫かー?」

差し出された手の持ち主をを見上げると、苦笑いを浮かべたスガさんがいた。今までの私なら喜んでその手を取っていたのに。

「大丈夫です。」

スガさんの手を借りずに自分で立ち上がる。そうか、と笑ったスガさんが寂しそうに見えて、ちくりと心が痛む。そんな顔見たくないのに。でも、そんな顔をさせているのは、私だ。

「名字も来たことだし、三対三やろうか。」

大地さんの言葉でそれぞれ配置につく。練習が、ゲームが始まってしまえば、あとはひたすらに集中していればいい。バレーのことだけを考えて、それだけに集中する。いつかは出来なかったのに、身についた一時的に自分の思考をシャットアウトする術。出来るようになったのは、最近だ。スガさんの言葉を振り払いたくて、身につけた。だけど、練習が終わってしまえばあっという間に元通りだ。答えのない思考のループに嵌って、体はスガさんを避けるように動く。いつもは一緒だった帰り道も、最近はずっと一人。片付けとダウンが終わるや否や大急ぎで部室に戻って、着替えもそこそこにカバンを引っ掴んで部室を飛び出す。今日もそうするつもりだった。

「名字、ちょっといいか。」

声をかけてきたのは大地さんだ。部室に戻ろうとした所を呼び止められた。

「何ですか?」
「少し話がしたいんだ。後で俺たちの部室に来てくれるか。」

本当は行きたくない。だけど、大地さんの頼みは断れない。仕方なしに頷いた。





のろのろと着替えを済ませて男子の部室へ行く。ノックをして入ると、中にはまだ何人かいて、その中にはスガさんの姿もあった。部室に入って待っているように大地さんに促されて、スガさんと顔を合わせないように逸らしながら、すれ違う。畳の上に荷物を置いて、何となく正座する。しばらくして部室には私と大地さん以外誰もいなくなって、私の正面に大地さんがあぐらで座った。

「悪いな、呼び止めて。」
「いえ。」

少し逡巡したように目を泳がせてから、ゆっくりと大地さんが口を開いた。

「俺が口出しするようなことじゃないとは思ったんだけどな、」

そう切り出した大地さんの目が不安げに揺れる。

「スガと、何があったのか?」

ここ最近避けてるだろ?、そう大地さんに問われてやっぱり、と眉を顰めた。だから嫌だったのに。


「迷惑、かけてスミマセン。」
「いや、迷惑とかじゃなくてだな。これは主将としてじゃなくて、アイツの友達として俺が聞きたいんだ。」
「…。」
「どうしても言いたくないならそれでもいい。だけど、そうじゃないなら聞かせてくれないか?」

そう話す大地さんの口調は酷く穏やかで優しい。どうしてこうも、私の周りは優しい人ばかりなんだろう。牧だって、スガさんだってそうだ。私を傷つけない為に自分達が傷ついて、結局私ばかりが守られて甘やかされる。だから、こんな風に不甲斐ない、覚悟も決断も出来ない私が出来上がる。

「スガさんに、」
「うん?」

気がついたら口を開いていた。

「我慢してるって言われました。」

大地さんは何も言わない。ただ黙って私の言葉の続きを待ってくれている。

「キス、したり、もっと、その先だってしたい、って。だけど、私を傷つけたくないから、大事だから我慢してるって。」
「うん。」

話の内容に大地さんの顔が一瞬驚いてから、すぐに落ち着いた様子で話を聞いてくれる。私は俯いて、正座した太ももの上に置いていた両手をぐ、と握り締める。

「でも、私は怖くて。経験もなくて、自分の体に自信もなくて。分からないことばかりで怖くて。だけど、私のせいでスガさんが我慢して辛いのは嫌で、でもやっぱり私は怖くて受け入れる自信も今はなくて、それで、」

あぁ、ダメだ。言ってることがまたループし始めてる。こんなんじゃ大地さんを困らせてしまう。自分を守ろうとするからループする。スガさんの辛さより、私の怖さを優先するからループするって分かってるのに、止められない。

不意に、大地さんがふは、と吹き出した。くくく、と声を噛み殺して笑う。どうして笑われたのか分からなくて顔を上げると、すまんすまんと謝る大地さんと目が合った。まだ、笑ってる。

「何だかんだ言っても、名字も女の子なんだな。」

無言で大地さんを見つめていると、笑い終えた大地さんがごほん、と咳払いをした。

「経験がなくて怖いのは当たり前なんじゃないか?それを分かってるからスガも我慢してるんだと思うぞ。」
「…でも、我慢してるんですよね…?」
「男だからな。そこは仕方ないだろ。」

苦笑いを浮かべていた大地さんが、だけどな、と言ってにっこり笑った。

「怖い怖いって言うけど、案外その時になったら怖くないかもしれないぞ?」
「え?」
「なぁ、スガ?」
「!?」

大地さんの視線が私を通り過ぎて、ドアの方へと向けられる。驚いて振り向くと、かちゃり、と静かにドアが開いた。申し訳なさそうに顔を歪めたスガさんの顔が覗く。

「す、スガさ、今の聞いて、」
「ごめん。立ち聞きなんて良くないって思ったんだけど、どうしても気になって。」

スガさんが部室の中へと一歩、足を踏み入れる。と同時に大地さんが立ち上がった。荷物をもってすたすたと私の横を通り過ぎて、入口付近に立っているスガさんへと近づく。

「スガ、一個"貸し"な。」
「サンキュ、大地。」

スガさんが聞いていることを、最初から大地さんは知っていたらしい。鍵をスガさんに手渡して、大地さんが帰っていく。その背を呆然と見送って、部室内には私とスガさんの二人きりになった。

逃げることも、立ち上がることさえ出来なくて、私はただ大地さんの消えたドアを見つめることしか出来なかった。





さあ、時は満ちた
(一人で抱え込む時間は終わりにしよう)