「あっちー。」

蒸し暑い体育館の外に出たら出たで、今度は強い日差しに照りつけられて更に暑い。昼食を取る前に、頭から水を被ってさっぱりしたい衝動にかられてタオルを手に外にある水道へと歩く。そこにはすでに先客がいて、どこから持ってきたのか、ホースを手に田中とノヤっさん、日向がぎゃあぎゃあと騒ぎながら水をかけあっている。遠征から帰って来て、賑やかな日常が戻ってきたことが嬉しくて顔が緩む。

「何やってんのー?」

三人の元へ駆け寄ると、私に気付いて三人とも振り返った。三人とも上半身裸でずぶ濡れになっている。

「おー、名字!」
「名前も来るかー?」
「気持ちいいですよ!」

水道から伸ばされたホースからばしゃばしゃと飛び散る水しぶきが、太陽に反射してきらきら光る。それがたまらなく気持ちよさそうで、私は靴を脱いで裸足になると、濡れないようにタオルと一緒に離れた場所へ置いてシャツのまま水しぶきの中へ飛び込んだ。
すかさずホースを持っていた田中に思いきり水をかけられて、反射的に水が目に入らないよう手で避ける。

「うわっ!?ぬるっ!!」

水道管が温まっているのか、かけられた水はぬるいけれど汗をかいた体にはそれでも気持ちいい。全身の汗が流されて、午前中の練習の疲れも吹き飛びそうだ。

「名前!」

田中が振りまく水を日向と一緒になって浴びていると、ノヤっさんに呼ばれて振り向く。

「ぶわッ!!?」

水道の蛇口をこちらに向けて勢いよく顔面に水をかけられて、思わず目をつぶる。

「どーだ、名前!」
「ちょ、ノヤっさん待って待って、」

容赦なくかけられる水しぶきを手で避けようとしても敵わずにばしゃばしゃと全身水を被る。

「隙ありっ!!」
「うわっ!?」

ノヤっさんとの攻防を繰り広げていると、今度は反対側から田中に水をかけられる。両手をそれぞれの方向へかざしても、手のひら一つで水を避けられる筈もなく、水を被るばかりだ。

「おいお前ら、風邪ひくなよ!」

大地さんの咎める声が少し離れた所から聞こえて、三人そろってはーい、と返すが、誰一人として水遊びをやめようとはしない。だってこんなに気持ちいいのに、やめてしまうなんて勿体無い。

「名字ッ!!」

鋭く名前を呼ばれた、と思った次の瞬間には誰かに勢いよく後ろ首を掴まれて引っ張られた。

「ぅぐっ、」

シャツの首がしまって苦しかったのは一瞬で、すぐに解放された。

「スガさん!」

驚いたような田中の声に反応してすぐさま顔を上げると、すぐ目の前に見慣れたスガさんの後ろ姿があった。私を引っ張る時に水を被ってしまったらしく、私達程じゃないにしろ、濡れたスガさんの髪からぽたぽたと雫が滴り落ちる。後ろ姿だというのに、それが何だかたまらなく色っぽく見えて、心臓が跳ねた。水も滴るいい男って、こういうこというのうかなぁ、と呑気に考える。

「お前ら何やってんだよ!」

スガさんに怒鳴り声に、びくりと肩が揺れる。スガさんの肩越しに他の三人の様子を伺おうとすると、スガさんの右手に制される。仕方がないので、顔だけ覗かせると三人は肩を竦ませて立っている。
さっきまで勢い良く水しぶきをあげていたホースと蛇口からは、すっかり勢いがなくなってじょぼじょぼと流れて水溜りを作る。

「お前らはどうでもいいけど、名字は女の子なんだぞ!」
「へ?」

いや、確かに女ですけど、でも何でそんなに怒るんだろう。よく分からなくて首を傾げる。それは田中達も同様のようで、三人ともきょとんとしている。スガさんが盛大な溜息をついた。

「シャツ透けてる。」
「あ。」

言われて気がついた。今着ていたのは白の練習用のTシャツで、しかも今日の下着は黒だった。濡れて肌にぴったりと張り付いたシャツからは、黒のブラがしっかりと透けて見えている。スガさんの背に隠れるように立たされているのは、そういう理由からかとようやく合点がいった。

スガさんに、ぐい、と右手を引かれる。

「お前ら、さっきまで見てたもの今すぐ忘れろよ。」

そう言いおいて大股で歩き出したスガさんの後ろを、引っ張られながら裸足のまま歩く。石を踏みつける度に足の裏が痛い。せめて大きな石や危なそうなゴミは回避しようと、地面を見つめながら歩く。スガさんの足は止まることなく歩き続ける。

「あ、の、スガさん、」

怒っている。いつもやさしくて温厚なスガさんが怒っている。私も怒られるのかな。あの三人もまた怒られるのだろうか。

「あの、三人は悪くないんです。混ざりたいって言ったのは私で、だから、」
「もっと、」
「え?」

あの三人を叱らないで下さい、そう言いかけた言葉はスガさんに遮られてしまった。スガさんのいつになく低い声が静かに響く。

「もっと自分が女の子って自覚して。俺たちのこと信頼してくれるのは嬉しいけど、もう少し警戒心持って。」
「…スミマセン。」
「そんなに余裕ないって俺、前に言わなかった?」

不意にこの前のファミレスでの牧たちとの会話が脳裏を過ぎった。スガさんは多分我慢してる。でも、多分待っているとも。

「あ、の、スガさんは私に、その、」

言葉が詰まる。どうしてだろう、聞くのが怖い。聞いてはいけないような、でも聞いてみたい。聞いて、何が出来るという訳でもないのに。

「欲情、したりとか、」
「するよ。」

聞き終える前にあっさりと頷かれて、その返事に一気に顔が熱くなる。

「キスして触れて、その先だってしたいって思ってるよ。今だってそんな格好見せられて、本当はめちゃくちゃ触りたいって思ってるよ。」

だけど、と呟いてスガさんの足がようやく止まる。俯いていた顔を上げると、そこは部室棟の前で、スガさんの顔は背けられている。

「名字が大事だから。自分勝手にがっついて傷つけたくないから、ずっと我慢してるんだよ。」

ゆるり、とスガさんの顔が私の方を向いて、真っ直ぐに見つめられる。その表情は苦しそうに歪んでいる。そんな顔をさせてしまっているのは、我慢させてしまっているのは自分のせいだ。どうしよう。牧たちの言う通りだった。だけど、牧は焦るなって言ってた。スガさんは、私が大事だって、傷つけたくないってそう言ってくれた。
だけど、私は?私は自分を守って、スガさんを傷付けてない?苦しめているのは、私じゃないの?

「スガさん、」
「早く着替えておいで。昼飯食べる時間なくなっちゃうよ。」

口を開きかけて、結局何を言えばいいのか分からなくて口を噤む。そうしている間にも、スガさんにほら早く、と促されて渋々それに従う。

「じゃあ、」
「うん。」

部室のドアを開けて、中に入る。ぱたん、と閉まったドアに背を預けてずるずるとその場に座り込んだ。
スガさんの言葉が頭に焼き付いて離れない。ぎゅ、と掴んだ腕は濡れたままで、ついさっきまで気持ちよかった筈の濡れた服が、体が気持ち悪い。





本音と建前
(守るために傷つくなんて、)