ちらりと横目で自主錬中のスガさんの姿を横目で見る。額に滲む汗。それを拭う大きな手。目元にある印象的なほくろ。形の綺麗な唇。初めて触れたそれは柔らかくて温かった。
昼間の出来事を思い出して、一気に顔が熱くなる。何を思い出しているんだ、自分は。思い出す度に恥ずかしさで居た堪れなくなって、その度に思い出すまいと決めて、それなのに懲りずに反芻しては身悶える。たった数時間で一体何度それを繰り返しただろう。

「名字、どうしたの?」

縁下の声で、今はサーブの練習中だったと我に返る。今はクラスメイトでもある縁下が付き合ってくれているのだ、練習に集中すべく、もとい煩悩を振り払うように頭を振ってから深呼吸を一つ。集中しろ、自分。
神経を研ぎ澄ませて、ボールを投げあげると同時に踏み切って思い切り打つ。ネットを越えてラインギリギリに落ちかけたボールは、危なげなく縁下のレシーブに拾われる。あぁ、今のは我ながら狙い通りのいいコースに決まったと思ったのに。ああもあっさりと拾ってしまうなんて、縁下だってなかなかの実力者だといつも思う。
再び手元に返ってきたボールを掴んで、またボールを投げあげる。僅かでも邪心に支配されるまいとひたすらにサーブを打ち続けてどれくらい経ったのか。そろそろ自主錬をやめて帰るようにとの鵜飼さんの声が響いた。

「そういえば、今日何かあった?昼休みの終わり間際に叫んでたの名字だろ?」

ボールを籠に入れたあと、一緒にネットとポールを片付けていた縁下の問いかけにびくり、と一瞬肩が揺れた。

「え、何で知ってるの?」
「あれだけ大きな声で叫んでたら聞こえるよ。」
「いや、そうかもしれないけど、何で私って、」

知ってるの、と言えば、縁下はあぁ、と頷いた。

「帰りに職員室行ったら名字が怒られてたの見たから。」
「縁下も何かしたの?」
「名字と一緒にしないでくれる?日誌出しに行っただけだよ。」

呆れ顔で言われて、そういえば今日は縁下が日直だったような、とぼんやりと思い出す。というかさらっと今失礼なこと言われたような。放課後にくどくどと怒られたことも思い出して、眉間に皺が寄った。

「で?」

促されてうっ、と口篭る。折角人が一生懸命思い出さないようにしてたのに、何で蒸し返すんだ。しかも言える訳ないじゃないか。まさかスガさんにキスされて、それがしかも私のファーストキスで、恥ずかしさで悶えてましたなんて、口が裂けても言えない。恥ずかしすぎる。
何事もなかったような、いつも通りのスガさんを一瞬視界の端に捉える。モップがけをしながら大地さんと旭さんと何やら楽しそうに話している。

「あぁ、スガさんか。」

目敏く私の視線の動きを捉えていた縁下が納得したように呟いた。「スガさん」の響きにまた肩が揺れる。縁下を見れば、それ以上追求するつもりは無いようで、淡々と片付けを進めていく。

「何があったのか知らないけど、過剰反応しすぎだと思うよ。」
「いや、でも、そんなこと言われたって、スガさんが、」
「俺が何?」
「うわぁああああっ!?」

用具室にネットとポールを片付けた所で、背後から聞こえたスガさんの声に思わず叫び声を上げてしまった。反射的に後ろに飛び退ろうとするも背後にいたスガさんにぶつかって、しかも後ろから肩を組むように伸びてきたスガさんの左腕に拘束されてしまう。モップを片付けに来たようで、スガさんから受け取ったモップを、まだ中にいた縁下が片付ける。そうして先に用具室を出ていった縁下を見送ってから、行き場を失った視線をうろうろとさ迷わせる。スガさんの腕は私の首に絡まったまま、離れる気配はない。

「で、俺がどうしたの?名字。」

さほど変わらない身長のせいで、楽しげな声で私の顔を覗き込んでくるスガさんの顔が近い。すぐそばで聞こえる声に振り向いたら多分最後だ。このまま恥ずかしさと緊張で死ねる気さえする。人生初キスなんて想像もしていなかった、自分には関係ないと他人事のようにさえ捉えていた行為をたった数時間前に現実のものとして突きつけられた、その後で一体どんな顔したらいいの。しかも、それを思い出してしまった直後で。

「スガさんスガさんスガさん、」
「ハイハイハイ?」
「あの、近いです、」
「嫌?」
「そうじゃなくてですね、あの、ほら、まだダウン終わってないですし、皆待ってるっていうか、だから、あの、」

とりあえず私が色々限界なので離してもらえませんか。そう呟くよりも先に大地さんの声が響いた。

「おいお前ら、いちゃついてないで早く戻ってこい!」

残念、そう呟いてスガさんの腕がぱっと離れる。やっと逃れられたと安堵したのも束の間。

「でも後でちゃんと聞くからな。」

皆の元へと走り出す直前、耳元で囁かれて思わずスガさんを見た。にっこりと笑ったスガさんと目が合う。どうしたって逃がすつもりは多分無いのだろう。そう気づいてしまった私にできることは、きっと腹を括ることしか無いのだと思う。





キスのその後の過ごし方
(平静でいるなんて無理、)