壊れたと思った日常は、スガさんが修復してくれた。むしろ、より幸せへと作り替えてくれた気がする。あれほど悩んでいた悪友への態度は、悩んでいたのが無駄にさえ思える程、あっさりといつも通り自然にできた。あの後スガさんに好きだと言ってもらえたことを伝えたら、「俺当て馬みてえ」と項垂れた彼を大笑いしたら怒られたことは記憶に新しい(そんなやりとりもいつものことだ)。相変わらず毎日のようにスガさんが、スガさんが、と話す私の話を面倒くさそうにしながらも、今でも変わらず聞いてくれる辺り、イイヤツだと思う。早く、可愛い彼女が出来たらいいのに。

「名字今日は大人しいなあ。」
「そうですか?」

練習が終わって体育館にモップがけをしていると、そう口を開いたのは、同じようにモップがけをしていた旭さんだ。

「名字のことだから、今日はもっと騒がしいかと思ってたんだけど。」
「うん?」
「だってほら、今日はスガの誕生日だし。」
「へー、そうなんですかー。」

さらりと旭さんの口から発せられた重大事項を、あわや聞き逃す所だった。
あれ、今、何か物凄く大事な事聞いたこと気がする。

冷や汗が一筋、背中を伝った。

「旭さん、今なんて、」
「ん?だから今日はスガの誕生日、って、」

カラーン、と音を立てて手の中にあったモップの柄が床へと落ちた。
何てことだ。今日がスガさんの誕生日、だと?そんな話今初めて聞いたよ。何で誰も教えてくれなかったんだ。ていうか、あと数時間で今日が終わってしまうではないか。おめでとうを伝えていなければ、当然プレゼントも用意していない。

「もしかして名字、知らなかった…?」

おずおずと顔を覗き込んできた旭さんの胸ぐらに勢い良く掴みかかった。先輩とかそんなこと関係無い。今はとかく一大事なのだ。

「何でもっと早く教えてくれなかったんですかああああ!?」
「い、いや、名字のことだし、既に知ってるかと…。まさか知らないなんて、思わなかったんだよ、」
「誰も教えてくれなきゃ知らないですよ!!」

こうしてはいられない、とぐらぐらと揺さぶっていた旭さんの胸ぐらからぱっと手を離すや否や、用具室にネットを運んでいたスガさん目掛けて私はダッシュした。

「スガさあああああんッ!!!」
「うわッ!?」

勢いのままスガさんの背中に抱き着いた。半分タックルに近かったかもしれないけれど、スガさんは倒れず堪えてくれたから気にしないことにする。というか、仮に押し倒す形になったとしても気にしない。今の私にそんな余裕はない。

「どうした、名字!?」
「スガさん今日誕生日って本当ですかッ!?」
「そうだけど。」

それがどうしたの?と振り向いたスガさんから離れると、すかさず跪いて頭を下げた。所謂土下座という奴だ。

「ちょ、名字!?」
「スガさんスミマセン!!私としたことが、今さっきまでスガさんの誕生日を知りませんでした!故にプレゼントも用意できませんでしたッ!!」
「え、いや、別にそんなのどうでも、」
「なので、プレゼントとして私を貰って下さいッ!!」
「…。」

暫し沈黙が広がる。ぷっ、と吹き出して笑っているのはどうせ月島辺りだろう。いつもならシメる所だけど、生憎今の私はとにかく目の前のスガさんで頭が一杯なのだ。今日のところは見逃してやろう。

「とりあえず、顔上げて着替えてきな。」

ほら、とスガさんに体を引き起こされて、にっこりと微笑みを向けられる。
あれ、何だろう。笑ってくれてるのに一瞬寒気がしたのは気のせいかな。うん。きっと気のせいだ。そうに違いない。

「今すぐ着替えてきます!!」
「おー、じゃ後でな。」
「ハイッ!」

そう言って一旦別れたのが十数分程前のこと。いつもは途中まで一緒に帰る大地さんや旭さんは今日は別々に帰るようで、スガさんの誕生日だし、付き合って初めてのイベントだし、気を使ってくれたのかな、なんて私の頭は、そのイベントを知らなかったことを棚に上げて呑気に考えていた。
暗くなった道をお互い無言のまま、スガさんと並んで歩く。周囲には誰もいないようで、辺りはしんと静まり返っている。

「さっきの言葉さ、」
「はい。」
「あんなの誰にでも簡単に言ったら駄目だからな。」
「スガさんだけですよ?」

首を傾げれば、スガさんはちらりと私を見て、はあ、と溜息をついた。
あれ、何か変なこと言ったかな。

「言い方を変えようか。」

立ち止まって私の方に向き直ったスガさんにならって、私も立ち止まる。

「あんなこと言ったら、俺に何されても文句言えないって分かってる?」
「え?」

スガさんの視線が何だか怖くて、思わず右足が半歩下がった。いつもの優しい目じゃなくて、見たことのない、目。何かを欲を秘めているような、そうだ、多分、男の人の目、だ。
半歩分下がってできた合間を詰めるように、スガさんも半歩近づく。また、ずるり、と下がった左足。詰められる隙間。そうしてずるずると後ずさりをして、とうとう背中が壁にぶつかった。スガさんの右腕がすっと伸びて、私の頬に触れる。私を射抜く視線は怖いとさえ感じるのに、頬に触れる手は酷く優しい。いつだったか、擦りむいた顎の手当てをしてくれた時も、こんな風にやさしかった、とふと思い出す。
頬に触れたスガさんの親指がそっと私の下唇を撫でて、綺麗な顔がゆっくりと近付く。思わずぎゅ、と目を閉じた。心臓が破裂しそうなほどバクバクと脈を打つ。

「冗談。こんな所じゃ何もしないよ。」

ぽん、と頭を撫でられて閉じていた目を開ける。いつもの優しい笑顔で帰ろうか、と差し出された手を取ると、ぎゅ、と握られた。

「スガさん、」
「うん?」

ゆっくりと歩き出したスガさんに手を引かれるようにして歩き出す。

そうだ、思い出した。私はまだ一番大切なことを伝えていない。誕生日を知らなくて、それが今日だと言う衝撃でパニックになって色々やらかしてしまったけれど。何もできなかったけど、これだけはきちんと伝えないと。

「誕生日、おめでとうございます。」
「ありがとう。」
「近いうちにちゃんとお祝いさせて下さい。ケーキ、一緒に食べましょう。」
「ん、楽しみにしてる。」

そう言ってスガさんが笑ってくれたから、私も自然と笑みが溢れる。
何だか格好がつかないスガさんの誕生日になってしまったけれど、不格好な今日の分、近いうちに必ず目一杯お祝いしよう。




誕生日おめでとう
(生まれて来てくれてありがとう)