「あっつー、」

ぽつりと呟いてガードレールに凭れて空を仰ぐ。雲一つない青空と照りつける太陽の強い日差しは十分過ぎる程に夏らしい。名前ちゃんとの待ち合わせ時間まであと十分程。いつも早めに現れる彼女のことだから、きっともうすぐ来るだろう。

真っ直ぐだった筈の彼女への気持ちが捻れていると気付いたのは、確かこんな風に暑い日だった気がする。特別記憶に残る程の何かがあった訳じゃない。いつも通り何気ないくだらない話の合間、会話が途切れて何となく沈黙が広がって。俺の隣で屈託なく笑っていた彼女が口を閉ざすその横顔が傷付いてるように見えて息が詰まった。どうしたの、何でそんな顔してんの、って聞きたかったのに聞けなくて。その髪に、頬に触れるなんてことも出来る筈もなく。

いつからなんて覚えていないけれど、気が付いた時にはもう名前ちゃんを好きになっていた。他の女の子達みたいにちやほやすることもなく、あくまでも他の人間と変わらない態度で、むしろ冷たいくらいの温度で接してくれる彼女に惹かれた。芯が強くてちょっとやそっとのことじゃ動じない彼女を守りたいと思った。側にいたいと願うようになって。むくむくと膨らんだ想いはいつしか誰にも見せたくない、触れさせたくないという独占欲へと姿を変えて、それがいつか彼女を縛って傷付けるかもしれないと思うと怖くなった。だから彼女への想いを俺が口にすることはなかったし、彼女が俺に向けてくれる視線も気持ちも全部知らないふりをした。そうすれば彼女と俺の想いとが交わることはない。平行線でいられる。きっと俺の手で彼女を傷付けることもない。

今思えばあまりに浅はかで笑える。平行線だなんて、そう思っていた過去こそが彼女を傷付けていたというのに。

彼女の幸せ公式があったとして、その解き方なら多分ずっと前から知っていたと思う。でも分からないふりをしていた。平行でよかった筈の気持ちは一緒にいる毎にどんどん膨らんで、近付きたい、触れたいという欲に邪魔をされて。ならば交わらなければいいと、捻れてもいいから近付きたいと願って結果捻れた。それは簡単にはほどけない程に複雑に。その過去はどれほど彼女を苦しめたんだろう。

だけどね。
曲がりくねった長い道のりだったけど。今は、今はちゃんと君へと向かってる筈なんだよ。君を苦しめた過去とは別れを告げなくちゃいけない。ちゃんと分かっているんだ。

「あれ、早いね及川。」

ふと影がかかる。空を仰いでいた顔を声のした方に向ける。名前ちゃんこそ、と笑いかけて彼女の正面に立つ。

彼女にたどり着くまでどれくらいかかるんだろうと思った時もあった。そんな時は来ないかもしれないと諦めたことも。
それでも今彼女の目の前に俺は立っている。たくさん傷付けて苦しめたけれど、やっとここまで来れたんだ。

ランチどこ行こうか、と俺に話しかける彼女の腕を引いてその唇にキスを落とした。

「ちょっ、いきなり何、」
「好きだよ、名前ちゃん。」
「はぁ?」

これでもかという程目を丸くした後で、顔を赤くした名前ちゃんがそれはどうも、とごにょごにょと呟く。赤くなりながら名前儀にお礼を言う彼女はたまらなく可愛い。そんな彼女を思いきり抱き締める。

「ちょっ、及川!?何、何なの、ていうか人前なんですけど!」
「いいじゃん、見せつければ。」
「やだ、恥ずかしいって!こっちは及川程図太い神経持ってないっつうの!」
「図太いなんて酷いなぁー。大丈夫、照れてる名前ちゃんも可愛いよ。」
「だからッ、」

もう何がしたいの、と抵抗することを諦めたのか、名前ちゃんが腕の中で大人しくなったのをいいことに、その肩口に顔を埋めてぎゅうぎゅう抱き締めた。

やっとたどり着いて、距離がゼロになったんだ。俺はまだわがままだけどさ、大事な言葉も気持ちも全部形にしたいんだ。もう隠したり飲み込んだり、誤魔化したり見て見ぬふりもしない。この声が空に溶けたとしても口に出して言うから聞いて欲しいんだよ。

彼女を抱き締めたまま、そっともう一度空を見上げる。

そこには一筋の飛行機雲が長く伸びていた。



song by UNISON SQUAR GARDEN「8月、昼中の流れ星と飛行機雲」