コンコン、とドアをノックする音にはい、と返事をする。静かにドアを開けて入ってきたその人を振り向く。

「よー、名字。」
「岩泉、」
「結婚おめでとう。似合ってんな、ドレス。」

軽く手を上げたスーツ姿の岩泉にありがとう、と笑いかける。支度も終わり、式本番まではまだしばらく時間がある。

「くっつくまであんなに長かったくせに、結婚はあっさり決めちまうとはな。」

呆れを含んだ岩泉の声にあはは、と苦笑する。その節はご迷惑おかけしました、と恭しく頭を下げると、俺は何もしてねぇよ、と岩泉は事も無げに返した。私から及川への気持ちを岩泉に相談したことはないけれど、きっと岩泉はずっと気付いていたのだろう。及川と同じように気付いていて知らないふりをしてくれていた。及川の方はことある毎に相談していたみたいだけれども。だから付き合うことになったと報告した時、岩泉はやっとかよ、と辟易したように吐き捨てた後で、良かったな、と笑ってくれたのだ。

「つーか、何だよ、表の張り紙。」
「ああ、あれね、」

岩泉に問われてついふふふ、と笑いが溢れる。岩泉が指摘した表の張り紙とは、新婦控え室のドアに貼られた「新郎立ち入り禁止」と書かれた紙のことだろう。

「及川には本番までドレス見せないようにしようと思って。」
「一緒に選びに行ったんじゃねぇの?」

ううん、と首を振ってみせる。不思議そうな岩泉を見上げて、だってさ、と続ける。

「一回目の試着の時、及川鬱陶しかったんだよ。一着一着私以上に吟味しちゃってさぁ、」

だから私一人で行って決めてきた、と笑ってみせる。岩泉は想像がついたのか、何やら複雑な顔をしている。

「もうこの際だからギリギリまで及川には内緒にしようかと思ってね。」
「それでアイツ式当日だっていうのに、イライラしてんのか。」
「ごめんね。とばっちり食らってない?」
「気にすんな。たまにはいいんじゃねぇの。少しくらいアイツにやきもきさせとけ。」

ふん、と鼻で笑った岩泉に、ありがとう、と微笑む。やっぱり岩泉は昔と変わらず優しくて懐の広い男前だ。
二人で笑いあっているとドアをノックする音がして、そろそろ移動をするようにとスタッフさんに促された。じゃまた後で、と去っていく岩泉の後ろに続くようにして、私もゆっくりと座っていた椅子から立ち上がり控え室の外へと出ていく。そこで待ち構えていたのは、岩泉が言っていた通り不機嫌な及川だ。

「どう?」
「すっごい似合ってる。名前ちゃん超綺麗。」

ありがとうと笑えば、及川の顔が、苛立ちから何とも形容しがたい表情に変わっていく。きっと自分が選びたかった、悔しいという気持ちと、綺麗だと褒めたい気持ちとかないまぜになっているに違いない。

「あああー、やっぱ俺も一緒に選びたかったー!」
「不満?」
「ちょっとね。でも最ッ高に綺麗だから許す。」

しばし見つめ合った後で、二人同時に吹き出した。そうして、及川がもう一度、綺麗だよ、と繰り返す。その言葉に、もう今日何度目か分からないありがとうを返す。

「ね、名前ちゃん。」
「うん?」
「ずっと一緒にいようね。絶対俺が名前ちゃんのこと幸せにするから。」
「いいよ、幸せになんてしてくれなくて。」
「え?」
「及川の隣にいられれば、それでいいよ。それだけで十分幸せだから。」
「欲がないねぇ。」
「そう?人一人の人生寄越せって、結構強欲だと思うけど。」

そうかも、と笑って差し出された及川の手に、自分の手をそっと重ねる。どちらからともなくきゅっと握った手のひらから、及川の体温が伝わって温かい。

こうして手を繋げることも、隣を同じ歩幅で歩けることも、二人で笑いあえることも、そのどれもが当たり前じゃないから。当たり前じゃないこと、ちゃんと忘れずに大切にしよう。笑って、時には喧嘩したりもして、それでも逃げずにちゃんと向き合える二人でいよう。自分の気持ちにも、お互いの気持ちにもちゃんと向き合って、そうやって生きていこうよ。

二人で一緒に。



だってもう、ピエロを演じる必要なんてどこにもないんだから。