「ちょ、ちょっと、まっ、ちか、近いですって、スガさん、」
「んー?」

左頬に添えられたスガさんの手。至近距離で見つめられる。心臓がばくばくと煩い。助けを求めて唯一自由な視線を辺りに巡らせてみても、誰一人視線を合わせようとしない。むしろ関わることさえ避けられているような。

そもそも何でこんなことになったんだっけ。確か、スガさんに今日こそは一矢報いようと企てた筈だったのに。
事の発端は僅か数分前のこと。



コンビニなどに行けば、それらしいディスプレイをされてはいるものの、正直ハロウィンなんてあまり興味もなければ、イベントとしての認識も薄い。それでも今日はハロウィンだからと、小さなかぼちゃの形をしたプラスチック籠に詰められたキャンディーの詰め合わせをプレゼントしてくれた友人はマメな子だとしみじみ思う。ハロウィンにさえ興味がない私とは大違いだ。

更衣室でジャージに着替えて、可愛らしいそのかぼちゃの籠を手に取ってみる。ハロウィンといえば、仮装した子供達が「トリックオアトリート」と言いながら、各家を巡りお菓子を貰うのが習わしだったか。トトリックオアトリート。意味は、お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ。悪戯。その何処となく甘美な響きに、そういえば、と思い出す。悪戯に託けて、恋人といちゃいちゃする、という在り来たりなシーンを少女漫画か何かで目にしたような。

ニヤリ、と口端をつりあげる。これならもしかしたら、いつもは一枚も二枚も上手な彼を少しくらいは動揺させることが出来るかもしれない。いつだって私ばかりがドキドキさせられて、動揺して、余裕がなくなって。たまには彼、スガさんだって、ドキドキしたらいい。余裕なんか無くなって、少しは狼狽えたらいい。そんな顔も見てみたい。

思い立つなり、更衣室を飛び出す。既に体育館に来ていて何やら大地さんと旭さんと談笑しているスガさんのもとへ駆け寄る。練習が始まるまではまだ少しある。行くなら今だ。

「スガさん!」
「ん?」
「トリックオアトリート!」

振り向いたスガさんに、両手を差し出して言うと、三人揃ってきょとんと目を丸くした。

「ああ、そういえば、今日はハロウィンだったか。」

最初に反応したのは大地さんだった。それを聞いたスガさんと旭さんも思い出したように、ああ、と頷いた。

「ごめん、名前。お菓子持ってないや。」

眉を下げてそう言ったスガさんに、内心でガッツポーズをする。よし、ここまでは予定通りだ。

じゃあ、と呟いてスガさんに近付く。両手を伸ばして、スガさんの両肩に触れる。背が高いスガさんに少しでも近付こうと、背伸びをしてその綺麗な顔を見つめる。

「悪戯、ですね。」

にっこりと微笑んで囁く。

さあ、どうだ。これで少しはドキドキした?ドキドキすればいい。いつもドキドキさせられっぱなしの私の気持ちがたまには分かれば、

「そうだね。」

あっさり頷いたスガさんに、不意にぐい、と腰を引き寄せられて、左頬に手を添えられてスガさんの顔が近付く。息がかかるほどの距離で見つめられる。

「で?悪戯って何してくれるの?」
「え?」
「悪戯、するんでしょ?」
「、はい、」
「何してくれるつもりなのか聞きたいなあ。」
「いや、それは、ですね、あの、」
「口じゃ言えないことするつもりだったの?」

名前ってば、やらしー、スガさんがクスクスと笑う。その笑みが何だか妖艶で、ドキドキさせる筈の私がドキドキしてしまう。

「そんな、こと、は、」
「じゃあ何?」
「え、と、あの、」

更に近付いたスガさんの顔に、鼓動が更に早くなる。ドキドキばくばく響いて煩い。いつの間にか大地さんと旭さんはいなくなっていて、助けも求められない。

そうして冒頭に戻る訳で。

「んー?、じゃなくて、ですね、あの、だからちか、」

近いんです、と言いかけた言葉は、スガさんの唇に遮られてしまった。ちゅ、とリップ音を立ててスガさんの唇が離れる。それと同時にスガさんの手が離れて体が解放される。

「ごちそうさま。」

に、と笑ったスガさんが私の頭を一撫でして去っていく。
私はへたり、とその場に座りこんだ。後ろの方で田中達が騒ぐ声が聞こえる。

何、今の。何でああなるの。
顔が熱い。心臓が煩い。
一矢報いる筈だったのに。少しくらいドキドキしてくれたっていいじゃない。何で私ばかりがドキドキするの。

ああ。でも。やっぱり。
そんな風にいつだって余裕なスガさんが、

「大好きだよ、ちくしょー。」





愚かな私の企ては、結果、
返り討ちにあいました。