本屋のバイトを終えて店の裏口から外に出ると、私のバイトが終わるのを待ってくれていたらしい及川と目が合った。おつかれ、と笑ってひらひらと手を振る彼におつかれ、と返しながら近付く。他愛のない会話をしながらどちらからともなく歩き出した私たちの向かう先は、近所のよく行く居酒屋チェーン店だ。十分程歩いて店に到着すると、及川が予約をしてくれていたようですぐに席へと通された。どうぞ、と促す及川の手に従うまま小さな個室の奥側の席の椅子を引いた。バッグを横の椅子に置いて腰かけると、その向かいの席に及川が座った。手に取ったメニュー表を私が見やすいようにこちらに向けて広げてくれる。何頼む?、と二人でそれを覗き込んだ。

「とりあえずビール。」
「俺もー。つまみは?」
「サラダ食べたい。」
「どれにする?」

しばし思案してから、これ、と指差す。あとは何食べたい?と聞かれて適当に4品程選んで決めた所で、及川がテーブルの上の注文ボタンを押した。程なくして来てくれた店員のお兄さんに、及川がビールや今しがた決めたばかりの料理を注文してくれる。おしぼりで両手を拭きながら、相変わらずスマートな奴だと内心で感心する。店の予約といい、さりげなく奥の席を譲ってくれたりメニューの広げ方だって。岩泉もよく気が利くし、一緒にいる時は何かと私を優先してくれることがほとんどだけど、及川のそれは何処か徹底されているような気がする。体に染み付いているというか。無理もぎこちなさも感じさせない仕草はあまりに自然だ。まるでそうすることが当然だとでも言うように。

暫くして運ばれてきたビールで及川と乾杯する。ごくごくと喉に冷えたビールを流し込む。ジョッキの三分の一程を一気に飲んで、たん、とジョッキをテーブルに置いた。ビールと一緒に運ばれてきたお通しに箸を伸ばす。

「それにしても岩ちゃんも薄情だよねぇ。」

及川さんがフラれて傷心だっていうのにさー、とあからさまにつまらなそうな声でぼやいたその顔は、声に違わずやっぱりつまらなそうだ。

「彼女とデートなんだから仕方ないじゃん。」
「及川さんより彼女取るってどうなの?」
「当然でしょ。」

何を言ってるの、と事も無げに答えてみせれば、ヒドイ!、と大袈裟に泣き真似をした及川が唇を尖らせた。そんな及川は無視して、店員さんが運んできてくれたサラダを受けとる。それをテーブルに置いてから、取り皿を手にとって適当に取り分けた。先に及川の前に置いた後で自分の分を取り分ける。

「で?今度は何でフラれたの?」

今日及川とこうして飲んでいるその名目は、「彼女にフラれた可哀想な及川さんを飲んで慰めよう」だ。要は及川の愚痴を聞くために呼び出された訳で、本当なら岩泉も来る筈だったのに、彼は彼女と先約があるからといともあっさりと及川を私に押し付けたのだから、案外及川のいう通り薄情なのかもしれない。とはいえ正直面倒だと思わないでもないし、彼女と別れる度に話聞いてよ、と泣きついてくる及川に岩泉と二人でまたかよと顔を顰めるのも毎度のことなので、実際の所は何とも言えないというのが私の本音だ。何が楽しくて毎度彼女とののろけから愚痴までを、この男から聞かねばならないのか。及川と飲めるのは嬉しい。でも他の誰かの話なんて聞きたくない。そんな矛盾した我が儘な私の思いになど、及川は一生気付かないのだろう。

「最近練習とか遠征であんま会えてなくてさぁ。彼女が、私とバレーのどっちが大事なのって。」

ビールを飲みながら、うわぁ、と眉を寄せた。そんなこと言う女が本当にいるとは。そういうの分かっていて付き合ったんじゃないの、と腹の奥底から黒いものが込み上げてくるのを堪える。

「それで?」

当然バレーを選んだのだろうなと考えながら、また一口ビールを口に含んだ。そうでなければフラれてなんかいないだろう。

「バレーって答えたら、信じられない、何で私って言ってくれないの、って。」
「それ、彼女って答えても嘘つき、って怒られるよ、多分。」
「え、何それ、どっち答えても俺アウトなの?正解ないじゃん。」
「聞かれた時点でアウトだね。」
「えぇー、」

情けない顔をしてがっくりと及川が項垂れる。その頭を横目で見ながらサラダを口に運ぶ。シャキシャキと口の中で野菜が音を立てる。

「ま、さっさと別れて正解だったんじゃない?どっちが大事とか、そんなこと言う女ってまず間違いなく面倒臭いよ。遅かれ早かれどっかで不満が溜まってダメになってたんじゃない。」

そうかなぁ、と及川がのろのろと顔を上げた。窺うような視線に、そうそう、と及川の目を見つめ返しながら頷いてみせる。そうかなぁ、うーん、そうかもねぇ、ともごもご呟きながら及川はビールに手を伸ばした。それをゆっくりと口許に運ぶと、残り僅かになっていたビールを一気に飲み干した。

「名前ちゃんが言うならそうかもね。」
「そ。そういうことにしときなさい。」

ふふん、と笑みを浮かべて、私も残りのビールを煽った。空になったジョッキをテーブルに置いたタイミングで、次何飲む?、と及川に尋ねられた。ハイボール、と答えるとオッケー、と頷いた及川が二杯目を注文してくれた。しばらくして運ばれてきた二杯目のジョッキを受け取って口をつける。

「でもさ、名前ちゃんは言われる方だよね。」
「何て?」

徐に口を開いた及川は私を見てにこにこと笑っている。

「俺とゲームのどっちが大事なの、って。」
「そりゃあゲームでしょ。」
「うーわ、やだこの子、即答したよ。ゲーム以下の彼氏とか可哀想、っていうか、名前ちゃんこの前俺よりゲーム優先したよね!」

さっきまでの笑みは何処へやら、急に眉を吊り上げた及川が苛立たしげに私を指差す。

「そりゃあラスボスとの戦闘中に電話かけてくる及川が悪い。」

電話出ただけいいでしょ、と悪びれもせずに答える。が、ご立腹の及川は納得いかないらしい。こちとら何十時間もかけてじっくり進めてきたRPGのラスボス戦だったのだ。ストーリーの大詰めという一番面白い所を優先して何が悪い。
結局その電話は一緒に夕飯を食べに行かないかというお誘いだったので、仕方なくゲームは中断して食べに出掛けたのだけれど。

「違うからね!名前ちゃん全然電話出てくれなかったからね!俺何回もかけたのに!なのに岩ちゃんの電話は一回で出るとか何なの!?」
「そりゃあ岩泉の電話は無視する訳にはいかないし。」
「何その差!?」
「…信頼と実績による優先度?」
「それで何で岩ちゃんの方が上?」
「何となく?」
「名前ちゃんヒドイ…!」

いつも通りだけど。名前ちゃんが冷たいのなんていつも通りだけどさぁ、と泣き言のようにごちる及川もいつも通りだ。そんな彼を眺めつつ小さく笑いを溢していると、徐に及川が立ち上がった。トイレ行ってくる、と告げた彼に、行ってらっしゃい、と声をかける。

「私にすればいいのに。」

及川の背中合わせが見えなくなってから、ぽつりとつぶやいた声は誰にも届いていないだろう。