「なあ、これどうやんの。」

岩泉に尋ねられて、彼の手元を覗き込む。問題に目を通して解法を思案する。

合格祈願をしに、三人で初詣に行こうと冬休み前からしていた約束の日。大勢の人混みの中、何とか参拝を済ませた帰りに寄ったファミレスはそれなりに騒がしい。その騒音の中で口を開く。

「これはさ、」

完全な答えにならない程度に、考え方の道筋を説明する。しばらくして、分かったと頷いた岩泉の手がノートに書き始めた解答がおおよそ間違いでなさそうなことを確認してから、自分のノートに向き直った。

「ねえ、何で岩ちゃんが名前ちゃんの隣なの。」

不満げな声と相違わずに、不服そうに向かいの席に座っている及川が口を尖らせている。まだ言ってるのかよ、と呆れたように呟いたのは岩泉だ。その目線はノートに落とされたままで、ちらりとも及川を見ていない。

店内に入った時は、及川と私が並んで座り、その向かいに岩泉が座っていた。しかし、私が向かいに座っていると勉強を教わりにくいと感じた岩泉が、数分前に私に隣に移動するように言ったのだ。私も同感だったので、すんなり頷いたのだけれど、及川としてはどうやらそれが面白くなかったらしい。

「大体さ、勉強だって名前ちゃんじゃなくて、俺に聞けばいいじゃん。」

尚も不貞腐れる及川を、岩泉は嫌だ、とばっさりと切り捨てた。お前に教わると何かムカつくんだよ、と続けた岩泉に、ああ、それ分かるかも、と私も頷けば、二人ともヒドイ!、と及川が情けない声を出す。

「徹君?」

突如私達の間に降ってきた凛とした高めの声に、三人揃って顔を上げた。そこには、驚いた表情でこちらを見下ろしている見覚えのある女の子が立っている。それが及川の彼女だと認識すると同時に、私と岩泉は小さく会釈してからテーブルの上へと視線を落とした。直接彼女と面識も交流も無い私達には関係ないだろうと、解きかけの問題へと思考を戻そうとする。

「さっちゃん!偶然だねえ、こんな所で会うなんて。」

明けましておめでとう、と明るく及川に話しかけられた、さっちゃんと呼ばれた彼女が、おめでとう、と控えめに返す。

「今日は初詣に行ってるんじゃなかったの?」

少し怪訝な彼女の声に気付いているのかいないのか、行ってきたよ、と答えた及川のトーンに変化はない。

「折角集まったついでだからって、一緒に勉強してるんだよ。」
「そうなんだ。でも、」

名字さんも一緒だったなんて知らなかったな。

ぽつりと聞こえた、私への嫌味ともとれる彼女の一言に、ぽきり、とシャープの芯が折れた。ちらりと見上げた及川の表情は、にこにこ笑顔のまま少しも崩れていない。私の気にしすぎかと、何事もなかったフリを装って、解答の続きをノートに書き始めた。

「別にわざわざ言う必要もないでしょ?」
「私は言って欲しかったな、名字さんも一緒なら一緒って。」
「どうして?」
「だって、」

ごにょごにょと口篭る彼女に、言いたいことあるならはっきり言いなよ、と及川が追い討ちをかける。そんな突き放すような言い方しなくても、と内心で憐れんでいると、腹を括ったのか、だって、と彼女が口を開いた。

「徹君、名字さんとすごく仲良いし、いつも一緒にいるし、私といる時より楽しそうだし、」

余程溜まっていたのか、次から次へ彼女の口からは不満が溢れだす。

「名字さんだってそうだよ、彼女がいるんだから少しくらい遠慮してくれたっていいのに、全然変わらないし、」

急に私に向いた矛先に、思わず顔を上げた。今にも泣きそうな顔でこちらを睨んでいる彼女と目が合う。

「徹君の彼女は私なの。必要以上に徹君に近付かないでよ。岩泉君とだっていつもべたべたしてるし、何なの?」
「何なの、って、」

それはこちらの台詞だ。突然謂れのないことを言われて戸惑っているのは私の方だ。岩泉とも及川ともべたべたしているつもりはないし、友達以上の付き合い方をした覚えもない。いや、正確には及川とは無くは無いけれど、一度抱き締められたあの一度きりで、あの日のことにお互い触れたことも、それ以上のこともそれ以下のこともない。ただよく三人で一緒にいる、それだけのことだ。

「ちょっと徹君に気に入られてるからって、調子に乗らないで。大体、大して可愛くもなければ、スタイルが良い訳でもない貴女が、二人と一緒にいること自体間違ってるのよ。もう少し身の程を知ったら?」
「あのさ、」
「落ち着け、名字。」

彼女という確固とした立場にいながら、ただの友人Aでしかない私がどうしてそこまで一方的に言われなければならないのだ、と苛立ちに任せて立ち上がるも、岩泉に手首を捕まれてしまった。でも、と彼を振り返っても、いいから落ち着け、と繰り返すばかりで、座れと言うように私の手を軽く下に引く。渋々腰を下ろせば、あっさりと岩泉は手を離した。その一部始終を見ていたらしい及川がこちらを振り向いて、岩ちゃんナイス、と呑気に笑う。

「名前ちゃんは本当にただの友達。疑われるようなことは、何も無いよ。」
「でも、」
「俺が信じられない?」

それは、と言い淀んで彼女が俯く。そんなことないけど、でも、と呟く彼女のその態度は、信じられない、と言っているのとほぼ同義だよなあ、と二人の会話の成り行きを黙って眺める。

「俺はさ、岩ちゃん程寛容じゃないから、名前ちゃんのことあんな風に言われて全然ムカついてないなんて言えないんだよね。」

恐る恐る顔を上げた彼女に、及川はにっこりと笑みを浮かべた。

「ねえ、俺達別れようか?」
「やだっ、」
「だって信じられないんでしょ?」
「そんなことないっ、」
「でも名前ちゃんのこと、受け入れられないんだよね?」

彼女の大きな瞳に、みるみるうちに大粒の涙が浮かび始める。

「俺はこれからも名前ちゃんと距離を置くつもりはないし、付き合い方を変えるつもりもないよ。」

それが耐えられないなら、ここで別れる方が賢明だと思わない?

そう笑って話す及川の言葉は酷く残酷で、声は氷のように冷たい。目の前の彼女よりも、友達の私を取る、と堂々宣言しているようなものだ。それを認められない彼女は切り捨てる。そう言っているようで、そこまで及川に言わしめる程の何かが自分にあると思えない私までもが、罰が悪いような気分になって俯いた。

ぐすぐすと嗚咽を噛み締める声が聞こえて、足音と共にその声が遠くなっていく。

「ごめんね、名前ちゃん、嫌な思いさせちゃったね。」

そう言った及川の声は、ついさっきまで彼女に向けていた声とは打って変わって優しい。返す言葉も見つからなくて、顔を上げることも出来ずに、ただ黙って首を振った。それ以上は何も触れずに、黙ってそれぞれの勉強を始めた二人に倣うようにして、私はのろのろと首をもたげた。