「名前ちゃん!名前ちゃん、いる!?大丈夫!?」

ドンドンとドアを叩く音と、何度も自分の名前を呼ぶ聞き覚えのある声に、ゆるゆると目を開けた。少しだけ眠るつもりが、思いの外がっつり寝てしまったらしい。辺りは暗くて、変な体勢で寝てしまったからか、体が痛い。尚も聞こえる自分を呼ぶ声に、いるよ、大丈夫、と答えながらゆっくりと体を起こす。手探りで周囲を確かめつつ、ドアへと向かう。

「怪我とかしてない!?」
「してないよ。」

それより鍵は?、と尋ねれば、今岩泉が用務室に取りに行ってくれているらしい。それならば、後は彼を待つだけだろう。酷く私を心配してくれているらしい及川の声を聞き流しながら、ぼんやりと岩泉を待つ。少し経って聞こえた、バタバタと廊下を走る足音に顔を上げた。

「岩ちゃん、鍵は!?」
「なかった。」

予想していなかった返答に、はあ!?、と聞き返す声が及川と重なる。

「女子が三人くらいで鍵を借りに来たきり、返しに来てないらしい。」

淡々と話す岩泉の声に、溜息が溢れた。もしかしたら、と頭の片隅で予測していなかった訳じゃない。しかし、そこまでする確率は限りなく低いだろうと踏んだ予想は外れたようだ。じゃあどうするの、名前ちゃんをこのままにするの、と岩泉を問い詰める及川の声には、珍しく余裕がない。

「事情を話してスペアキーかマスターキーを借りてくるしかないだろ。」
「それまで名前ちゃんはこのままってこと?それっていつになるのさ?大体こんな状況先生に話して、すんなり貸して貰えるもんなの?」
「それしか方法が無いんだから仕方ないだろ。」

少し落ち着けよ、と及川を宥める岩泉の声には微かに怒気を感じられる。それを及川も感じているのだろう、この場の空気がいつになくぴりぴりしている。

「とにかく、」
「もういいよ。」

岩泉の声を遮る。何時間も人を閉じ込めた挙げ句、鍵まで持ち去るというその徹底した汚さに苛々しているのは、何も二人だけではない。閉じ込められたその本人の私自身が、この状況に、それを作った彼女達に辟易しているのだ。

「とりあえず、二人ともそこから離れてくれる?」

ガタガタと音を立てて、手近にあった椅子を引き寄せる。まさか、と呟いたのは及川だろうか、岩泉だろうか。そんなことはもうどうだっていい。このまま閉じ込められ続けるなんて冗談じゃないし、ましてやこんなことを先生に報告していじめだ何だと大事にされるなんて絶対に嫌だ(だったら見て見ないフリの方がずっといい)。それならば、いらぬ説教を食らうのも不服だけど、その方がまだマシだ。

「せーのっ、」
「ちょっ、待っ、」

掴んだ椅子を思い切り振りかぶって、何度か力一杯ドアに叩きつける。そうして破壊音と共にドアが外れた。それを蹴飛ばして廊下に出れば、呆然とした二人と目が合った。

「あー、やっと出れた。最初からこうすれば良かったね。」

二人とも手間かけてごめんね、と笑いかけると、岩泉が盛大に息を吐き出して項垂れた。及川はまだ呆然としている、かと思えば、勢いよく両肩を捕まれた。

「名前ちゃん無事!?どこも怪我してない!?」
「大丈夫大丈夫、見ての通り無傷。」

ガクガクと揺さぶられながら答える。本当に?、と食い下がる彼に、大丈夫を繰り返す。やっと安堵したのか、揺さぶりが終わったと同時に、及川ががばりと頭を下げた。

「名前ちゃんごめん!!」

俺のせいでこんなことになるなんて本当にごめん、と謝罪を続ける及川の言葉に、思わず岩泉を見た。及川には言わないでと口止めした筈なのにどういうこと、という私の無言の問いかけを正確に察知した岩泉が悪い、と口を開く。

「事態が事態だったから全部話した。」

淡々と話すその顔は少しも悪びれてなどいない。確かにこの状況で事情を話すなという方が無理があるだろうし、そもそも最初に及川を含めたグループラインで助けを求めたのは私自身だ。知られたくなかったのなら、岩泉個人に助けを求めるべきだった所をそうしなかったのは、私のミスに違いない。ここで岩泉を責めるのは筋違いだろう。何はともあれ、及川に知られてしまった以上は仕方ないなと内心で折り合いをつけている間も、及川は頭を下げたままだ。

「守ってあげられなくてごめん。嫌がらせされてることも気付いてあげられなくてごめん。俺のせいでこんな目に、」
「及川。」

放っておけば延々と謝罪し続けそうな勢いの及川の腕をぽんぽんと軽く叩く。もう一度静かに及川、と呼ぶ。

ああ、だから知られたくなかったのに。知ればきっと彼は自分を責めるだろうから。こんな風に謝られるのが嫌だったから、知られたくなかった。
今更嘆いても後の祭りでしかないけれど。

「どうして及川が謝るの。悪いのは閉じ込めた女子達であって及川じゃないでしょう。」

どうして自分に非がないことで謝るの。

宥めるようにゆっくりと話す。やっと顔を上げてくれたものの及川は、でも、と尚も食い下がろうとする。その言葉を引き継ぐようにじゃあさ、と続けて、にっこり笑いかけた。

「そんなに悪いって思うなら、今度少し手を貸してよ。」
「え?」
「もう色々頭きたからさ、そろそろ反撃しようかと思って。くだらないプライドごとへし折ってやる。」

名字、すげえ悪い顔になってるぞ、と横やりをいれる岩泉の顔にも笑みが浮かんでいて、止めるつもりはないらしい。及川はどうだろうと、高い位置にある彼の顔を見上げれば、一瞬驚いたように目を丸くした後で、ふは、と吹き出した。

「うん、いいねいいね。さすが名前ちゃんだね。」

勿論協力するよ、と頷いた及川に決まりだね、と笑い返す。

「さて、と。それじゃあ、怒られに行きますか。」
「俺も行く。」
「あ、俺も、俺も!」

肩に置かれたままだった及川の手が離れてから、体の向きを変えて一歩を踏み出す。その両隣を、まるで当然のように並んで歩いてくれる二人の優しさに、小さく笑みを溢した。

「この場合って担任?それとも生徒指導?」
「両方じゃね?」
「っていうか先生ってまだいるの?」

嫌がらせを受けようと、何を言われようと、別に一人でも平気だと思っていた。だから誰にも頼るつもりもなかったし、腹は立っても向こうが飽きるまで笑って躱すつもりだった。それで自分の心が折れるなんて思っていなかったし、実際折れたつもりもない。
だけど、今二人が隣にいてくれることが、無敵に思える程心強くて、どうしようもなく嬉しいことは、私だけの秘密にしておこう。