及川と初めて出会ったのは、高校に入学して数ヵ月が経った頃だった。
「名字、これありがとうな。」
弁当を食べ終えて自分の席でくつろいでいた所に声をかけてきた、隣の席の岩泉から差し出された本を見て、彼の用件を悟る。学校近くの本屋のカバーに包まれた文庫本は確かに見覚えがある。
「どういたしまして。」
本を受け取りながら、どうだった?、と尋ねれば、面白かったと彼が答える。
「じゃあ明日にでも続き持ってくるよ。」
「おう。」
「続きも結構面白いから、期待していいよ。」
鞄の中に返ってきたばかりの本をしまいながら、にっこりと笑う。入学してから初めての席替えで今の席になったことがきっかけで話すようになった岩泉とは、なかなかに好みが合うらしい。ぽつぽつと互いのペースで貸し借りをしている本は、今の所どれも良作ばかりだ。
「あ、借りてるマンガはもうちょい待って。あと少しで、」
「あっれー?めっずらしー、岩ちゃんが女の子と喋ってるー。」
あと少しで読み終わるから、そう言いかけた言葉は、開け放していた廊下側の窓から突如顔を覗かせた男の声に遮られた。ぎょっとして思わず身を引いた私との距離を詰めるように、その男は窓枠から身を乗り出してずい、と顔を寄せる。
「岩ちゃんの彼女?」
「は?」
「違ぇよ。離れろ、及川。名字が困ってんだろ。」
やけに整った面立ちをした目の前の男の顔も、及川というらしい名前もどこか覚えがある気がして、誰だったろうと思案する。そうしていつだったかクラスの女の子が、他クラスにかなり格好いい男子がいる、とはしゃいでいたことを思い出す。
ああ、この男がその噂の及川ということか。
一人納得した私をよそに、すかさず助け船を出してくれた岩泉が、容赦なくぐいぐいと及川という男の頭を押し返している。
「ちょっ、痛い痛い、離れるからやめてっ、」
そう言いながら顔を離したかと思えば、彼は窓枠に両腕を乗せてつまらなそうに唇を尖らせた。
「何だ、かなり仲良さそうに見えたから彼女かと思ったのに。」
「だから違うっつってんだろ。」
悪いな、名字、と私にまで気を遣ってくれる辺り、岩泉は結構紳士なんだなあ、と新たに知った一面に一人感心する。そんな彼とは対照的に、窓枠に上半身を預けている彼はじゃあさ、名前なんていうの?、ねえ、ねえ、とやけに軽いトーンで話しかけてくる。
「あ、俺は及川徹。岩ちゃんとは幼馴染みなんだよ。」
聞いてもいないことをよくもまあぺらぺらと喋る奴だと、内心で少し呆れる。岩泉と幼馴染みとは、随分と対照的な組み合わせだとぼんやり考えている間も、及川はしきりに私の名前を聞き出そうと声をかけ続けている。何となく感じていた面倒くさそうな予感に従って、あわよくばスルー出来ないだろうかという私の目論見はどうやら叶いそうにないらしい。
「…名字名前。」
ぼそりと名前を呟けば、しっかりと聞いていたらしい及川がよろしくね、名前ちゃんと笑った。いきなり名前呼びかよ、とつい溢れた苦言に、岩泉が悪いな、と呟く。そんなやりとりに気付いているのかいないのか、及川はそれで二人は何の話をしてたの?、等と一人楽しげにしている。
「岩泉ー、」
「ん?」
「私コイツ苦手だわ。」
えっ!?、と驚いた声を上げたのは及川だ。
「ていうか嫌い?」
「ちょ、待って名前ちゃん、何で!?」
「だろうな。」
「岩ちゃんまで!?」
さして驚いた様子もなく岩泉は頷いてくれる。おろおろしているのは及川一人だけだ。岩泉と知り合ってからそれほど長い時間が経っている訳ではないし、むしろまだ間もない部類に入る筈なのに、それでも何となく私の好みを理解し始めてくれている辺りが、彼との波長が合う要因の一つなんだろう。対する及川は、私が今まで接してきた男子とは全くの正反対のタイプで、どちらかといえば避けてきたタイプの人間だ。
「やっぱ男は岩泉みたいに硬派なのが一番だよねえ。」
そりゃどうも、と抑揚なく答える岩泉の対応は正しく好みだ。非常に付き合いやすいと思う。勿論、あくまで友人として、ではあるけれど。(私なんぞが岩泉みたいなイイ男の彼女候補なんて恐れ多くて無理だ。)
それなのに、岩泉も含め、この及川という男とこの先何年もずっとつるむことになるなんて、当時の私は微塵も想像していなかった。
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