IH予選が終わって、引退した先輩達のいない新体制での練習が始まって。負けた悔しさや先輩のいない寂しさにも少しずつ慣れて。ようやく取り戻したと思っていた日常は、ある日突然、思いもよらない形で壊された。

「どうしたの?こんな所で話なんて。」

昼休み、いつものように牧達クラスの男子たちとバスケをしてはしゃいだあと。放課後部活前に第一体育館裏に来て欲しい、と言われて今に至る。目の前に立つ牧はいつもと違って何やら緊張しているような面持ちだ。彼のこんな顔を見るのは、高校受験の時以来だろうか。中学からの腐れ縁で長いことつるんでいるけれど、あまり見たことのない表情だ。
誰もいない体育館裏の遠くから、他の生徒たちの賑やかな声が聞こえる。

「悪いな。でもどうしてもお前に伝えたいことがあって。」
「何?」

促すと、牧は一度俯いてから顔をあげた。真剣な、それでいて緊張を含んだ視線。

「俺、お前のことが好きなんだ。」
「へ?」

予想もしていなかった言葉に、間抜けな声が出た。
今、なんて。好き、って言った?牧が?私を?だって私と牧は中学からの腐れ縁で悪友で、私がスガさんを好きなことだって知っている筈で。そう思っていたのは私だけだったっていうの?

「中学の時からずっと好きだった。けど、お前がバレー部の先輩のこと好きなのは知ってるし、付き合って欲しい、とかそういうんじゃねえんだ。」

ただ、気持ちを伝えたかった。そう呟いた牧の顔を見れなくて俯く。
何それ。何だそれ。そんなこと言われたってどうしたらいいの。どんな顔して牧の顔見たらいいの。
答えが出ないまま、のろのろと顔を上げた。今の私はどんな顔をしているだろう。情けない顔を、しているのだろうか。

「ごめん。私やっぱりスガさんが好きだし、牧は私にとって大事な友達だから、そういう風に見れない。」
「うん。わかってる。ごめんな。ありがとう、聞いてくれて。」
「ごめん。」
「お前が謝るなよ。」

ははっと笑った牧の顔はどう考えたって空元気だ。

「頼むから明日から俺を避けたりしないでくれよな。勝手だって分かってるけど、俺は今まで通りお前とバカやって騒いでいたいんだ。」
「う、ん、」
「じゃあ、また明日な。練習頑張れよ。」
「そっちも。」
「おう。」

そう言って笑って去っていった牧の背を見送ってから、しばらくその場に立ち尽くす。どれくらいの間そうしていたのか、やがてボールが跳ねる音が聞こえてはっとする。
早く着替えて練習に行かないと。
慌てて部室へと駆け出した。





今日の練習が終わってもまだ、牧の言葉が頭から離れないでいた。何度も何度も牧の言葉が頭の中で繰り返される。好きだと言われた。でも今まで通りでいて欲しいとも。本当に勝手だ。私の気持ちを知っていながら好きだと言って、人を混乱させておきながら、今まで通りでいて、なんて。今まで通りって何。そんなこと言われてどんな顔で明日会えばいいの。今までどんな顔でアイツと笑っていたっけ。どれくらいの距離で、どんな話をしていただろう。どんな冗談を言って、どんな風に騒いでバカやって、

「名字ッ!!」
「へ、」

大地さんに大声で呼ばれた、と思った次の瞬間、顔面にもの凄い衝撃をくらってそのまま仰向けに倒れた。
ああ、そうだった、いつもの癖でふらふらと練習が終わるなり男子の自主練習に混ぜてもらって、今は旭さんのサーブ練に付き合わせてもらっていたんだった。そうか、じゃあ私は旭さんのあの強烈なサーブを顔面にくらったのか。どうりで声にならないほど痛い筈だ。

「ーーーーーーッ、」

顔を抑えて上体を起こすと、くらりと目眩がした。あ、ちょっとヤバイかも。再びふらり、と床へと逆戻りしかける。

「大丈夫か、名字!?」

予測した衝撃を頭にくらわずに済んだ代わりに感じるのは、誰かの暖かくて力強い腕。ああ、誰かが倒れる前に抱きとめてくれたんだ、とぼんやりと思いながらゆっくりと目を開けた。視界一杯に映った心配そうな表情のスガさんのドアップに、その腕の主が彼であると理解する。

「ごめんなああああ、大丈夫かああああ」
「日向じゃあるまいし、お前が顔面キャッチなんてらしくねーぞ。」
「少し休憩するか?」

心配して私の周りに駆け寄って来てくれたらしい旭さん、田中、大地さんの顔をゆるゆると見渡す。他のメンバーも心配そうな顔で私を見下ろしている。

「スミマセン、そうさせて下さい…」

まだくらくらと目眩がするのを堪えながら、スガさんの腕を借りてゆっくりと上体を起こす。

「ここじゃ危ないから、部室で横になった方がいいよ。保健室はこの時間じゃ締まってるだろうし。」

スガさんに言われるがまま頷くと、ふわりと体が浮いた。

「わッ!?」
「ちょっとだけ大人しくしててな。」

慌ててスガさんの肩にしがみつくと、にっこりと笑みを返されて、スガさんは私を横抱きにしたまま歩き出した。周りからどよめきと持て囃す声が聞こえるけど、スガさんはそんな声にも耳を貸さず、スタスタと歩いていく。

「す、スガさん?」
「名字、目眩するんだろ?大人しくしてた方がいいべ。」
「いやでも、私重い、ッ、」

くらりとまた目眩に襲われて口を噤んだ。目を閉じてスガさんの胸に頭を預けると、いい子、と呟いたスガさんが笑ったような気がした。




混乱と目眩
(ああ、もうくらくらする)