がやがやと賑わう居酒屋の個室で向かいに座る名前さんと二人で乾杯をすると、彼女は幸せそうに掲げたビールジョッキの中身をごくごくと喉へ流し込んでいく。その様子は豪快、というか、まるで男のようで、こんな風に美味しそうにビールを呷る女の人を目の前で見るのはそういえば初めてだとふと気付く。

「あーっ、うまい!」

ゴトリ、とテーブルに置かれた彼女のビールジョッキはもう残り半分程になっていて、減りの早さにまた驚く。仕事終わりのビールはやっぱ最高だよねー、と嬉しそうな顔でお通しに箸をつける名前さんの顔色は少しも変わっていなくて、むしろ最寄の駅で俺と待ち合わせた時よりも明るい表情をしているような気がする。大学の夏休みを利用して名前さんに会いに来た俺とは違って、名前さんは毎日仕事をしているのだし、今日は金曜日で一週間分の仕事の疲れが溜まっているだろう筈なのに、飲みに行こうと誘ってくれた名前さんの表情は確かに明るかったけれど。今はその時よりも明るい気がする。

「どした?」

不意に不思議そうな顔の名前さんに声をかけられて、思わずうろたえる。何と答えようか迷った挙句、飲みっぷりが豪快でカッコいいね、なんて口走ってしまって、失礼なことを言ってしまったと一人焦る。そんな俺などまるで気にしない様子で、からからと名前さんは笑った。

「そりゃあ、孝支の年代の女の子じゃこんな風に飲む子なんていないだろうね。」
「う、ん。」

成人してから、大学の部活やバイトの飲み会で、同年代の女の子ともお酒を飲む機会は増えたけれど、名前さんのようにビールを豪快に呷るような子は今まで見たことがない。彼女たちはそもそもビールなんて頼まないし、見るからに甘そうなカクテルをゆっくり飲んでいる。それほど飲み会を経験した訳でもないのに、いつの間にか俺の中では勝手に、女の人はビールはあまり好まなくて、カクテルのような甘いお酒を飲むものだ、と思い込んでいたらしい。だから、多分、今目の前で美味しそうにビールをごくごくと飲む名前さんの姿が新鮮に映るのかもしれない。

注文したサラダが運ばれてくると同時に、おねえさん、生中一つ追加お願いします、と笑顔で店員の女性に頼んだ名前さんのジョッキはもう既に空になっていて、そのペースの速さに目を丸くした。俺のジョッキはまだ半分以上残っているのに。まだまだ残るビールを一口飲んでいる間にも、名前さんはサラダを取り分けてくれて、その表情は至極上機嫌だ。

「名前さん嬉しそうだね。」

サラダの乗った取り皿を受け取りながら言えば、名前さんがそりゃあね、と頷く。

「孝支とこうやって飲むのがずっと夢だったからさ。」
「え?」
「やっと成人してくれて嬉しいよ、ホント。」

ずっと待ってたからなあ、と呟いてにっこり笑った名前さんは、自分の分のサラダを口に運んで、しゃくしゃくと咀嚼する。

「待ってた、の?」

聞き返すと、名前さんは待ってたよ、とさらりと返す。

「一応、君未成年だったからね。そりゃあ気も使うさ。」
「別に俺のことなんて気にしないで飲んでくれたってよかったのに。」
「いいんだよ。どうしても飲みたい時は、孝支がいない時に一人で飲んでたし。」

なんてことない顔で名前さんは取り分けたサラダを完食すると、まだ大皿に残っているサラダを更に自分の皿へと乗せる。そうしている間に先ほど名前さんが頼んだ二杯目のビールが運ばれてきて、嬉しそうにそれを店員さんから受け取る。

「それにね、お酒っていうのは誰かと飲むから美味しいんだよ。」

にっ、と口許を歪めた名前さんが、今しがた運ばれてきたばかりのビールジョッキを俺の目の前に突き出す。釣られるようにして自分のジョッキをを持ち上げると、乾杯、と笑った名前さんのジョッキと軽く打ち付けられる。そうしてまた美味しそうにビールを呷った彼女をぼんやりと見つめる。

誰かと飲むから美味しい。
俺と飲むのが夢だった。
ずっと待ってた。

彼女の言葉を内心で反芻してみる。それはどれも俺の中には無かった言葉たち。だけど、そのどれもが何だか嬉しくてくすぐったいような気持ちになるのは、きっと名前さんがくれた言葉だからだ。未成年だった俺に気を使って、俺の前では飲まなかった名前さんは、今日この日を一体どれだけ心待ちにしてくれていたんだろう。ほんの数ヶ月前に誕生日を迎えて二十歳になったって、正直実感なんてあまりなくて、飲酒できるようになったといっても、ビールは苦くて美味しいなんて思えないし、酔いが回った一時は楽しいけれど、度を過ぎればただただ気持ちが悪いだけで。お酒に対しても、二十歳になることにもそれほどこだわりはなかったけれど。
名前さんが笑ってくれると、美味しそうに飲んでいてくれると、何となくいつもは美味しくないビールも少しは飲めるような気がする。二十歳になったことが喜ばしいことのように思える。

「今日は色々飲んでみて、孝支の好きなお酒が見つかったらいいね。」

にっこり笑った名前さんは多分、俺がビールを得意としていないことを見抜いている。名前さんはいつだってそうだ。俺が言えずに飲み込んだ言葉も、感情も全部気がついていて、その上で受け止めてくれる。名前さんはいつだって、俺のずっと前を歩いている。時折振り返って立ち止まってはくれるけれど、結局俺は彼女の遠い背中を追いかけるばかりで、いつまで経っても追いつきそうにない。彼女とのその差は、重ねた歳の差なのかもしれないけれど、いつか追いつきたいと、せめて彼女の隣を歩けるようになりたいという俺の願いはいつか叶うだろうか。

「じゃあ、名前さんのオススメのお酒ってどれ?」

お酒だって少しずつ覚えていくから。
少しずつじゃ遅いのかもしれないけれど、でもそれでも「いつか」を目指して、信じて追いかけるから。
どうか待っていてくれませんか。



追いかける背中
(今はまだ遠いけれど、)