「出向?」
鸚鵡返しに呟いた孝支の言葉にそう、と頷いて未だ湯気が上るコーヒーをすする。
「東京にある親会社の本社にね。」
「いつから?」
「三月から二年間。」
何でもないように言えば、孝支が息を飲んだ気配がした。コーヒーカップをテーブルに置いて、正面に座る孝支を見やると、苦しそうに眉を寄せている。彼の前に置かれたコーヒーは最初に一口飲んだきり、手をつける様子はない。テーブルの上に置かれていた孝支の右手に、ぐ、と力が込められる。
「三月って、あと一ヶ月くらいしかないじゃん。」
どうしてもっと早く言ってくれなかったの。
孝支の呟きに、思わず苦笑いを浮かべる。当然言われるだろう言葉を言われて、どう答えたものか、と思案する。出向の話は、去年の終わりには決まっていた。それなのに言わなかったのは、春高や受験を間近に控えた孝支を動揺させたくなかった、というのも、無い訳ではない。春高もセンター試験も終わったとはいえ、まだまだ本試験はこれから、というこのタイミングで告げることになってしまったのは、私自身が言い出しにくかった、というのもある。結局は言い訳でしかなくて、私の都合だ。
「…ごめん。」
「っ、」
頭を下げる。そうして、ゆっくりと顔を上げると、苦しそうに、悲しそうに顔を歪めた孝支と目が合う。先に目を逸らしたのは孝支の方だった。俯いてしまった彼に、何かを伝えたくて、何か言わなければ、と思うのに適切な言葉は何一つとして浮かんではこなくて、もどかしさだけが募る。
「…仕方ない、か、仕事だもんね。」
言ってくれなかったのもきっと、俺に気を使ってくれたんだよね、春高もあったし受験生だし。
そう言って笑った孝支の言葉に、表情に、胸が詰まる。
いつの間にそんな大人みたいな顔するようになったの。そんな割り切ったような台詞言えるようになったの。孝支にそんな対応をさせているのは、他の誰でもない私自身なのに。どうして私の方がこんなにも苦しくなるの。
「折角会えたのに、また居なくなっちゃうんだね。」
おどけたように笑う孝支の言葉が、笑顔が痛い。側にいたいって言ったのは、私なのに。君が寂しくて、苦しくて涙を流す時は隣にいるって、心配いらないって。いつだったかそう言って君を励ました筈が、守れないなんて。また君を置いていかなければならないなんて。
「ごめん。」
それ以外の言葉が見当たらなくて、ただただ「ごめん」を繰り返す。
離れることになってごめん。
もっと早くに伝えられなくてごめん。
隣にいられなくてごめん。
君を守ってあげられなくてごめん。
「謝らないで。」
優しい声でそう言って微笑んだ孝支に、どうして私の方が救われているんだろう。動揺しているのは、傷ついたのは孝支の筈なのに。どうして君が笑うの。
「ねえ、名前さん。一つお願いがあるんだけどさ。」
「何?」
「こっちにいる間は出来るだけ一緒にいたいな。」
もういっそ一緒に住むくらい。
孝支の言葉に思わず吹き出した。一緒にいたい、そう言われて断る理由が一体どこにあるというのだろう。一緒に住むのは流石に如何なものかと思うけれど。
だけど、君と離れてしまう前に、君が大人になってしまう前に、何かを残したいから。想いと言葉で何かを伝えていかなきゃ。そう思っても、今はまだどんな風にしたらいいのか分からないけれど、残された時間で探すから。
だから。
「うん、一緒にいて。」
今はどうか君の隣にいさせて欲しい。
君のために出来ること
(僕はいなくなってしまうから)
song by UNISON SQUARE GARDEN「君が大人になってしまう前に」
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