「孝支は本当に私でいいの?」

その言葉の意味をすぐには理解出来なかったのか、孝支は一瞬不思議そうに目を丸くしたあと、ふわりと笑った。

「俺は名前さんがいいの。他の女の子じゃ意味が無いんだ。」

名前さんがいい。"が"、を強調してそう言ってくれた孝支の言葉に思わず頬が緩む。

もういいや、と思う。その言葉を聞ければそれで十分だ。もし仮に騙されてるとしたって、もう構わない。
今にも崩れ落ちそうな足場の上で、落ちないように必死に堪えてきたけれど、それももういい。このまま陥落してしまおう。どこまでも、落ちるところまで落ちてしまえばいい。

「この間の返事だけど、」

そう切り出すと孝支の顔が微かに緊張で強ばる。それをほぐすように、私はにこりと笑う。

「好きだよ、孝支のこと。ずっと側にいたいって思う。」
「…本当に?」
「本当に。」

これからもどんどん男らしく、大人へと成長していく彼を誰よりも近い場所で見ていたいって思う。もっと単純に、もっと素直に、彼の側にいたいと思う。 私だけを見て、これから先も私のことをずっと追いかけてくれればいいのに、なんて醜い感情までもが私の内で疼く。そんな感情に気付いたのは最近だったけれど。

カタン、と孝支が立ち上がる。嬉しそうに満面の笑みを浮かべたと思った瞬間、勢いよく首に抱きつかれた。

「うわッ!?」

孝支の体重を支えきれずに、そのまま腰掛けていたベッドへと仰向けに倒れこんだ。私の上に覆い被さる体勢になった孝支が、ぎゅうと私の体を抱き締める。首筋に顔を埋めて、好きだと何度も繰り返す。そんな孝支がかわいくて、愛おしくて、手にしていた写真立てを離した代わりに孝支の大きな背中を抱き締める。

「キスしていい?」

体を起こした孝支に聞かれて、思わず吹き出しそうになるのを堪えて、いいよ、と頷く。
この前した時は何も聞かなかったくせに、どうして今日に限って聞くんだろう。妙に律儀なところは孝支らしいといえば、らしいのだけれど。

ゆっくりと孝支の顔が近付いて、唇が触れる。啄むように優しく触れる孝支の唇を受け入れながら、こんな幸せを感じるのは随分久しぶりだとぼんやり考える。それもその相手が孝支だなんて、誰に予想できただろう。

「ねえ、名前さん、」

唇を離した孝支が私を見下ろす。その手が剥き出しになっている私の太腿を撫でていることに気付く。

「何で下履いてないの。」

さっきは履いてたじゃん、と呟く孝支の言葉に、ああ、そういえばさっき脱いだんだった、と思い出して、へらりと笑う。

「いやあウエスト緩かったからさ、」
「こんな格好されたら俺止まらなくなりそうなんだけど。」

太腿の上を這っていた手がするり、と内腿に触れた瞬間にその手を掴んで強制的に止めさせる。抵抗するように力を強めた孝支の手。その手を掴む自分の手にも、力を込めて抵抗の意思を示す。

「卒業するまではダーメ。勉強しなさい、受験生。」

にっこり微笑んでみせると、孝支が不機嫌そうに眉を寄せた。その顔が近付いて首筋に埋めたと思った瞬間、ちくりと感じた痛みに慌てて身を捩る。

「ちょ、まっ、孝支!、んっ、」

ぺろりと首筋を舐められて、思わず漏れた甘い声に口を噤む。ゆっくりと離れていく孝支の顔を黙って見つめる。

「…分かった。名前さんがそう言うなら我慢する。」

でも、と続けて、ニヤリと口端をつりあげて笑った孝支の表情が酷く妖艷に見えて、不覚にも心臓がドキリと跳ねる。

「卒業したら、その時は覚悟しててね。」

そっと頬を撫でられて、また唇が重ねられる。すぐにそれは離れてまた力一杯抱き締められた。

「でももうちょっといちゃいちゃしてから、勉強する。」

ぐりぐりと首筋に寄せられる孝支の顔にくすぐったさを感じながらも、その体を抱き締め返す。

その声も温もりも、すべてが愛おしい。記憶の中の幼い彼と変わってしまった所は多々あるけれど、変わっていない所もある。変わった所、成長した所、変わっていない所。その全部を受け入れたい。
一度こうして陥落した以上は、もう何処まででも落ちていけばいい。何処まで落ちたって、孝支がいるなら多分怖くはない。彼の笑顔が見られるなら、どこまでだって落ちていこうじゃない。

だって私は彼との未来を選んだのだ。
例えその先にどんな結末が待っているのだとしても。