今度孝支に会ったら。そう決心したものの、彼に会う時間が作れたのは、結局お盆休みと言う名の夏期連休中のある日だった。

孝支の両親が私に会いたがってるから、と誘われた彼の家での夕食。おじさまにビールを勧められたけれど、車で来ているのですみません、とやんわり断った筈が、折角だから泊まっていったら、そうしたらお酒も飲めるし、というおばさまの提案を無下にも出来ず、断りきれなかった時点で私は選択を誤っていたのだと思う。おじさまに勧められるがままお酒を飲み(下戸ではなかったことは本当に幸いだと思う。お酒が強くて良かったとこの時程思ったことはないかもしれない。)、部活から帰ってきた孝支も途中から一緒に、まるで昔に戻ったように本当に楽しい食事をご馳走になって。先に寝てしまったおじさまをおばさまが寝室へと運んでいるうちに、孝支と後片付けを済ませた。

雲行きがおかしくなってきたのは、その後からだった。
良かったらお風呂もどうぞ、とおばさまに勧められ、お言葉に甘えてお風呂から上がったあとに用意されていた着替えが、明らかに孝支のTシャツとハーフパンツだった時点でまず焦った。とは言っても、まさか泊まることになるなど夢にも思っていなかったし、替えの服など当然持ってきてはいなかったから、下着だけはもと着てきたものを身に着けて、仕方なしに用意されていたシャツとハーフパンツを着たのだけれども。身長も体格も異なる孝支のシャツは当然ぶかぶかで、丈が股下くらいまでになっているし、ハーフパンツに至っては、限界まで紐を締めても気を抜くとずり落ちてしまいそうで不安だ。

それでもどこかそわそわとするのを隠しながら、お風呂ありがとうございました、とリビングでくつろいでいたおばさまにお礼を言って二言三言会話をして。そうしておばさまがにこにこと笑いながら言った一言が問題だった。
布団は孝支の部屋に敷いておいたからね、と。一瞬くらりと目眩がしたのは、多分お酒のせいでも、のぼせたからでもないだろう。いや、あの、流石にそれは不味くないですか、と訴えるよりも先におばさまはそれじゃあお休み、ゆっくり休んでねと微笑んで浴室へと消えてしまったから、もうどうすることも出来なかった。

確かに一度、孝支が私の家に泊まっていったことはあるし、おばさま達が今も私を娘のように思ってくれていることも気づいているし、ありがたいとも思っている。子どもの頃はそれこそ一緒に寝ていたこともあったし、もっといえば孝支とお風呂に入っていた時期もある。だけど、少なからずあの頃からは私も孝支も年を重ねている訳で、付き合ってもいない年頃の息子と三十路近い女を一緒の部屋に寝させるって一体どういう了見なのだろうか。

あれこれ考えても仕方ないし、何かもう考えるのも面倒くさいな、と盛大なため息とともに結局考えることをも諦めて、孝支の部屋へと向かう。コンコン、とノックをすると、部屋着の孝支が部屋へと招き入れてくれた。

「おじゃまします。」
「どうぞー、って、名前さん、それ、」

孝支に指をさされて、ああ、これ?と自分の格好を見下ろす。股下まであるTシャツに隠れてはいるけれど、ハーフパンツがずり落ちそうになっていることに気付いて慌てて左手で掴む。シャツの丈は股下まで隠れているし、もうあとは寝るだけなら、いっそ鬱陶しいから脱いでもいいかな、とお酒の力も相まって投げやりになりつつある頭が考える。

「孝支のだよね?ごめんね、借りちゃって。やっぱ大きいねえ。」
「いや、あの…、うん、いいと思う。」

ほんのりと頬を赤く染めて孝支がふい、とそっぽを向いた。そのまま踵を返して部屋の中へと戻っていく孝支に続いて、部屋へと足を踏み入れて、扉を閉める。勉強机へと向かった孝支をちらりと見てから、おばさまが運んでくれたのであろう私のバッグへ近付くと、結局ハーフパンツを脱ぎ捨てた。軽く畳んで、手にしていた自分の服と一緒にバッグの側へ置く。

酒って怖いなあ、等と段々と雑になっていく思考をお酒のせいにする。多分素面だったら、いくらシャツの丈が長いとはいえ、ハーフパンツを脱ぐなんてしなかっただろう。だけど、今はもうとにかく面倒くさい。孝支には悪いけれど、万が一見えたらその時はその時だ。

机に向かう孝支の手元を、彼の後ろからそっと覗きこむ。教科書やらノートを開いて、ガリガリと問題の答えをノートへ書き込んでいる。

「宿題?」
「うん。やれる時に少しずつでもやらないと。」
「真面目だねえ。」

私はどちらかといえば、休みの最後になって慌ててやり出すタイプだったなと思い出す。それで何とか間に合ってたし、まあいいか、と気に止めたことはなかった。その考えを改めたのは、社会人になってからだったけど。

ふと、机の上の写真立てが視界に映った。思わず手を伸ばして、それを手に取る。ベッドの縁に腰掛けて手にした写真に視線を落とす。

「うわ、懐かしー。」

今よりずっと幼い、記憶の中の彼と同じ孝支と、その隣にしゃがんで笑っている黒い烏野のユニフォーム姿の自分。
一年だったのにも関わらず、他の二年生を差し置いてレギュラーに選ばれた。だけど、春高の予選だったこの日、予選を突破することは出来なかった。悔しくてたまらなくて、それでも試合が終わるや否や駆け寄ってきた孝支に涙なんて見せられなくて、無理して笑ったあの時の自分。今になってこうして見ても、無理矢理笑っているのが丸分かりだ。

「何でこんなの飾ってるの?」

よりによってこれじゃなくたって、他にもっとましな写真があっただろうに。

そう呟くと、孝支が手を止めて私を振り向いた。

「この写真の時が、俺が見た名前さんの最後の試合だったから。それに、俺のために泣きたいの堪えて笑ってくれたんだろうなって思うと、愛しくて。」

俺にとっては大事な思い出なんだ。そう言った孝支に、そっか、とだけ呟いてまた写真を見つめる。
私にとっては苦い記憶でも、孝支にとってはそうでないなら、大切だと言ってくれるのなら、それを尊重したい。無理矢理にでも笑った、あの日の自分の選択はきっと間違ってなんかいなかったのだ。

「ねえ、孝支。」

うん?と小さく首を傾げた孝支の目を真っ直ぐに見つめる。

「孝支は本当に私でいいの?」

歳は十も上で、高校生から見たらオバサンって思われてもおかしくないだろうし、話題も流行もきっと合わない。共通の話題って言ったらきっと、昔のことやバレーのことくらいだろう。孝支の前で強がって大人の顔をすることだって多いだろうし、子ども扱いすることだってあるかもしれない。甘えたくても、孝支が甘えて欲しいって思ったとしても、簡単には甘えられないかもしれない。弱さを見せられないかもしれない。

それでも。

それでも、本当に孝支は私でいいの?