スガさんに思いがけなく抱き締められてふわふわしていたのも束の間、事件は三日目の夜に起きた。
女子は私一人しかいないから、広い女子風呂を独り占めしてゆっくりのんびり出来るから幸せだ。誰に急かされることも無い。隣の男子風呂から聞こえる賑やかな声が羨ましくもないけれど。
風呂から上がって、脱衣所で大雑把に濡れた髪と体を拭いてから、下着とカップ付きのキャミを身に付ける。ジャージを手に取ろうとした時、不意に視界の端に見たくないものが映った気がした。恐る恐る視線を下げてもう一度見ると、気のせいでは無かった。私のかつてからの天敵、黒光りしたヤツが、カサカサと脱衣所の床を這う。

「っひ、ぎゃあああああっ!!」

条件反射で、叫び声を上げながら死に物狂いでバタバタと脱衣所を飛び出す。

「うるさいぞ、名字!」
「名字、どうした!?」
「何かあったのか!?」

ちょうど風呂から上がって部屋に戻る所だったらしい大地さん達が駆け寄ってくる。大地さんに怒られたけど、そんなことを気にしている余裕は今の私には無い。瞬時にスガさんの姿を判別して、脱衣所を飛び出した勢いのまま迷わずその胸に飛び込んだ。

「スガさぁぁん!」
「わ、ちょ、」

私を受け止めきれなかったスガさん諸共床に倒れ込む。スガさんの上に馬乗りになりながら、その胸に縋りつく。

「だ、大丈夫か、スガ?」
「ってて、俺は大丈夫だけど、」

心配そうな旭さんの声に答えながら、スガさんがゆっくりと上体を起こす。それでも私はスガさんにしがみついて離さない。上から大地さんの冷静な声が降ってくる。

「名字、何があった?」
「ヤ、ヤツが、脱衣所に、」
「ヤツって何だ?」
「あの、黒光りする、気持ち悪いヤツ、」
「…もしかしてゴキ」
「うわあああっ!その名前を言わないで下さいよーッ!!」

大地さんの言葉を遮るように叫んで、耳を塞ぐ。姿を見たくなければ、名前さえも聞きたくない。
呆れる気配がするけれど、構わない。

「私、ヤツだけはホントダメなんですよー…。」

ぐすぐすと涙声になりながら言えば、突然スガさんが声を上げて笑い出した。驚いてびくりと私の肩が揺れる。

「大丈夫だよ、脱衣所は大地が見てきてくれるから、とりあえず名字は落ち着け。な?」
「はッ!?俺!?…ったく、仕方が無いヤツだな…。」

ぶつぶつ言いながらも大地さんが遠ざかっていく気配がする。
と同時に、ふわりと肩にかけられた温かい布。そろそろと顔を上げるとにっこり笑ったスガさんと目が合った。肩からぶら下がる黒い布とTシャツ姿のスガさんが見えて、かけられた物がスガさんのジャージだと分かる。

「少しは落ち着いた?」
「う、はい…」

ふわりと笑いかけられて頷くと、じゃあさ、とスガさんが呟く。

「そろそろ離れて貰えると、俺としては助かるんだけどな。」
「す、スミマセン、私、重いですよね、」
「や、そうじゃなくて。」
「へ?」

スガさんの言葉の意図が分からず首を傾げれば、こっちの話、とはぐらかされてしまった。とりあえずスガさんの上から降りて廊下に座り込むと、程なくして大地さんが戻ってきた。

「退治してきたからもう大丈夫だぞ。」
「良かったなー、名字。」

心底ほっとしたように旭さんが息をついて、私も頷く。

「それ、しばらく貸すから、早く服着て髪乾かしておいで。風邪ひくぞ。」

スガさんに言われて、ありがとうございます、と頭を下げる。自分のものより幾分か大きいスガさんをジャージを羽織ったまま立ち上がると、足早に脱衣所へと踵を返した。

服を着てきちんと髪を乾かしたら、スガさんにジャージを返しに行こう。
それにしても、みっともない所ばかりこの合宿で晒しているような気がするなぁ。それでもスガさんはやさしい。

「やっぱり好きだなぁ。」

自分だけしかいない脱衣所で呟いて、一人笑みを零した。






どうしたって好きなんです
(この気持ちは何があっても変わらない)