終わりへ向けて




 時は少しだけ――アレンが千年伯爵を庭へ招待したころまで――さかのぼる。無論、地上ではノアたちとエクソシストたちの戦争が繰り広げられている。アクマのうち、レベル1はたいてい破壊しつくしたようで、あたり一面にはガスが充満していた。アクマらが破壊されていく音が辺りをうめつくしている。耳障りな音だと、誰かが呟いた。
 誰かが空を見上げた。そこには、アレンと伯爵の姿がある。それだけなら、気にも留めず、すぐに目をそらしたはずだけれど、彼らの前にドアが開いたのを見て、その誰かはそこに焦点を合わせた。伯爵、アレンの順番で中へ入っていく。と、一瞬の間にドアが、閉じた。

「――アクマ!」

 唐突にロードが声を上げた。アクマたちがどうどうと音をたてながら、あっという間に視界から消え失せていく。どうやら、全てロードの扉の中へ消えていったらしい。あたりはがらんどうになってしまった。何がおこったのだろう、とエクソシスト達が考える間もなく、ノアたちはみな口々に、やっと終わった、などと言い始めた。どういうことかわからず、エクソシストたちは困惑を始める。それを見かねて、ティキがエクソシストらにむかって話しかけた。

「ああ、悪い。困惑させちまったな」
「どういう、こと? やっと終わったって……」
「んー、ちょっと口で説明するには長くなるかも」

 それでもかまわない、エクソシスト達は口にした。皆、真実を望んでいる、心からの声だった。ロードはそれを聞いて、小さく微笑んだ。彼女はゆっくりと、空を見上げる。みなもそれにならって、空を見上げた。そこには先刻まで無かったはずの箱舟が悠々と浮かんでいる。ロードはすう、と大きく息を吸う。あたりは自然と静かになった。

「うん、じゃあ、僕が話すね。この戦争の始まり、千年公とハートの話を」

 そう、あれは4000年ほど前の話だったんだ、という言葉を切り口に、少しだけ長い昔のお話を、彼女は口にする。同時刻、箱舟内の庭で彼の白い少年も同じ話をしていた。


***


 血のにおい。何度嗅いでもなれないそれに、僕は顔をゆがめた。目の前に立っている千年公も、同様に血に塗れていた。これじゃあ、どれがどちらの血かなんてわかりやしないだろう。実際、僕にはそこのところはわからなかったし、そもそも、考えようともしていなかった。たぶん、千年公も同じだろう。
 ジリリ、と頭の中でエラーを知らせる画面が展開される。戦いに没頭しすぎていてあまり考えていなかったが、体力も、血も、限界が訪れようとしている。左肩にある傷を一瞬眺めて、息を一瞬止めた。傷口を知覚してみれば、痛みや傷口の周りを覆うだるさが、一気に押し寄せてきた。ああ、さっきのコレはちょっと深かった、かも。貧血でくらくらする頭でどうでもいいことを考えた。考えるなら、もっと有意義なことを考えればいいのに。息を吸えば、血のにおいに混じって、花のにおいがした。どちらか片方だけなら気持ち割るいか、いい匂いかで済ませられるものの、両方となると気持ち悪さが倍増して、少しきつい。先ほどよりも顔をゆがめて、口内にたまった血を吐き出した。不協和音が頭の中で鳴り響く。頭が痛い。そろそろ、限界が近い。早く、終わらせないと。

「アレン」
「……なんでしょう、千年公」
「そろそろ、終わりにいたしましょう」
「奇遇ですね、同じこと、考えてました」

そうだな、二人の道化は同時に笑みを深めた、というのが適切な表現だろうか。僕は剣を構えなおした。目の前の道化も同じように剣を構えなおす。息を大きく吸って、とどめる。次に息を吐くときは、この戦いが終わっていますように。

(そうしたら、僕の役目はおしまい)


***


 そうして今に至るんだよ、と言い切って、ロードは口を閉じた。辺りは唖然とした空気に包まれている。

(さあ、真実を知った君たちはどうする)

 ロードはあたりを見回した。ノアの家族たちが不安そうに箱舟を見上げている。ロードの視線に気付いたティキは、慰めるように彼女の頭を撫でた。ふと、誰かが呟いた。嘘だろう、と。それが嘘でないことはわかりきっているはずなのに。

(信じたくないなら信じなくていい。ただ、僕は真実しか述べていないんだから)

「でもね、アレンには知らないことがある」

 ロードは他のノアたちのほうを向いて、何か同意を求めているようだった。彼らがうなづく。ロードもそれと同じようにうなづいてみせる。意を決したようにエクソシスト達のほうを見、息を吸う。ちりり、と誰かの胸の奥が痛む音がした。

「端的に言えば、アレンは千年公で、千年公はアレン、ってこと」
「どういう、意味」
「――そのまま、だよ。代々14番目のメモリーを持つものが現れるときは、決まって千年公の身に何かが起きる前触れ。その千年公へ降り注ぐ不幸を、14番目が代わりに受け取って、消えていくの。それが14番目に課せられた使命。14番目はそれを知らない。つまるところ、14番目は千年公の身代わりみたいなものなんだよ」
「……ちょっと質問、いいさ?」
「別に、何? ブックマンJr.」
「仮に14番目が伯爵の身代わりだとするなら、本体が消えた場合、身代わりはどうなるんさ」

 ロードが口ごもる。何度か口を開いてみせるけれど、言葉を発することは無かった。ティキが代わりに言葉をつなぐ。

「今までそんなこと無かったから、どうともいいようは無いけど、まあ、十中八九――死んじまうだろうな」
「あなたたちは、14番目に対して何も思わなかったの? そう、身代わり、だなんて」
「――思ってないわけないでしょ! 家族なんだよ? なんでって、いつもあの子が現れるたびに考えてた! ――神様ってのはさ、残酷だよね。身代わりには、身代わりとしての役割しかあたえてくれないんだから」
「ロード、落ち着けって」

 ほろほろとロードの瞳から涙が零れ落ちた。まるで駄々っ子のように、なんどもなんで、という言葉を繰り返しながら。彼らの頭上では、箱舟がゆうゆうと浮いている。リナリーが空を見上げて、呟いた。

「ねえ、ロード、アレン君のところへつれていって」

 ロードは首を振った。彼らのところになんていったら、それこそ一瞬で死んでしまうだろうと、彼女は続ける。リナリーには未来があるともつなげた。リナリーはいつになく真剣な表情で話し続ける。

「自分の身くらい、自分で守るわ。それに、あなただって、行きたいんでしょう?」
「なあに、それ」
「女の勘。だって、貴方伯爵のことも、アレン君のことも好きなんでしょう?」
「そりゃあ、そうだけど」
「好きな人の最期くらい、見送ってあげなさいよ」
「リナリーが行きたいだけでしょ?」
「まあね。でも、ロードだって行きたいって顔してる」

 ロードは思わず噴出した。しょうがないよね、僕らって。そういって、ロードは庭へとつながるゲートを開くための作業へと移った。箱舟は、微動だにしていない。




(やっぱり、僕らは馬鹿だ)
 自傷的に彼女は呟いた。