嘘だと言って欲しかった




「嘘、」

 思いもしなかった再会に、リナリーたちは目を大きく見開いた。ああ、彼はやっぱり無事だったのだと、安堵が押し寄せてくる。けれど、その安堵をせき止めるのは、隣にいる少女――ロード―――だった。困惑が、安堵を打ち負かそうとしている。ぐるぐると回る思考に、リナリーたちは付いていけない。一方のアレンは、ロードの名前を呼んだ。ロードは全てわかりきったように微笑んで一言。

「逃げる?」
「……話したいですね、できれば」

 アレンはリナリーたちの方を向いたまま。ロードがどんな表情を浮かべているのかなんて知らずに答える。ロードはそれを見て、さらに笑みを深めた。

「そ、別にいいけど」

 その答えに驚いたのは、アレンだった。てっきり、止めることとばかり思っていて、どう言い訳をしようか悩んでいたところだったからだ。アレンが素直に感想を述べると、ロードはついに吹きだして、アレンはもう裏切らないからね、と至極楽しそうに言った。

「根拠は?」
「アレンだから」

 なんとも納得のいかない理由でありながら、納得されられる理由だ。止められないのであれば特に気にする意味もないか。アレンはそう納得して、未だ動揺が続くリナリーに向き直る。嘘、と何度も口にしては、視線をアレンとロードの間で行ったりきたりさせている。

「場所を、変えましょうか」

 近くにカフェがあったのを思い出した。そう、あそこなら人通りも少ない。そこでどうだろうか、と提案する。ロードは満足したように笑って、扉を開け、自分だけ入っていた。帰ったらお茶だから! とこの場に似合わない軽快な言葉を残して。
 彼女がこの場から消えたのを確認して、アレンは再び提案する。大丈夫、殺すわけじゃないんですから、となんとも信頼性に欠ける言葉を吐けば、リナリーたちはうなづいた。

「ねえ」
「話しはカフェに着いてから。ここじゃ人通りが多すぎます」

 口元に人差し指を当て、子供をあやすように、優しく言う。さて、数年来のこの街だ。あのカフェがつぶれるなんてことは、早々ないだろうけれど、場所がうろ覚えで、仕方がない。かすかな記憶をたどって、道をはじき出す。

「さて、と。たしかこっちなはず、」
「……アレン君、一応言うけどそっちは森よ?」



***


 その後、何度も(本当に何度も)迷ったものの、なんとかカフェに到着した。街のはずれにあるカフェは、常連客がまばらにいるだけで、静けさを保っている。おしゃれ、と隣から声がする。知る人ぞ知る、といった感じのカフェなので、そこらのカフェよりもずっとコーヒーの味がいいとかどうとか、かの師匠が言っていた。僕には良くわからなかったけれど。

「アレン君、何でこんなお店――」
「いや、実はここ一回だけ師匠に連れてきてもらったことがあるんです」

 何て言うの、飴と鞭? 飴の割合が泣くほど少なかったですけどね。と苦笑しながら話す。つられてリナリーたちも笑った。あ、別に変なお店とかじゃないですからね? と付け足して店内へと誘導し、バルコニー席へ。雲ひとつない青い空と森が望めるここは、師匠が好んで座った席(らしい)。そよ風が三人の頬をかすめてどこかへ消えていった。気がつけば近くへ来ていたウェイターに、コーヒーを三つ頼んだ。かしこまりました、とマニュアルどおりの言葉を並べて、彼はカウンターの方へと歩いていった。昼時を過ぎているからか、人は少なかった。

「さて、どこから話しましょうか」
「どこからだっていいわ。とにかく、教えて頂戴」

 先ほどの動揺はどこへやら――すっかりいつもどおりに戻ったリナリーはまっすぐな目で見つめてくる。ああ、これがいつものリナリーだ。少し安心して、彼女の目に答えるよう、話し出す。

「…ええ、ではまず僕の事から。ご存知のとおり、僕は、破壊のメモリーを持ったノア、14番目。俗に言う裏切りノア。正しく言えば、そのメモリーを移植された人間、かな? そのあたりは僕にもよくわかってないんですけど」
「――破壊?」

 それまであまり話さなかったミランダが疑問を投げかけた。そうか、メモリー名だけ言っても、普通わけがわからない。なら、実際に見せたほうが早いだろう、とあたりをぐるりと見回し、近くにあった使われてないであろう椅子を近くまで持ってくる。何がおきるのかと、二人はそちらの方をじっと見つめている。

「じゃ、いきますよ」

 軽く椅子に触れるとそれは跡形も無く消えてしまう。もともとそこには何もなかったかのように、ぽっかりと空間があるだけ。姿が見えなくなっているわけでも、どこかへ移動してしまったわけでもない。存在自体が消されてしまっているのだ。

「これが破壊です。そのままと言われればそのままなんですけど。でも、これは対象に触れていないと発動できないらしくて」
「そう、なんだ…」
「あ、それからもうひとつ」

 言葉を発しながら指を鳴らした。リナリーたちが何かと思った瞬間には、先ほどの椅子が、これもまた何事もなかったかの用にそこに立っていた。

「これ、さっき破壊したはずじゃ」
「はい、破壊しました。なんていうか、破壊したことを、破壊したんですよ」

 笑って説明をする。理屈がわかっている人でないと、これはただの超能力にしか思えないし、見えないだろう。一応、ちゃんと原理があるのだ。まあ、その道を何十年と突き進んだような人でないと、とても理解できるようなものではないけれど。

「時間を破壊してしまえば、古めかしいものとかも元に戻したりできますね。
 さて、メモリーについてはそのくらいです。僕から話そうと思っていたことはこのくらいですが……なにか、ほかにありますか」

 少し強い風が頬をかすめる。リナリーが、口を開いた。

「アレン君は、結局のところ、私たちを裏切った、ってこと?」

 一本の矢が心臓に刺さったように、痛む。しかたがないといえば、しかたがないことなのだけれど、やはりそれを彼女たちから言われるのは、つらい。ポーカーフェイスのまま、僕は僕自身に言い聞かせた。そうだ、何も知らない人から見ればアレン・ウォーカーはただノアに覚醒し、教団を裏切ったに過ぎないのだ、と。このまま絶望させておきたくなかった。脚本的には、ここで無駄な希望を持たせたりしないほうがいいのだろうけれど、僕にはそんな器用なことは出来ないのだ。

「一概に、そうとは言えないかもしれませんね」
「それってどういう、」

 再度、人差し指を唇に当てた。沈黙が、ゆっくりと流れていった。裏切りというのは相当の覚悟がないとできないのだと昔だれかに言われたような、言われていないような。まさかそのときには、自身がそれを感じることになろうとは思いもしなかった。ちりり、と刺すような視線を感じた。

「残念だけれど、話は、おしまい」
「え、ちょっと待って」

 静止を促してくるが、それに答えることはできない。後ろから、わがままなお嬢様がこちらをじっと見つめているのだ。ちらりと視線をそちらへやれば、彼女たちも気づいたようだ。悲しみに満ちた表情を浮かべる。

「ごめん。それから、できることなら、教団に伝えてほしいな。僕は、アレン・ウォーカーは」
「そんなこといわないでよ!」

 リナリーが大声を上げて、机を思い切り叩いた。反動でコーヒーが大きく波をつくってこぼれる。もったいない、と心の隅で思ったが、それを言葉にする余裕なんてあるはずも無く。そっとハンカチを置いておくだけにとどめた。

「……じゃあ、いわないことにするね」

 ロードがこちらへやってくる。長かったかとたずねれば、そうではないと彼女は答えた。それなら、なぜ。できることなら、もう少し話したかったのに。不満が顔に出ていたのだろうか、ロードは、千年公が嘆いていたのだと教えてくれた。あのやろう、と顔には出さずに悪態をついた。

「それでは、また、会いましょう」
「アレン君、」

 唐突に開かれたロードの扉へと入った。リナリーたちが叫んだ声への返事は、していない。悪かったかな、と考えもしたが、今更どうすることも出来ないので、考えることはやめにした。


***


 彼が、ロードの扉に飲まれていった。次に会うときは、敵、なのかな。最悪の状況を思い浮かべてしまう。頭を振って、そんなイメージは吹き飛ばした。帰ろうか、と机の方へ向き直る。丁寧にコーヒー代が置かれていた。それに手を伸ばすと、カタンと不自然に机が動く。

「えっ」

 机の下から現れたのは、彼といつも一緒にいたあのゴーレムだった。






(そうでないことを祈ります)