君の呼吸で世界が変わる


教室の窓からグラウンドを眺める。
丁度、4限目の授業終了を知らせるチャイムが鳴った頃。
起立、礼。毎時間ごとの当り前をやってから、ゆっくりと椅子に座り、片肘をついて外を見る。
すぐに外を見ることが出来るのは、窓際席の者の特権だ。
私の見た先には、複数の生徒の姿。どうやら隣のクラスは4限目が体育の授業だったらしく、皆袖で額の汗を拭いながら校舎へと歩いている。
自分と仲の良い友達が、一人、二人……。
目で追って数えていると、ふと目が合った男子生徒がいた。

「あ、万里見っけ」

ヒラヒラと、片肘をついていない方の手を振る。
向こうも、穏やかな表情でうっすらと笑みを浮かべ、私と同じように片手を上げ左右に小さく振った。

「苗字さん、万里くんと仲が良いの?」
「え?あー、えっと……まぁ、ね」

いつからいたのか、私のすぐ隣に同じクラスの佐久間くんが立っていた。
私と万里が互いに見つめ合い、手を振り合っている様子を不思議そうに見ている。

「へぇ、意外!クラスも違うし、全く知らない同士だと思ってた」
「そうだね……え?佐久間くん、」
「ん?」

確かに、万里は別のクラスの生徒だし、ましてや異性。
その上一般的な生徒とヤンキーとあって、仲良くなるきっかけなどほぼないに等しいのだ。
しかしこの状況を見れば、私も佐久間くんに対して同じようなことを言える。
彼も、グラウンドにいる万里に手を振っているのだ。そして対する万里も、佐久間くんに手を振り返している。

「佐久間くんも、万里と仲良いんだ……」
「うん。ずっと同じ学校に通ってたけど、この前知り合ったんだ」

万里って、いつの間にか近寄りがたいヤンキーじゃなくなってたんだ。
そう思うと、私の中の“秘密”の境界線が少し薄くなった気がして、ちょっとだけ、寂しくなった。





学校が終わり、夕陽が辺りを赤く、眩しく照らす時間。
いつもの時間に、校門を出て30メートル程先に進んだ所の、信号がある大きな交差点。
歩行者信号の下に、スマホをいじっている様子の、よく見知った後ろ姿。

「万里、お待たせ」
「おう。行くか」

横に並んだ時、丁度信号が青に変わった。二人、同時に前へと歩き出す。

「……佐久間くんに、知られちゃったね」
「はは。ま、アイツは言いふらしたりするようなヤツじゃねーから、大丈夫っしょ」

私は、隣のクラスでヤンキーの、この摂津万里と付き合っている。
2年生の頃から付き合い始め、かれこれ1年は過ぎた。この関係は、誰にも言ったことがない。
ごく一般的な生徒である私と、ヤンキーである万里。互いに、周囲の生徒や友達に知られてしまうと、驚かれる・反対される・ネタとして言いふらされる、などなど。それらを恐れ、今まで誰にも知られぬよう、こうして下校すら時間と場所を決めて密やかに共にしていた。
“秘密”の境界線が薄れるというのは、今日みたいにいつの間にか周囲に私達の関係を知られ、こうやってコソコソと隠れながらもスリルを味わいながら楽しく付き合っている関係が、だんだんとなくなって、最終的には終わってしまうのではないか……と、私が案じていることだ。

「私達、お互い住む世界が違うのに、よく続いてるよね」
「フツーの女とヤンキーってことか?お前、まだンなこと言ってんのかよ」

私が言った台詞は、前にも言ったことがあった。
どうして、知り合ったんだったっけ。どういう経緯で、付き合うことになったんだったかな。
そんな風に考えてしまうようになった今、前にも増して“何故互いに一度も「別れよう」と言ったことがないのだろうか”とよく思うようになっていた。

「……万里がヤンキーじゃなかったら、こんなにコソコソしなくても良かったのにね。それか、私がヤンキーだったら良かったのかな」

ポツリと、あまり良くない言葉がこぼれ落ちた。
私は不安になっていたのだ。
私には、私と同じように普通の男の子の方が似合っていたのではないか。万里には、万里と同じように気の強く、活発な女の子の方がもっとふざけあったりとかして楽しかったのではないか。
これは、好きな人である万里のことを真剣に考えているからこそ思ってしまうこと。
万里の方は、同じように思ってはいないかもしれないけれど。
あぁ、今の台詞、言わなければ良かった。万里は嫌な思いをしたかもしれない。
そう思っておそるおそる隣を歩く万里の顔を見ると、思いのほか私の言葉が胸に刺さったのか、ツラいような、寂しいような。そんな何とも言えない苦笑いを浮かべていた。

「悪かったな、ヤンキーで。……まぁ、お前にそんな思いずっとさせてんのは、謝る。でも……」

今まで下を向いて歩いていた万里が、パッと真っ直ぐ前を向いた。
それと同時に、手探りで私の空いていた片手を掴み、指を絡め、いわゆる“恋人繋ぎ”に握り替える。
立ち止まることなく歩きながら、万里は繋いだ手に力を込めた。

「俺もお前も、同じ空気吸って生きてんだから、住む世界は一緒だろ。名前、お前は心配なんかしなくても、ただ息して生きてりゃいーんだよ。それでも、住む世界が違うって言うんなら……お前が俺の隣で生きてさえいれば、まぁそのうち一般人とヤンキーの世界なんて同じになんだろ」

見透かされた気がした。
まるで、私の心の中を見られているようだ。
こんなにも、私のことを考えてくれているだなんて。
こんな私のことを、こんなにも、好きでいてくれるなんて。
繋いだ手から、万里の熱を感じる。温かくて心地良い。
そういえば、思い出した。
出会った頃はどこか冷めきったような目をしていて、トゲトゲしていた万里。
気付けば、どこにでもいそうなこんな私にほだされて、まるで一般人である私と変わらないくらい、丸くなっていたんだなぁ。

「万里のそういうかっこいいところ、好き」

私は潤んでしまった目を隠すように下を向き、繋いだ手はそのままに、万里の方へと体を寄せた。
私の肩が万里の腕に当たったことにより、驚いたのか、万里の体が少しだけビクッと跳ねる。

「バーカ、今頃気付いたのかよ。……俺も、お前のこと好きだ」

私達二人の周りが、大きな幸福感で包まれる。
私も今なら、万里に対して“不安”ではない、本当の気持ちを言える気がする。
万里の台詞を借りて言うなら、



『私も、あなたと共に呼吸をしていくことで、どんどん世界があなたの色に変わっていく』